[#表紙(表紙1.jpg)] 松本清張 球形の荒野 新装版(上) [#改ページ]  球形の荒野(上)      1  |芦村節子《あしむらせつこ》は、西《にし》ノ京《きよう》で電車を下りた。  ここに来るのも久し振りだった。ホームから見える薬師寺《やくしじ》の三重の塔も懐かしい。塔の下の松林におだやかな秋の陽《ひ》が落ちている。ホームを出ると、薬師寺までは一本道である。道の横に古道具屋と茶店を兼ねたような家があり、戸棚の中には古い瓦などを並べていた。節子が八年前に見たときと同じである。昨日、並べた通りの位置に、そのまま置いてあるような店だった。  空は曇って、うすら寒い風が吹いていた。が、節子は気持が軽くはずんでいた。この道を通るのも、これから行く寺の門も、しばらく振りなのである。  夫の亮一《りよういち》とは、京都まで一緒だった。亮一は学会に出るので、その日一日その用事にとられてしまう。旅行に二人で一緒に出るのも何年ぶりかだ。彼女は、夫が学会に出席している間、奈良を歩くのを、東京を発《た》つときからの予定にしていた。  薬師寺の門を入って、三重の塔の下に立った。彼女の記憶では、この前来たときは、この塔は解体中であった。そのときは、残念がったものだが、いまは立派に全容を顕《あら》わしていた。いつも同じだが、今日も、見物人の姿がなかった。普通、奈良を訪れる観光客は、たいていここまでは足を伸ばさないものである。  金堂《こんどう》の彫刻を見終わって外に出たのが、ひるすぎであった。あとの都合で、時間の余裕がないので、彼女は早々に薬師寺を出た。  薬師寺から唐招提寺《とうしようだいじ》へ出る道は、彼女の一番好きな道の一つである。八年前に来たときは晩春で、両側の築地《ついじ》塀の上から、白い木蓮が咲いていたものだった。この道の脇にある農家の切妻の家に、明るい陽が照って、壁の白さを暖かく浮き出していた。が、今日は、うすく曇って、その壁の色が黝《くろ》く沈んでいる。  相変わらず、この道には人通りが無い。崩れた土塀の上には、蔦《つた》が匍《は》っている。土の落ちた塀の具合も、置物のように、いつまでも変わらないのである。農家の庭で、籾《もみ》をこいていた娘が節子の通るのを見送った。  唐招提寺に着くと、いつの間にか門がきれいになっていた。  そういえば、前に来たとき、この門はずいぶん荒れていた。ほとんど柱の下が朽ちかけて、苔《こけ》のある古い瓦を置いた屋根が、不安定に傾いていたのだ。しかし、あのときは門のそばに山桜が咲いて、うすく朱の残った門柱の上部にそれがよく似合い、ふしぎに「古代の色」といったものを感じさせたものだった。  金堂までは長い道を歩かねばならない。両側は木の多い場所だった。受付の小さな建物も節子が八年前に来たときと同じである。通りがかりにのぞくと、絵葉書やお札《ふだ》を売っている老人がいた。  節子は、まず、金堂を眺めた。大きな鴟尾《しび》を載せた大屋根の下には、吹放しの八本の柱が並んでいる。いつ来ても、この円柱の形は美しい。法隆寺を思い出すような、ふくらみのある柱だったし、ギリシャの建物にあるような形なのである。  軒の深い金堂の横を歩いて、裏側にまわった。  鼓楼も講堂も、あのときから修理したものらしく、朱の色が新しかった。この位置から見る唐招提寺の布置くらい美しい眺めはない。なにか雅楽のリズムを聴いているような感じであった。  節子は、しばらくそこに佇《たたず》んだ。人ひとり、見物に来るものがないのである。  雲がすこし切れて、うすい陽の光線が洩《も》れた。八本のエンタシスの柱は、影を投げて一列に見事な立体をつくった。軒が深いので、日射しは途中でさえぎられ、上部の軒まわりは、やはり暗いのである。青い櫺子窓《れんじまど》や、白い壁を奥行に沈ませて、朱の円柱だけが明るい。節子は、そこでしばらくうっとりとして眺めた。  節子に、古い寺の美しさを教えたのは、いまは亡き叔父《おじ》であった。叔父は母の弟で、外交官だった。野上顕一郎《のがみけんいちろう》という名で、戦時中、ヨーロッパの中立国の公使館で一等書記官だったが、終戦にならぬうち、任地で病を得て死んだ。  母が歎いて、あんな頑丈な身体の人が、と言ったのを節子は憶えている。当時、彼女は二十三歳で、いまの夫と結婚して二年目だったが、叔父のことを考えると、この母の言葉が一しょに耳に蘇《よみがえ》るのである。  それほど、叔父は体格がよかった。中学校から大学まで柔道をやってきた男で、三段であった。叔父が日本を発つときは、戦争が激しくなっているときで、母と彼女は、灯火管制でうすぐらくなっている東京駅に叔父を見送りに行ったものである。すでに欧州へ行く道はシベリア経由によるしかなかった。  日本はアメリカの機動部隊に痛めつけられているときだったが、ヨーロッパでもドイツやイタリーが敗退をつづけていた。中立国だし、任地に無事に着きさえすれば、叔父は安全だと思われたが、思ってもみなかった病魔に彼は仆《たお》れたのである。  日本や、独、伊の敗色が濃厚になっていたときなので、叔父は、中立国に駐在して、むずかしい外交任務に従っているうち過労となり、胸を患《わずら》って死んだのである。当時、叔父の死を報じた日本の新聞にも、 「中立国に在って、複雑な欧州政局の下《もと》に、日本の戦時外交の推進に尽力、遂に、その職に仆れたものである」  と記事が出ていて、節子は、まだ、憶えている。  体格のいいこの叔父が、節子に、古い寺の美しさを教えたといえる。叔父は、学生時代から、たびたび奈良の古寺や大和路《やまとじ》を歩いていたが、外務省に入ってからも、それは欠かさなかった。殊に、領事官補となって天津《てんしん》を振り出しに、欧州各地に在勤したが、本省に帰ると、まず最初に、大和路を歩くのであった。  節子は、この叔父に、実際に関西に連れて行ってもらったことはなかった。 「節子、いつか、連れて行ってやるぞ。叔父さんが、詳しく説明してやるからな」  叔父は、以前からそういいながら、遂にその機会を失ってしまった。  海外勤務になると、叔父は在勤先から、外国の美しい絵はがきを節子に送ってくれたが、外国の景色の美しさは一行も書かず、 「奈良の寺に行ってみたか。飛鳥《あすか》の寺にもぜひ、行きなさい。叔父さんも近かったら、休暇をもらって行くところだが」  などと書かれてあった。叔父は、外国に居るだけに、余計に、日本の古い寺に憧れていたらしかった。  節子が、その後、古い寺に興味をもつようになったのは、その死んだ叔父の影響だった。  金堂を見終わって、節子は出口に歩いた。  彼女は、守札や絵葉書などを売る受付の小さな建物に寄った。ここで東京への土産《みやげ》に何か択《えら》び、従妹《いとこ》の久美子《くみこ》に持って行ってやりたかった。それは久美子の父への思い出のつもりだった。そこには絵葉書にまじって、壁かけになっている小さな焼物が置いてある。「唐招提寺」の四つの文字が配列してあるのが記念になりそうだった。節子はその皿を求めた。  老人が品物を包んでいる間に、節子は、ふと、そこに置かれている芳名帳が眼についた。和紙をとじた厚いものである。ちょうど開いたままだったので、なにげなく眺めていると、雑誌などで見る有名な美術評論家や、大学教授などの署名があった。やはり一般の観光客が来ないかわりにこのような人たちが寄るものとみえる。  老人は皿を包むのに手間どっていた。節子は、芳名帳の一枚うしろをめくった。一めんに名前が記帳してある。さまざまな名前が、文字のくせを現わしていた。近ごろは、筆の字となると誰も書きづらいらしく、達筆なのもあるが、ひどく下手なのも多かった。  が、その中の一つの名前に、彼女の視線がとまった。「田中孝一」というのである。むろん節子の知った名前ではない。彼女がそれに眼をとめたのは、未知の人の名前ながら、どこかで、その文字に遭《あ》ったような気がしたからである。どこかで──。 「ありがとうございました」  老人はやっと包みを紐《ひも》でくくって差し出したが、節子が芳名帳の名前に見入っているので、 「奥さまも、ひとつ御記帳願えませんか」  とすすめた。  折角、この寺に来たことだし、節子も筆を借りる気になった。それから自分の名前を書き了《おわ》ってからだったが、もう一度、前の紙を繰《く》った。どうも気になるのである。この名前にではなく、その文字のくせにであった。  なんとなく、死んだ叔父の筆蹟《ひつせき》に似ているのである。  叔父は、若いときから文字が上手な方だった。いま、この筆の字を見て思い出したのだが、そのやや右肩上がりの癖といい、「一」と横に引っぱった筆のとまり具合といい、叔父の手蹟によく似ていた。つまり叔父の名前の顕一郎の「一」と、この田中孝一の「一」の筆づかいが、共通しているのである。叔父は若いときから、北宋《ほくそう》の書家|米※[#「くさかんむり/市」、unicode82be]《べいふつ》を手本にして習っていた。  節子はこの寺に来て、死んだ叔父のことをあまりに考えていたので、そんな錯覚を起こしたのかと思った。世の中には、似たような文字を書く人はずいぶん多いが、偶然叔父の好きなこの寺に来て、叔父によく似た文字を発見したのは、やはり彼女にはうれしかった。何処《どこ》の誰だかむろん住所が記載してないので、節子には分かりようがなかった。  それでも彼女は、懐かしくなって、念のために老人に訊いてみた。 「この方は、やはり遠くからおいでになった方ですか?」  老人は興味なさそうに田中孝一の名前をのぞいてみた。 「さあ、知りまへんな」  と答えた。 「このページに書かれた名前の方は、いつごろここにおいでになったんでしょう?」  節子は、さらに訊いた。 「そうでんな」  老人は眼をしょぼしょぼさせて署名の順序を見ていたが、 「十日ぐらい前のように思いますな」  十日前というと、この老人は、記帳の参詣人を覚えているかもしれない。ここには観光客もあまり来ず、忙しくない筈である。  しかし、そのことを老人にただすと、 「いえ、けっこうお詣りがありますよってに、いちいち、どないな方か覚えてしまへん」  と、ぼそりと答えた。  節子は、諦めて、そこを離れた。もとの、来た道を帰るのだったが、なぜか今日は、叔父のことが想われてならなかった。古い寺の美しさに眼をあけてくれたのが叔父だっただけに、この寺に来てそれは当然だったが、亡くなった人のことを考えるのは、あるいは秋の寺を観《み》たせいかもしれなかった。  節子は、夫と、今夜、奈良の宿で落ち合う約束だった。京都で学会をすませた夫は、八時には奈良に入ると言っていた。雲の加減で遅いようだが、二時をまわったばかりだった。  節子は、また西ノ京の駅に戻った。奈良へすぐに帰るのだが、なぜかそのときになって、心がはずまなかった。最初の予定はいろいろと組んである。たとえば秋篠寺《あきしのでら》から法華寺《ほつけじ》に廻る佐保路《さほじ》のあたりを歩いてみたかった。が、急に気が乗らなくなったのである。節子は、田中孝一という人のことがまだ気にかかっていた。勿論、知らない人である。が、その人の書き残した文字が、妙に頭の中から消えなかった。  節子がホームにたたずんでいると、上りの電車が来た。当然、最初の予定ではこれに乗るはずだったが、心のためらいは、ついその電車を見送った。  このときになって、節子は決心した。彼女はホームを変えて、折りから来た下りの電車に乗った。  電車の窓から見る一めんの平野は秋の風景を見せていた。丘陵を背景にして、法起寺《ほつきじ》のくすんだ三重の塔が見えたが、やがて法隆寺の五重塔が、鮮かな色で、松林の中に立ち現われてきた。  節子は、橿原《かしはら》神宮前駅で下りた。  タクシーの走っている道は寂しかった。  両側が広い平野で、農家が部落をつくって点在しているだけだった。岡寺《おかでら》をすぎて、|橘 寺《たちばなでら》の白い塀が正面に見えた。節子は、運転手に待って貰うように言い、寺の高い石段を上った。  橘寺は、小さな寺である。彼女はこの寺の名が好きだ。節子は、本堂から横の受付の窓口に行った。そこでも守札や絵葉書を売っていた。  節子はそこで絵葉書を買い、そのへんを見まわしたが、芳名帳はなかった。 「恐れ入りますが」  彼女は思いきって言った。 「芳名帳がございましたら、記名させていただきたいのですけれど」  法帖《ほうじよう》を手習いしていた受付の坊さんは、節子を見上げたが、自分の机のわきから、だまって芳名帳を差し出した。  節子は、急いで最後の部分から繰った。しかし、「田中孝一」の名前は見あたらなかった。彼女は自分の名前を書き、念のために前の紙を繰った。が、やはり何度見ても、「田中孝一」の名前は無かった。 「どうも」  節子は芳名帳を返した。  石段を下りて、待たせてあるタクシーに乗った。 「どちらへ?」  運転手は、振り返って聞いた。 「安居院《あんごいん》に行って下さいな」  運転手は、車をまた走らせた。道は、やはり稲を刈った田圃《たんぼ》の中である。先ほど橘寺から眺めた森が近づいてきた。節子は、安居院と書かれた門の前で、車を下りた。ここでも運転手に待ってくれるように念を押した。  安居院の門を入ると、金堂はその横にあった。礎石らしい大きな石が、庭にある。  この金堂の本尊は、止利仏師《とりぶつし》作といわれる飛鳥大仏である。美術史といったたぐいの写真でさんざんお目にかかっているが、いまの節子は、「古拙の笑い」を泛《うか》べた本尊を急いで拝む気はなかった。ここでも、先ず、芳名帳を見せてもらいたかったのである。  寺の受付には、誰も居なかった。そういえば、ここは奈良の諸寺から見ると、ひどく侘《わび》しい。節子がそこに佇んでいるのを見たのか、庫裏《くり》の方から、五十くらいの坊さんが、白い着物を着て出てきた。 「拝観でっか?」  坊さんが首をのばして言った。  いつもの節子だったら、本尊を拝観するところだったがいまは別のことが気になっている。彼女は守札と絵葉書だけを買った。ここでは要求するまでもなく、芳名帳はその窓口に置いてあった。 「あの」  節子は、坊さんに言った。 「東京からわざわざ来たものですから、芳名帳に名前をつけさしていただきたいのですが」  坊さんは、節子の顔に笑いかけて、 「さあ、どうぞ、どうぞ」  とすすめた。自分で硯《すずり》の墨をすってくれるのである。  節子は、芳名帳を開いた。和尚《おしよう》が墨をすっている間に見たのだが、最後の一枚には三人の名前しかなかった。前の一枚をはぐった。そこにも縁のない他人の名前が並んでいた。しかしもう一枚めくったとき、思わず声が出そうになった。  そこには、見覚えの「田中孝一」があったのである。字体も、唐招提寺で見たときと、判で押したように同じであった。墨をすってくれた坊さんに、節子は聞いた。 「ちょっと伺いますが」  田中孝一の名前に指を当てた。 「この方は、いつこちらに御参詣になったんでございましょう?」  自分の知った人を訊くような調子だった。  坊さんは、かがみ込んで名前を見ていたが、 「さあ」  と首を傾け、 「分かりまへんなア。この寺もお詣りの方が多いよってに」  と、考えながら言った。 「いつのことでっしゃろな。そのへんについているのやったら、一週間か十日前でっしゃろな」  節子はそれを聞いて坊さんの顔を見つめた。 「和尚さんは、この方を覚えていらっしゃいませんかしら?」  坊さんは、また首を傾けた。 「どんなお方やったか、覚えてまへんなア。そら、なんぞあんさんのお知り合いのお方でっか?」 「そうなんです」  と彼女は思わず言ってしまった。 「これを拝見して、長らく会わなかった方を思い出したんです。それでお訊ねするんですけれども」 「さあ」  坊さんは顔をしかめて考えていた。 「どうも、わての記憶にはおまへんな。女房もおりますさかい、ちょっと訊いてあげましょう」  親切な住職だった。わざわざ細君のところまで問い合せに行ってくれた。  戻ってきたときは、その妻と一緒だった。話を聞いたとみえ、その主婦は節子に会釈《えしやく》して芳名帳の田中孝一の名前を見た。 「へえ、わてにも、よう分かりまへんなア」  坊さんの妻も、亭主と同じように首を傾けていた。  節子は、もう一度、芳名帳の文字に眼を戻した。いかにも叔父の文字によく似ていた。  節子は、叔父から貰った書を何枚か持っている。子供のときだったので、あまりむつかしい漢詩ではなかった。叔父は趣味で、赤いもうせんなどしいて唐紙《とうし》をのべ、叔母に墨をすらせて、大きな筆で漢字を書いたものだ。いまここに叔父の書を持っていたら、「田中孝一」の筆蹟と較べてみたいくらいだった。  節子が奈良に入ったのは夕方だった。街に明るい灯《ひ》がついていた。駅前からタクシーを走らせた。黄昏《たそがれ》どきの公園通りの人通りは少なくなっていた。興福寺の塔に、下から照明がきれいに当たっているのが見えた。  宿は、夫と打ち合わせて、飛火野《とぶひの》のあたりにとっておいた。その宿に着くと、夫の亮一は、先に到着していて、もう風呂から上がっていた。 「済みません。遅くなりました」  節子が詫びると、夫は、ちかごろ肥えてきた身体を丹前に包んで、丸くなって新聞をよんでいた。 「君、風呂はどうする?」  夫は、節子を見ると言った。 「あとで頂きますわ」 「それじゃ、早速、飯にしよう。腹が減った」  夫は、子供のように腹を叩いた。  節子は、すぐに女中に夕食を頼んだ。 「あなた、京都はわりにお早かったのね?」  節子は夫に言った。 「ああ、早く済んだ。あとで親しい連中で、懇親会をするのだが、ぼくは酒が飲めないし、それに君がこっちに待っているので、その方は切り上げて来た」  節子は、自分が遅れたのが、よけいに済まなくなった。 「ほんとに悪かったわ。ごめんなさい」 「いいよ。それよりも」  亮一は節子の顔を、にやりと見て、 「君の古寺巡礼の話でも聞こうか」  と言った。夫は節子の趣味をひやかしていた。  食事が来た。  酒の飲めない亮一は、食事には手が要《い》らなかった。早速に飯にしながら、皿の料理を片はしから片づけはじめた。 「あら、随分、お腹、空《す》いてらしたのね!」  節子は、夫の様子を見て微笑した。 「ああ、今日は学会で根《こん》を詰めたし、京都からここまでの一時間の電車の中で、すっかり腹を空かした」  夫の亮一はT大の病理学の助教授だった。 「ところで、君の古寺巡礼は、予定通り済んだかね?」 「ええ」  節子は思わず曖昧《あいまい》な返辞になった。夫に話して置いた予定とは違ったのである。 「佐保路のあたりはどうだった?」  夫は訊いた。尤《もつと》も、それには少し理由《わけ》があった。亮一は「佐保路」という名前が気に入っていたのだ。語感もいいのだが、「吾《わが》背子《せこ》が見らむ佐保|道《じ》の青柳《あおやぎ》を手折《たお》りてだにも見むよしもがも」という万葉集の中にある|大伴 坂 上 郎女《おおとものさかのうえのいらつめ》の歌を自慢で憶えている。亮一は、若いとき、そんな本をよく読んでいた。 「あちらには、廻りませんでしたわ」  節子が言うと、夫は、 「どうして?」  と節子を見て、 「あの辺は、君が愉しみにしていたんじゃないか?」 「そうなんです。でも、向うには行かずに、橘寺や安居院などを廻って来ましたわ」 「妙な方角へ行ったものだね」  夫はいった。 「何を思い立ったのだ?」  節子は、思い切って理由を話すことに決めた。 「唐招提寺に行ったとき、叔父さんによく似た筆蹟を芳名帳の中に見たものですから、もしかすると、ほかのお寺の芳名帳にもそれが無いかと思ったんです」 「叔父さん?」  夫は眼をあげた。  亮一は、節子と婚約時代から野上顕一郎には会って知っている。結婚後も何度か訪問して、この義理の叔父の話をよく聞いたものだ。 「叔父の筆ぐせによく似た文字があったので、つい、懐かしくなりましたわ」 「なるほど、叔父さんは、君の古寺巡礼の師匠だったね」  夫は明るく笑った。 「それで、ほかの寺の芳名帳も捜索したわけかね。しかし法華寺や秋篠寺だって、同じ人は行って居そうなものだ。飛鳥あたりの寺に、まっすぐに行ったのは、どういうわけかね?」 「叔父が、あの辺を好きだったんです。わたしが小さかったころ、外国から、よくそんな感想みたいなことを書いて寄越しましたわ」 「おいおい」  と夫は言った。 「話が変だよ。君は叔父さんを探して歩いたわけではあるまい。よく似た筆蹟ということだけだろう?」 「それは、そうですわ。叔父は十七年前に死んだんですもの。でも、ちゃんと安居院で、同じ筆蹟を発見しましたわ」 「やれやれ」  と夫は言った。 「女の直感というのは恐ろしいものだね。その叔父さんの筆の亡霊を騙《かた》ったのは、何という名前の人かい?」 「田中孝一という名前です。それがほんとによく似ているんですの。叔父は北宋の米※[#「くさかんむり/市」、unicode82be]の書を手本にしていましたから字体に特徴があるんです」 「田中孝一氏も、同じシナの書家を師匠にしていたのだったら、罪なことを君にしたものだね。君に予定を変えさせて、安居院に走らせたのだからね」  茶をのんでから、夫は笑った。 「地下の叔父さんは喜ぶだろう。そりゃ、ご苦労さまだった」  すぐ横が飛火野だから、夜は静かなものである。雨が落ちて来たらしく、廂《ひさし》に音がしていた。  夫には嗤《わら》われたが、節子は、「田中孝一」の字体が、いつまでも眼に残って離れなかった。  今日ほどヨーロッパで病死した叔父の想い出に纏《まつ》わられたことはなかった。      2  節子は、東京に帰って二日目に、叔母の家を訪ねて行った。  叔母の家は、杉並《すぎなみ》の奥の方にあった。そこは、まだ、ところどころ、武蔵野《むさしの》の名残りの櫟林《くぬぎばやし》があった。近くには、或る旧貴族の別荘がある。その邸は、殆《ほとん》ど、林の中に包まれていた。節子は、この辺の道を歩くのが好きである。  新しい家も、ふえていた。そのために、次第に、彼女の好きな林が失われて行くのである。それでも、旧貴族の別邸の辺りは、櫟、樫《かし》、欅《けやき》、樅《もみ》などが高々と空に梢を張っていた。  秋はことに美しかった。籬《まがき》の奥に、武蔵野の名残りが、林のままで残っている家もある。  叔母の家は、そのような一角にあった。どの家も古い。狭い道が花柏《さわら》の垣根の間を曲がりくねっていた。初冬になると、この狭い小道の両端に落葉が溜まって、節子が歩くのを愉しませた。  節子が小さな家の玄関の前に立ってベルを鳴らすと、叔母の孝子《たかこ》がすぐ出て来た。 「あら、いらっしゃい」  叔母の方から、節子に声をかけた。 「奈良からのお葉書、頂いたわ、いつ帰ったの」 「一昨日《おととい》ですわ」 「そう。まあ、お上がんなさい」  叔母は先にたって座敷に入った。  この叔母が、叔父の所に嫁《とつ》いで来た日を、節子は子供心に憶えている。  その披露宴《ひろうえん》は、叔父が天津の領事官補になって赴任する直前だったように思う。結婚後一年余りして、節子の母に叔父と叔母の連名で手紙が来たのを憶えている。節子自身も、叔母から、中国のきれいな風景の絵葉書を貰ったのを忘れていない。叔母は、きれいな字を書く女であった。  叔父は、自分が趣味に書道をやっていただけに、かねてから、 「ぼくは字の下手くそな女は軽蔑するね、お嫁さんに貰うのなら、字のうまいのを一つの資格にするな」  と姉である節子の母に言っていたくらいである。だから、この妻を得たのは、その資格を認めたからであろう。  叔父の筆蹟は、妙に癖のあるもので、中国の古い法帖を手本にしたと言っていたが、少女のころの節子は、一向に、その文字に感心しなかった。右肩の上がった変に個性の強い字体なのである。 「奈良は、何日いたの?」  叔母は、茶を出しながら訊いた。 「一晩きりなんです」  節子は、奈良からの土産ものを出して言った。 「そりゃ残念ね。もう少し、ゆっくりしたらどうだったの?」 「でも、芦村の学校の都合があるので、そうもゆかなかったんです」 「そう」 「わたくしひとりで奈良に朝早く着いて、すぐに唐招提寺に行ったんです。それから、秋篠寺や法華寺の佐保路の方を歩きたかったんですけれども、妙なことから、逆に、飛鳥の方に廻りました」  妙なこと、というのを、叔母は、何気ない意味に受け取ったらしい。 「どんなことがあったの?」  と節子の顔を見て問い返した。  節子は、ここで、叔父の筆蹟のことを話していいかどうか、逡巡《ためら》った。普通の話だったら、彼女も笑って言えることだったが、あの「田中孝一」という筆蹟には、妙に迫真性があって胸につかえる。  終戦直前に外国で死んだ夫のあとを守って、ひっそりと暮らしている叔母に、気軽には言えない。  しかし、これは、結局、言わねばならなかった。 「唐招提寺に行ったとき」  と彼女は話した。 「そのお寺の受付の芳名帳の中に、叔父さまとそっくりな筆づかいで書いた名前を見たんです」 「へえ」  叔母の表情には、別に、激した反応はなかった。ただ、眼が好奇的に変わったくらいである。 「珍しいわね。ああいう字を書く人は、ほかに、あまりないと思ったけれど」 「それが、そっくりなんですのよ、叔母さま」  節子は、出来たら、その芳名帳の一部を借りて帰っても叔母に見せたいくらいであった。 「わたくし、叔父様の字は、さんざん見せられて、よく憶えているんです。ですから、他人《ひと》の名前が書かれてあっても、その筆蹟を見て、声が出そうになったくらい愕《おどろ》いたんです」  叔母は、まだ、平気で笑っていた。 「わたくし、その、田中孝一という、叔父さまそっくりの筆蹟を探して、飛鳥の方に行きましたわ。叔父さまは、よく、飛鳥路の古いお寺のことを話していらしたから」 「それで、どうだったの?」  やっと、興味を持った表情だった。 「それが、有ったんです。安居院に廻って、そこで、やはり、田中孝一の筆蹟を見ましたわ」 「まあ」  叔母は、すぐ笑い出した。 「あなたが、あんまり思い詰めているんで、そういう字体に見えたんじゃない?」 「そうかも知れません」  節子は、一応、逆らわなかったが、 「でも、できたら、わたくし、叔父さまの筆蹟と比べてみたかったくらいです」 「有難いわ、やっぱり、節ちゃんね」 「叔母さま、近かったら、そこにお伴したいくらいですわ」 「駄目よ、そんなもの拝見したって」  叔母は頸《くび》を振って答えた。 「本人は、とっくに死んでるんですもの。却《かえ》って、心残りだわ。どこかで本人が生きているというのなら別ですけれど、筆蹟の幽霊に惑わされたらかなわないわ」 「ああ、芦村もそう言ってましたわ」  節子は、叔母の言葉を引きとって言った。 「私が、奈良の宿で、芦村と落ち合って話した時、芦村もそういうんです。今日一日、君は、叔父さんの亡霊の筆に引きずりまわされた、って」 「それは、そうよ」  叔母は言った。 「芦村さんの言うのは、本当だわ。もう、そんなこと、二度と考えないで下さいね」  叔母は、夫を失った後、質素な生活を続けている。実家がやはり古い官吏で、資産がそれほどあるわけではなかった。亡夫の関係で、娘の久美子も役所に勤めている。これまで再縁の話もあったが、叔母は悉《ことごと》く断わってきた。叔母は、それだけの美しさをもっていた。 「久美ちゃんは」  節子は話をかえた。 「お元気で、お勤めですの?」 「ええ、お蔭でね」  叔母は微笑した。 「結構だわ」  節子は、ここ暫く会わない従妹のことを考えて言った。 「叔母様も大変でしたわね。でも、もうすぐね、久美ちゃんにお婿《むこ》さんを迎えるまでね」 「私も、そう思ってるんだけど」  叔母は、新しい茶を注《つ》いだ。 「まだ、なかなか、苦労が済みそうにもないわ」 「久美ちゃん、幾つだったかしら」 「もう、二十三よ」 「適当な人、あるのかしら?」  それは、久美子の結婚の相手が、見合いでなく、久美子自身が選んでいるのかという意味だった。 「それね」  孝子は、茶碗を何となく眺めていたが、 「そのうち、節ちゃんに、話したいと思っていたのよ」  と言い出した。  節子は、新しいものに触れたように、叔母を見た。 「あら久美ちゃんに、そんなお話、ありますの?」 「何だか、久美子がね」  叔母は、少しうつむいて話した。 「そんな男のお友達ができたらしいの。この間から、二、三度、遊びに連れて来たけれど」 「そう。どんな人?」 「新聞社に勤める人なの。お友だちのお兄さんとかで、私の感じでは、明るい、いい青年だと思うんだけど」 「へえ」  節子は、久美子の選んだその相手が、どのような青年かと興味を持った。 「節ちゃん、あなたも、一度、会って下さらない?」  叔母は言った。 「そうね、会ってみたいわ。今度、久美ちゃんにその話をして、ここにその方が見えたら、私も一緒に居たいわね。それで、叔母さまのお考えはどうなの?」 「よく、判らないの」  叔母は、口では言ったが、心では、久美子がその青年と結ばれることに、反対ではなさそうだった。 「早いものね」  節子は、遠いときを想い出すように言った。 「叔父さまが亡くなられた時、久美ちゃん、幾つだったかしら?」 「六つだったわ」 「叔父さまが、今まで元気でいらしたら、どんなにお喜びになるか分からないわ」  その青年と久美子が結婚まで行くかどうかは別として、それよりも、その年齢に久美子が来たことは、節子には一種の感慨であった。  節子は、以前から、この従妹を可愛がったものだった。いろいろな記憶があるが、こういう時に思い出すのは、久美子が幼かったころに多い。  いつか、江の島に連れて行った時は、久美子はまだ四つくらいであったろうか、海岸の砂遊びに夢中になって、帰る時刻になっても節子の言うことをきかず、節子自身が泣きたくなったことがあった。砂浜にしゃがんでいる久美子の、赤い小さな洋服と白いエプロンとが、今でも眼に泛ぶのである。 「そりゃ、子煩悩《こぼんのう》だもの。外国《あちら》に行ってからも、久美子のことばかり書いて来たわ。最後の手紙もそうだったの。あなたに、いつか、お見せしたわね」  孝子が言った。 「ええ、でも、もう忘れちゃったわ。もう一度、拝見したいわ」  節子がそう言ったのは、叔父の手紙を読みたい気持とは別に、叔父の筆蹟を、改めて確かめてみたいからだった。  叔母は、すぐに居間に行った。こういう時の叔母は、なにかいそいそとしている。亡夫の想い出は、彼女をいつもはずませていた。叔母は、懐《ふところ》に封筒を挟んで戻って来た。 「これよ」  封筒には外国の切手が一杯貼ってある。スタンプは一九四四年六月三日の消印だった。何度もとり出したものらしく、その厚い封筒の紙質が疲れていた。節子は、中の紙を出した。これも、前に確かに読んだ記憶がある。その便箋もかなり皺《しわ》がついていた。  勤務地の中立国で病気になった叔父は、スイスの病院に入っていたが、手紙は、その病院からである。 「遠い所にいると、よけいに日本の大変さが分かる。人間は、その事態の渦中にいる場合よりも、外にいる方が、よけいに感覚的に真実を受け取るものだ。ちょうど、自殺をする当人よりも、目撃者の方が遥かに恐怖に駆られるのと同じことだ。ぼくは、今、スイスの病院にいる。そして、この中立国の場所から日本のお前たちのことを案じている。今ほど君たちのことを考えたことはない。こちらの新聞にも、日本が爆撃に曝《さら》されていることが、毎日のように報道されている。それを読む度に、ぼくは、久美子のことが気にかかって仕方がない。こういう時節に、自分の家族のことだけ思うのは間違いかも知れないが。  しかし、何とか、日本全体を、早く平和に戻さなければならない。ぼくが、こうしてベッドに眼を瞑《つむ》っている間にも、その一瞬一瞬に、何百人、何千人の生命が失われているのだと思うと、空恐しい気がする。  僕の横たわっているベッドには、窓からおだやかな陽が射し込んでいる。おそらく、このような平和の陽射しは、君たちの身辺にはないだろう。防空壕に隠れ、米機の襲来におののいて逃げまわっていることだろう。  君も、久美子という足手纏《あしてまと》いがあって、行動にも何かと不自由なことだと思う。しかし、頑張ってほしい。ぼくの気持だけでも、君たち二人を守ってあげる。  早く、日本に平和が来るように、そして、久美子が無事に成長するように祈っている」  戦時中の厳しい通信の検閲を考えても、このような文章を書いた叔父は大胆だったのだ。その勇気も、娘の久美子や妻の孝子を想う余りに違いない。  節子は、文字の分析に移った。やはり、ペン字ではあるが、右肩の上がった、特徴のある筆蹟だった。あの、大和の古い寺で見た筆の字が、そのままペンの癖となっている。 「こういうお手紙を拝見したので、叔父様に、お線香を上げたくなりましたわ」  節子は、その手紙を封筒に入れて叔母に返した。封筒の裏はスイスの、療養所の地名が書かれている。 「そう、有りがとう」  孝子は、節子を次の間の仏壇に案内した。そこに飾られてある写真は、野上顕一郎が、最後の一等書記官時代の姿であった。口許《くちもと》に微笑があった。細い、眩《まぶ》しいような眼をしているのがこの叔父の特徴である。 「叔父さまの御遺骨を日本に持って帰って下さったのは、どなたでしたかしら?」  と叔母に訊いた。 「村尾芳生《むらおよしお》さんよ。当時、同じ公使館の外交官補をしていらしった方だったわ」 「その方、今、どうなすってらっしゃいます?」  当時、公使が病気で日本に帰っていて、一等書記官の叔父が代理公使みたいになっていたのである。だから、叔父の遺骨は終戦になって、その村尾外交官補が持ち帰ったのだった。 「村尾さんは、欧亜局の××課長をしてらっしゃるわ」  叔母は答えた。 「そう。それで、叔母さま、その後、村尾さんにお会いになったことがありまして?」 「いいえ、最近は、ずっとお目にかかってないわ。以前は二、三度、うちへお見えになって、パパにお線香をあげて頂いたことがあるけれど」  村尾氏は、先輩の遺骨を持って帰った関係から、遺族を二、三回訪問したのだが、その後、歳月が経つとともに、いつか足が遠のいたに違いない。累進した氏の位置が、仕事を忙しくさせているからであろう。  その村尾外交官補が、叔父の遺骨を叔母に渡すとき、叔父の最期の模様を伝えたわけだった。それは、節子が叔母から次のように聞いている。  叔父の野上顕一郎は、その中立国で敗戦の色が濃くなってゆく日本の外交のために奔走した。すでに枢軸国のイタリーは連合軍に降伏していた。ドイツはソ連から敗退をつづけていた。どう欲目にみても、日本に勝ち目の無い情勢だった。  そのころの外交のことはよく分からないが、叔父の仕事は、中立国に働きかけて、日本を有利な立場で終戦を迎えさせる工作だったらしい。中立国筋から、連合国側に運動してその目的を達しようとするつもりだったと想像されるのだ。  しかし、当時の中立国筋は日本に同情が無かったから、というよりも、殆《ほとん》ど連合国側だったから、叔父の工作がどのように困難だったか分かるのである。叔父は、そのために肺を侵されたのだ。頑丈な体格だったが、スイスに移って入院するころは、見るかげもなく痩《や》せ衰えていたという。  死亡の通知は病院から、その国の外務省を経て、公使館に連絡された。外交官補の村尾氏が、遺体の引き取りにスイスのその病院に行ったのだが、戦時下のことで時日がかかり、到着したときは、すでに遺骨になっていた。  村尾氏が、病院側の話を聞くと、叔父の最期は平静だったそうである。日本の運命ばかりを気遣《きづか》っていたということだった。病院側は、妻に宛てた叔父の遺書を村尾氏に託した。それは遺骨と一しょに、叔母に届いている。  その遺書は、やはり久美子の養育のことが主に書かれてあった。妻にも、しきりと再婚をすすめる文句があった。節子は、まだ見せてもらったことはないが、彼女の母が読んで、節子に内容を教えたことであった。  節子が、奈良の土産をもって叔母を訪ねてから四、五日経った。夫の居ない昼間は静かだが、そのとき久美子から電話がかかってきた。 「お姉さま、今日は」  従妹だが、久美子は節子をそう呼んでいた。 「あら、どこから掛けているの?」 「役所の前の赤電話だわ」  久美子は答えた。 「変な人。どうしてお役所から掛けないの? ああ、散歩の序《つい》でなのね?」 「ううん、そうじゃないわ。役所では掛けられない用事なの」  久美子はすこし甘えるような声で言った。 「何なの?」 「この間、奈良にいらしたんですってね? 家に帰ってから、ママからお姉さまのお土産頂いたわ」 「ええ、あなたのお留守にお邪魔したわ」 「ねえ、お姉さま、ママから聞いたんだけど、奈良のお寺で、パパの筆蹟によく似た字をごらんになったんですって?」  久美子の声に強いものがあった。 「ええ、そうよ」  節子は微笑した。やはり、それが聴きたくて電話をかけてきたのだと思った。 「そのこと、もっと伺ってもいいかしら?」  久美子は訊いた。 「え、そりゃいいけれど。だって、ママに話したこと以外には何も無いわよ」  節子は、久美子が亡父をなつかしがるあまり、期待をもたれては困ると思った。 「分かってます」  久美子の声は、一寸《ちよつと》、そこで跡切《とぎ》れたが、 「明日、日曜ですが、お伺いしてもいいかしら。ああ、お義兄《にい》さまがいらっしゃるのね?」  久美子は、節子の夫もそう呼んでいた。 「|うち《ヽヽ》は、何だか学校の用事があるとか言って、明日は居ないわ」  節子がつづけて話そうとすると、 「よかった!」  と久美子の声がそれを遮《さえぎ》った。 「お義兄さま、いらっしゃらない方が都合がいいの。ちょっと、恥かしいことがあるの」 「え、何なのよ?」 「久美子のお友だちを連れて行きたいんです。その人、新聞社につとめてるんですけど、お姉さまの奈良での話をしたら、とても、興味をもったんです」 「新聞社の人?」 「いやだわ、お姉さま、ママからお聴きになったでしょ?」  久美子の声は、そこですこし小さくなった。節子は、電話を切ったあと、久美子の男友達の新聞記者が、なぜ、叔父に似た筆蹟に興味をもったのか、気がかりになった。  その晩、帰って来た夫の亮一に早速話すと、 「それみろ、君がつまらんことをしゃべるからだ」  と彼はネクタイを解きながら顔を顰《しか》めた。 「ちかごろの新聞記者は、ネタ探しに何にでも興味をもちたがるんだ」  だが、節子には、そんなことが新聞のネタになるとは思われなかった。 「そうか。久美子にも、そんな恋人が出来たか」  しかし、夫はすぐにそっちの方へ関心を移した。      3  晴れた日だった。風のあるせいか空がどこまでも蒼《あお》い。日曜日だったが、夫の亮一は学校の仕事で朝から居なかった。 「今日は、久美子が新聞記者を連れて来る日だな」  夫は、昨夜、妻から聴いた話を、出かけるときも、思い出して言った。 「そう。あなたもなるべく早く帰って来て下さいな」 「うん」  夫は屈《かが》みこんで靴を履いていた。 「折角だが、帰りは遅くなるだろう。まあ、よろしく言ってくれ」  夫は、古い鞄《かばん》を持って出かけた。  従妹の久美子が電話を掛けて来たのは、十一時ごろだった。 「お姉さま?」  久美子は、いつもの明るい声で受話器から呼び掛けた。 「一時ごろからお伺いしますが、よろしいでしょうか?」 「あら、なぜ、もっと早く来ないの?」  節子は言った。 「なんにもないけど、お昼食《ひる》もちゃんとしてるのよ」 「だから一時にしたんです」  久美子は答えた。 「二人で御馳走になるのは、なんだか気がひけますわ」  久美子のその気持は、節子にも分からないではなかった。つまり、初めて連れて来る男の友達と一緒に節子の家で昼食を食べるのが、何か意味ありげに取られそうなのを嫌っているのだ。近ごろの若い人はそういうことには平気だと聞いたが、久美子にはそのような古風なところがまだあった。 「構わないじゃないの?」  節子が言った。 「なんにも無いんだけど、用意してるのよ」 「ごめんなさい」  久美子は謝った。 「ほんとに悪いんですけれど、そんな御心配なさらないで。そのつもりでこちらで頂いて出かけますわ」 「いいじゃないの。あなたの所で頂くのも、うちで食事して頂くのも、同じことだわ」 「ううん、そうじゃないの。添田《そえだ》さん、家なんかでまだ食べたことないわ」  久美子のその言葉で分かった。彼女の意味は、途中で両人《ふたり》が落合い、どこかで一しょに食事を済ませて、連れだって来るというつもりなのである。これは節子の家で食事を取るよりも、若い二人にとっては気兼ねなしに済むことだった。節子は、久美子のその男友達が添田という名前であることも同時に知った。 「すみません」  久美子は、電話口で詫びた。 「ほんとに御心配かけて」 「そいじゃ、しょうがないわ。なるべく早くいらっしゃいね」  その電話が済んで、約束の一時になるまで、節子は、やはり落着かなかった。久美子がどのような男性を連れて来るか興味があった。叔母の話では、その新聞記者という青年と久美子とが、どうやら恋人に近い仲だという。昨夜夫も言ったが、久美子の小さいときを知っている節子には、何か改まった感じで彼女を迎えるみたいだった。  陽射しが真上に来て、庭の樹の影が地面に狭くなったころに久美子は当の青年を連れて来た。  節子は、新聞記者という職業からその青年に一つの型を予想していたが、初対面の添田は、その予想を裏切っていた。どこから見ても、普通の平凡な会社員タイプだった。多少、それと思わせるのは、頭髪がもじゃもじゃと縮れている程度だったが、青年の見せる態度は律儀《りちぎ》で、口数も少なかった。  彼は名刺を出したが、節子はそれで彼の名前が「添田|彰一《しよういち》」だと知った。勤めている社は一流新聞社だった。被《き》ている洋服の好みも地味だし、色も柄もおとなしかった。背が高く、すこし頬骨が出ているのが印象的だった。  予告の通り、昼飯を済まして来たというので、節子は女中に言いつけて、コーヒーや果物などを出した。それを静かに受けている添田彰一の様子には、普通いわれている新聞記者らしい傍若無人さは無かった。小心な若いサラリーマンという印象である。  久美子は、いつもよりは節子に遠慮そうにしていた。しかし、別にそれは臆しているという様子でもなく、適当に青年と二人だけで話し合ってもいた。節子が聴いていて、控え目だが、いかにも明るい会話なのである。  昨夜、夫が呟《つぶや》いたことだが、近ごろの新聞記者はタネが無くて何にでも食いつく、といった態度は、この青年記者の様子からは感じられなかった。それほど添田彰一は新聞社の人間らしくなかった。  三人の間に、時候の話や短い世間話があった末、久美子が今日の訪問の目的を披露《ひろう》に及んだ。無論、添田彰一から言い出すべき話なのだが、久美子が前置といった恰好であった。 「お姉さま。添田さんね、お電話で申しあげたように、お姉さまの奈良でのお話に、とても興味があるとおっしゃるんです。もう一度話して頂けません?」 「まあ」  節子は、添田彰一に微笑を見せた。 「妙なことがお耳に入りましたのね?」  節子は、久美子の方をちらりと見た。多少、彼女のおしゃべりをたしなめた意味でもあった。久美子がくすりと笑ってうつむいた。 「いや、ぼくは、とても興味を持ったんです」  添田彰一は真面目な顔を節子に向けた。  節子は、前から気づいていたのだが、彼の眼は少し大きかった。それも不快な感じでなく、人懐《ひとなつ》こいものが眼許《めもと》にあった。 「久美子さんのお父さんのことは、大体ぼくも聴きました」  添田彰一は、やはり控え目に言った。 「無論、公報もあったことだし、戦時中、外国で亡くなられたことは確実だと思います。が、奥さんが奈良で、久美子さんのお父さんの筆蹟に似たのをご覧になった話は、何かぼくに妙な気持を起こさせたんです」 「妙な気持とおっしゃいますと?」  節子は、おだやかに訊き返した。 「そう深い理由はありません」  添田彰一は、やはりおとなしい声で答えた。 「ただ、その似た筆蹟を久美子さんのお父さんが好きだった土地で発見なさったことに、妙に惹《ひ》かれたんです。ぼくは、そのお話を奥さんからもっと詳しく伺いたくなりました」  節子は、なぜこの若い記者が叔父の野上顕一郎に興味を持つのかと思った。一つは、彼が久美子と恋仲になったので、彼女の父親のことを知りたいためかもしれなかった。が、それなら、なにも奈良で叔父の筆蹟を見た節子の所に話を聴きに来る理由はなかった。久美子なり、その母親から聴けば充分なのである。 「どうしてそんなことに興味をお持ちになりますの?」  節子が訊いたとき、添田彰一は、 「ぼくは、目下、人生に何にでも興味を持つことにしています」  といった。その答え方が言葉にもかかわらず、不思議とキザには聞こえなかった。それは添田彰一の持っている地味な雰囲気によるせいかもしれない。が、何よりも彼のその表情が大そう真面目であることだった。  なるほど、新聞記者というものは人生に興味を持つことによってその職業が成立するのであろう。が、節子は自分が叔父の筆蹟に似た文字を発見したときに覚えたあの不思議な気持を、この青年がもっと冷徹に分析して感じているようにも思えた。別に根拠があってのことではない。なんとなくこの添田彰一なる青年を見ていると、そんな気持になった。  大体のことは、久美子が添田に受売りしているにちがいなかった。節子は奈良旅行の話を、ここで改めて添田に詳しく言った。添田は熱心な顔で、それを聴いていた。ときどきメモを出して書きつけるところなどは、やはり新聞記者らしい。話の内容は単純だから、それほど長い時間を要さなかった。 「久美子さんのお父さんの筆蹟は、大へん特徴のあるもんだそうですね?」  話を聴いた末に、添田は言った。 「そうですわ。若い時に、中国の米※[#「くさかんむり/市」、unicode82be]の書を手本にしていましたから、字体が大そう特徴がありますの」  節子はうなずいた。 「米※[#「くさかんむり/市」、unicode82be]の文字なら、ぼくも知っています」  と青年は言った。 「いまどき、ああいう字を書く人は滅多にいませんね。その寺の芳名帳の文字は、やはり奥さんがご覧になって、久美子さんのお父さんの文字をすぐに連想なさったくらいよく似ていたわけですね?」  添田は念を押した。 「そうなんです。でも、そういう字体を書く方は、世間にはほかにもあると思いますわ」 「それはそうですね」  添田彰一は静かな返辞をした。 「けれど」  と彼はつづけて言った。 「その文字が、久美子さんのお父さんの一番好きだったという奈良の古い寺で見つかったのが、ぼくには非常に興味を起こすんです。いや、こう言ったからといって、久美子さんのお父さんが生きていらっしゃるとは、無論、思っていません。ただ、ぼくが興味を持ったのは、そのことを機縁として、久美子さんのお父さんの最期を詳しく知りたい、という気持が出て来たのです」 「それはどういうことですの?」  節子は、相手の顔を見つめ、思わず自分の表情が硬くなるのを覚えた。この新聞記者の考えていることを察したからだった。 「いや、別になんでもありません」  添田彰一は、やはり律儀な顔で平凡にそれを否定した。 「ぼくは新聞記者です。お話から多少、職業的な興味を起こしたのは、戦時中の日本外交のことについて、日ごろから少し調べてみたいと思っていたからです」  節子は、その言葉で添田彰一の興味が野上顕一郎個人についてではなく、戦時外交の話を考えているからだと知った。 「今まで、戦時中の日本の外交官が、中立国でどのような外交をして来たかは、あまり書かれていません。終戦後、すでに十六年にもなるのですから、今のうちに、生き残っている人の話を聞いてまとめておいてもいいと思いますね」  節子は、ほっとした。例えば、自分の身体の周囲を締めつけていた空気が不意にゆるんだときの気持に似ていた。 「結構ですわ」  節子は讃《ほ》めた。 「きっといいお仕事になるにちがいありません」 「いや」  添田彰一は、ここで初めて顔をうつむけた。 「ぼくはまだ若造ですから、そう深い仕事ができるとは思いません」 「いいえ」  節子は首を振った。 「きっとユニークなお仕事になると思います」  この話の間、久美子は、始終、微笑を消さないでいた。もとからおとなしい娘《こ》だったが、今日は初めて添田彰一を連れて来たせいか、口数も少なかった。それでいて、絶えず節子と添田彰一との間に気を兼ねているところが見えた。 「ぼくは、外務省の村尾さんをお訪ねしようと思います」  添田彰一は、茶を飲みながら言った。 「久美子さんのお母さんの話でも、村尾欧亜局××課長が一番詳しいということですから」 「そう、その方が一番適当でしょうね」  節子も同意した。  村尾欧亜局××課長は、野上顕一郎が一等書記官のときの外交官補である。叔父の遺骨を持って帰ったのも村尾なのである。やはりその人よりほかにあるまいと思えた。 「でも、残念ですね」  添田彰一は、相変わらず控え目な言葉で言った。 「もうすぐ終戦になるという時に、久美子さんのお父さんが亡くなられたのですからね。せめて、日本に帰ってからだったらお心残りも少なかったと思います」  いつもそれは節子が考えていることなのである。久美子の方を見るとうつむいていた。  その若い二人が節子の家を出たのは、三時ごろだった。  秋の陽射しが植込みの木の影を伸ばしていた。赤い葉鶏頭《はげいとう》のある垣根の向うを、二人の姿は歩いて過ぎた。  節子は庭から見ていたが、葉鶏頭の色だけがいつまでも眼に鮮かに残った。人通りの少ない路なのである。  添田彰一が、外務省欧亜局の××課長村尾芳生に面会を申し込んだのは、その翌日であった。初め電話で言ったのだが、秘書のような男が出て、何の用件か、と訊き返した。  こちらは直接お目に掛かってお話を聴きたいから、時間の都合を聴かせてくれと言った。 「課長は大へん忙しいのです。大体の用件を聴かして下さい。課長にそう伝えますから。その上でこちらの時間をお報らせしたいと思います」  添田彰一は、じかに課長と話したい、といった。これを強硬に言ったので、当人の声に代った。今までのと違って、やはり重い中年の声だった。 「わたしが村尾です」  先方では事務的に訊いた。 「御用件は?」  添田彰一は、社名と自分の名前を改めて言って、 「取材上のことで課長さんにお目に掛かりたいのですが」 「難しい外交政策のことなどは、ぼくらには分かりませんよ。そりゃもっと上の方で訊いて下さい」 「いいえ、そういう用件ではありません」  添田は言った。 「ではどういうことですか?」  電話で訊き返す村尾課長の声は、あまり愛想のいいものではなかった。丁寧だがどこか突っ放したような冷たさがあった。官僚に共通な冷たい調子があるのだ。 「実はわたしの方で」  と添田は言った。 「“戦時外交官物語”といったものを取材して書きたいと思っています。村尾さんは確か、戦時中には中立国に駐在していらしたですね?」 「そうです」 「大へん好都合と思います。是非お話を伺わせて頂きたいんですが」  添田は頼んだ。 「そうですな」  電話の向うで、村尾課長は考えているようだった。その声の調子は今までの冷たさと変わって、満更《まんざら》脈が無さそうでもなかった。 「大した話はできないかも分かりませんがね」  と課長は遂に言った。 「それなら、今日の三時があいております」  その三時という時刻を告げるのに少し暇がかかった。これは手帳でも見てスケジュールを調べたものらしい。 「十分ぐらいで勘弁して下さい」 「結構です。有難うございました」  添田彰一は、礼を言って電話を切った。  ──その約束の午後三時、添田彰一は、霞ヶ関の外務省の玄関を入った。  欧亜局は四階だというので、エレベーターに乗った。  エレベーターの中でもそうだったが、四階に昇って、廊下を歩くと、外来客が多かった。いずれ何かの陳情団であろう。十二、三人もの組が何組もうろうろしている。廊下は、往来と同じだった。  受付嬢は、彼を応接室に通した。  添田は、そこで待たされた。窓際に歩いて外を見おろすと、秋の陽射しが下の広い道路に当たっている。車の通りが激しい。街路樹のマロニエの葉が美しかった。  足音がした。添田彰一は窓際を離れた。  入って来たのは、肥った男である。恰幅《かつぷく》がいいのでダブルの洋服がよく似合った。血色のいい顔と、髪の薄いのとが、新聞記者が見た最初の印象だった。 「村尾です」  課長は片手に添田の名刺をつまんでいた。 「どうぞ」 「お邪魔します」  添田彰一は、村尾課長と対《むか》い合って坐った。女の子が茶を運んで去った。 「電話で聴きましたが、どういうことをぼくに訊きたいんですか?」  髪も薄いが、口髭《くちひげ》も薄かった。唇の辺りに紳士的な穏やかな微笑がある。肥っているので、身体が椅子一ぱいだった。 「課長さんは中立国に駐在しておられましたが、それはずっと終戦までですか?」  添田彰一は、そのことを知っている。しかし、一応、当人に確かめるのがこういう場合の定石であった。村尾課長は、その通りです、と返辞した。 「ずいぶん御苦労なさったことでしょうね?」  終戦直前の日本外交がどのように困難であったかは想像できる。 「そりゃ苦労しました。なにしろああいう事情でしたからね」  課長はやはり穏やかな顔色だった。 「そのときの公使は、確か帰国されていたと思いますが」 「そうです」  課長は、くくれた顎《あご》を引いて承認した。 「代理公使格といいますか、公使の事務代理をやっていたのは、一等書記官の野上顕一郎さんではなかったですか」 「その通りです。野上さんでした」 「確か向うで亡くなられた?」 「そうです。大へんお気の毒でしたがね」  課長は静かな声で言った。 「野上さんも相当に苦労されましたでしょうね?」 「それは大へん苦労があったと思いますよ」  村尾課長は、そこで煙草をとり出した。 「なにしろ、野上さんの命を縮めたのは、その苦労が祟《たた》ったと言われるぐらいですからね。当時、ぼくは外交官補で、野上さんの下についていたが、みんな戦時外交のためにずいぶん苦闘しましたよ」 「野上さんの遺骨を持って帰られたのは、確か課長さんでしたね?」  添田彰一の質問に、初めて村尾課長は表情を曇らせた。 「よく知っていますね」  課長の方から新聞記者に眼を向けた。 「いや、それは、当時の新聞記事を調べて見て分かったことです。新聞には、課長さんが遺骨を抱いて引揚げたと出ていました」 「そう」  課長は、また煙を漂わせた。 「ところで、野上さんは学生時代からスポーツをおやりになっていましたね。殊に柔道は……」 「三段です」 「そうでした。三段でしたね。体格もご立派だったと聴いていますが」 「それがいけなかったんですよ。若い時からスポーツをあんまりやると、却って肺を冒されやすいんですな」 「ほう。では、野上さんは肺で亡くなられたわけですね」 「そうです。あれはいつごろだったかな? 昭和十九年の初めだったと思うが、胸の方がひどくなって、医者が転地を勧めました。一つは、今言ったように、戦時日本の外交が非常に困難であった。その苦労が余計に健康を害したわけですが、野上さんはどうしても承知しません。それで、当時、われわれ館員が無理に勧めて、野上さんをスイスにやったんです」  課長はゆっくり話した。眼を渋く細めたのは、当時の記憶を辿《たど》っているからであろう。 「すると、スイスの病院で亡くなられたわけですね?」 「そう。通知を受けたので、ぼくが遺骨を引取りに行った。非常に苦労してジュネーヴに行きましたがね」 「課長さんは、病院の医者に会って、野上さんの最期の模様を聴かれましたか」  村尾課長の表情から微笑が消えた。それまで薄い口辺に漂っていたおだやかな表情は、何か急に冷たいものになったのである。尤《もつと》も、その変化は添田が気をつけて見たから捉えたということもできる。目立たぬ変化だった。  課長はすぐには応えなかった。やはり視線を遠くに投げたままである。 「無論、話は聴きました」  返事があったのは、暫くしてからだった。 「野上さんは、三カ月間入院していたのですがね。遂に、不帰の客となられたわけです。当時の日本と違って、あちらは医薬品も豊富だったと思うから、これは諦めなければならんでしょう。御遺族には気の毒だが、日本に送り返しても、とてもあれだけの手当は出来なかったでしょう」  村尾課長は眼を伏せて言った。 「課長さんが、病院に到着されたときは、もう遺骨になっていたのですね?」 「そうです。ぼくが到着する二週間前になくなっていたのですね。遺骨は、名前は忘れたが、何とか言う病院長の手から渡されましたよ」  今度は、添田がしばらく黙った。この部屋の壁に掲げてある富士山の絵を眺めていた。高名な洋画家が描いたもので、朱で山の輪郭が括《くく》られていた。 「野上さんの最期は、どうだったのでしょう?」  新聞記者は、視線を課長の顔に戻して訊いた。 「至極、平静だったと聞きました。息をひきとるまで意識がはっきりしていてね。大事なときに仆《たお》れて申し訳がない、とそればかり苦にしていたそうですよ。無理もない、日本も臨終に近い重態だったからな」  村尾課長は、言葉を両方に掛けて、洒落《しやれ》たつもりかもしれなかった。が、課長自身も、添田も笑わなかった。 「当時の新聞記事によると」  と添田は言った。 「野上さんは、中立国に在って、複雑な欧州政局の下に、公使を補佐して、日本の戦時外交の推進に尽力、とありますが、具体的には、どういうことをなさったのでしょう」 「さあ」  村尾課長は、俄《にわ》かに、ぼんやりした顔になった。久しぶりに微笑を見せたが、これは、人が答えたくないときにつくる、あの曖昧《あいまい》な薄笑いであった。 「そりゃ、ぼくには、よく分からない」 「しかし、課長さんは、当時、外交官補として、ご一緒にお仕事をなさったのでしょう?」 「それは、しました。しかしね、実際を言うと、野上さんひとりでやったようなものだった。平和なときの外交ではない。本国との連絡も、連合国側に邪魔されて不自由だった。一々、請訓しては居られない。勢い、野上さんの判断でやることになり、行動も自分だけになり勝ちだった。ぼくら、館員も、一々、相談を受けることもなかったな」 「しかし」  添田は粘《ねば》った。 「課長さんは、野上さんの傍についていらしたのですから、野上さんが、どのような外交をしていたか、およそ判ると思うんです。それを聞かせて頂きたいんです。詳しいことでなくても、概略でも結構ですが」 「さあ、それは、ちょっと困るね」  村尾課長は今度は即座に答えた。 「これは、まだ公表する時期ではありません。終戦後、かなり経ってはいるが、まだ、いろいろと発表には差し障りがあるのでね」 「十六年経っていてもですか?」 「そりゃ、そうさ。当時の人がまだ生きている。その人たちに迷惑をかけることになります」  村尾課長は、そこまで言って、はっとして口を閉じた。微笑が急に消え、眼の表情が変わった。うっかりしたことを言った、という後悔の表情であった。 「迷惑を受ける人がある?」  添田彰一は、それに喰いついた。先方がドアを閉めようとするのに、こちらが素早く、隙間に片脚をさし入れて、それを開かせようとするのに似ていた。 「それは、どういう人たちでしょう? もう、平気だと思いますがね。それとも、まだ、当時の外交の秘密が生きているのですか?」  添田は、皮肉を利かせて、課長を憤らせ、口を開けさせるつもりだった。  村尾課長は、腹を立てた様子はなかった。彼は静かに椅子から起ちかけた。尤も、このとき、事務官が応接室の入口に姿を現わし、課長を呼びに来たからでもある。 「約束の時間だから、これで失礼します」  彼は、わざわざ時計を出して見た。 「課長」  添田彰一は呼びとめた。 「野上さんの当時の外交ぶりを公表すると迷惑をうけるというのは、誰ですか。それを聞かせて下さい」 「ぼくが、その人の名前をあげると、君は、その人のところへ話を聴きに行くつもりかね?」  村尾課長は、添田を眺めて眼を細めた。薄い唇が笑いそうにしていた。 「はあ、都合によっては」 「じゃ、言ってあげよう。会ってくれるなら君がインタビューを申し込むんだね」 「教えて頂けますか?」 「言いましょう。ウィンストン・チャーチルです……」  村尾課長の広い背中が、応接室を出て行くのを、添田彰一はぼんやりして眺めた。眼に残っているのは、課長の皮肉な唇のかたちであった。      4  添田彰一は、腹を立てて、外務省を出た。  ウィンストン・チャーチルに訊けか。──バカにしていると思った。  村尾××課長の表情が、まだ眼に残っていた。顔つきもそうだったが、言い方が官僚らしい皮肉なものだった。履歴は一高、東大の秀才コースである。そういえば、いかにも冷徹な秀才が言いそうな皮肉である。  添田は、外務省の横の舗道を歩いた。  後ろから、社旗を立てた自動車が寄って来た。  添田は、独りでしばらく歩いてみたかった。が、今まで待たせた運転手への気兼ねもあって、帰すこともできなかった。 「どちらへ回ります?」  運転手が背中越しに訊いた。 「そうだな」  社にすぐに帰る気持は無かった。 「上野にやってくれ」  歩く場所が欲しかった。上野と言ったのは、漠然とその場所を考えてのことだが、実際に自動車が上野の坂を登り始めると、運転手から二度目の行先を訊かれた。 「どちらへ着けますか」  忙しい運輸部から出してもらっている自動車である。まさか散歩のためとは言えなかった。  林の向うに、青磁色の鴟尾《しび》を載せた博物館の屋根が見えていた。 「図書館通りで待ってもらおうか」  偶然に口から出た言葉だった。  添田は、学生時代に上野の図書館に通ったものである。学校を卒業して社に入ってからは、何年も行ったことがなかった。図書館の前から国電の鶯谷《うぐいすだに》へ抜ける道は、添田の好きな道の一つである。古い廟《びよう》があったり、墓があったりした。  車は、博物館の前を素通りして、右に曲がった。  昔ながらの図書館の建物が近づいた。車は、古びた建物の玄関前で停まった。 「お待ちしますか?」 「そうだな」  添田は、降りてから言った。 「帰ってもらおうか、時間がかかるから」  社旗を翻して車は走り出した。  添田は、入口の石段の所で立って居た。別に図書館に入る用事はない。通りは昔のままである。眺めていると、学生が四、五人歩いていた。  添田は、その道を歩くつもりでいた。外務省で村尾課長から受けた屈辱感が、胸にまだ黒い澱《おり》になって沈んでいた。何年も来なかった懐かしい道を歩きながらこの気持を散らしたかった。晴れた日で、陽射しも落着いているのである。  添田が歩きかけて、ふと心に浮かんだのは、自分の立って居る場所が図書館だということだった。この現在の位置が、改めて彼に一つの考えを急に起こさせた。  古い図書館の中に入るのは、昔の思い出に浸るようなものであった。薄暗い中で入館票を貰うのも、何年かぶりである。小さな窓口で、年老いた館員が黙って呉れるのである。その老人は、無論、添田が学生時代の時の人物とは違っていたが、同じように年老いているところは変わりはなかった。彼は懐かしくなった。  本を借りるのに、当時のやり方とは多少違っていたが、建物の古びていることは相変わらずである。添田は、学生達の群れている中を入って、索引カードの並んでいる部屋に入った。当時よりも部屋は広くなっていた。  係が正面に居た。此処《ここ》で自分の欲しい本の分類を訊くのである。 「昭和十九年ごろの職員録?」  係は、まだ学生服を着ていた。添田が通った頃に馴染《なじ》んだ男は、係が変わったのか、辞《や》めたのか、薄暗いその窓口の中には居なかった。 「それなら、分類の××号を見て下さい」  添田は教えられたカードのケースの前に立った。夥《おびただ》しく並んだカードの棚の間を、昔のままの静かな足どりで何人かの人々がゆっくりと動いていた。  添田は、番号を伝票に記入し、本を貰うために別の部屋に行った。昔と変わりのない部屋である。其処《そこ》にも添田が知っている顔は無く、やはり若い人ばかりで本の出納《すいとう》をやっていた。  自分の本が書庫から出てくる間、長い椅子の上に彼は待たされた。学生時代にも見かけたような老人が、やはり閲覧者として神妙に待っていた。若い人ばかりが多い中に、こういう老人は相変わらず一人や二人は必ず居るものと思えた。総てが暗く、黴《かび》の澱《よど》んだ空気なのである。  添田は、分厚い職員録を借り出して、閲覧室に行った。学生の間に割込んで職員録を開いた。野上顕一郎が勤めていた中立国の公使館の項を探した。  当時のことで、在外公館は僅かだった。ヨーロッパでは五カ国にすぎない。添田は、次の名前を見出した。  公使 寺島康正《てらじまやすまさ》  一等書記官 野上顕一郎  外交官補 村尾芳生  書記生 門田源一郎《かどたげんいちろう》  公使館付武官・陸軍中佐 伊東忠介《いとうただすけ》  添田は、それを手帳に書き取った。昭和十九年三月現在である。館員がひどく少ないのは当時の情勢を語っている。  この内、寺島公使は死亡している。野上一等書記官も死亡している。村尾外交官補は無論、現在の欧亜局××課長である。添田の知識に無いのが門田書記生と伊東中佐の消息であった。村尾課長が野上顕一郎の死亡前後のことについて明言しないとなると、添田は、この書記生と公使館付武官に訊くよりほかはないのだ。  村尾課長が、チャーチルに聞け、と言った言葉は、彼の胸にまだ棘《とげ》となって残っている。添田が、ここまで意地になったのは、野上書記官の最期を知りたいという最初の動機に間違いはないが、村尾課長の皮肉な言葉が彼を煽《あお》ったといえる。  添田は薄暗い図書館を出た。穏やかな秋の陽《ひ》だったが、外に出たときの眼に、それが眩《くら》むような明るさで映った。  添田は長い塀に沿って歩いた。この辺は、添田が図書館通いをした頃と少しも変わっていない。崩れた塀もそのままだったし、廃墟だった将軍の墓所が多少片付けられている程度で、殆ど昔のままである。歩いていて忙しそうな人に会わないのも、心が落着いた。学生が多かったが、中には、ゆっくりと歩くのを愉しんでいる女連れもあった。高い梢で銀杏《いちよう》の葉が風にゆれている。  添田は、これから始める仕事を考えていた。門田書記生のことは、外務省に行けばわかる。厄介なのは、伊東武官が現在どこに居るかということだ。この人を探し出すのには、相当、時日がかかるように思われる。  添田は、自分がこれからやろうとしている努力が或いは意味のないことのように思えた。なぜ、野上顕一郎にこのようにこだわっているのか。この一等書記官は、確かにスイスで病死しているし、外務省でその死亡を公表していることなのである。  添田が、野上の死亡事実を追及する動機になったのは、彼が久美子から聞いた芦村節子の話からである。奈良の古い寺に、久美子の父野上顕一郎に似た筆蹟が遺っていたことだ。最初、それは簡単に聞き流したが、あとになって、そのままに捨てられないものが心に起こってきた。その気持を完全に説明することは出来ない。  つまり、久美子の父によく似た筆蹟が奈良にあったことが、添田に、野上一等書記官の最期を知りたいという動機の暗示になったのはたしかである。  添田彰一は、それから各方面を駈けずり廻って、昭和十九年の某中立国公使館員の現在の状態を調査した。その結果、寺島公使は死亡、野上一等書記官死亡、門田書記生死亡であって、公使館付武官伊東中佐は現在どこに居るか判らなかった。  寺島公使と野上書記官との死亡は最初から判っていたが、調べの途中で、さらに門田書記生の病死が判明したのである。 「門田君かね。あの男は死んだよ。たしか、終戦後引きあげて間もなく、郷里の佐賀市で亡くなった筈だ」  添田の質問に外務省の或る役人は答えた。  添田は訊ねたい人を、これで一人失った訳である。残っているのは、公使館付武官伊東忠介中佐だけである。  伊東中佐についても、消息不明で、その生死も定かでない。当時の軍人関係のその後は最も判りにくいのである。  添田は、この調べで一通りの履歴を洗ったのだが、伊東中佐は大阪府布施市の出身であった。添田は、新聞社の大阪本社に連絡を取って、布施市役所で、伊東中佐のその後の状態を調べてもらった。ところが、戸籍面では死亡の事実は無いし、現在どこに居住して居るかは不明であった。  添田はがっかりした。折角、頼みに思った一人は死亡し、一人は行方不明である。外務省の村尾××課長は、これ以上、野上顕一郎の死亡について語るのを好まないようだし、また、添田も、彼を再び訪ねる気はしなかった。意地ずくでも村尾氏を通さずに他から調べ上げてゆきたかった。  添田は、数日を憂鬱な気持のうちに過ごした。野上顕一郎についての手掛りは、村尾芳生氏を壁として、ここでばったり跡絶えたのであった。  最後の望みは、行方不明の伊東武官である。旧軍人関係から調べると、或いは判るかもしれないと思い、随分その方面に詳しい記者に手を廻してもらったが、結局判らなかった。誰も、一中佐の消息など知らないようだった。  添田が何か頻《しき》りと調べている様子を見て、 「一体、何をやっているんだね?」  と訊いた友だちがいた。  親友だったので、添田は、自分の調査のことを話した。尤も、野上顕一郎氏のことには触れないで、当時の戦時外交の在り方について材料を集めるために、某国駐在公使館の事情を知りたいのだと理由を言った。  その友だちは、方法を思案してくれた。 「いいことがあるよ」  と、彼は教えてくれた。 「その頃の在留日本人に当たってみたら、どうだろう? 君は公使館の職員ばかりを考えているが、一般の在留民を探す方法だってあるよ」  しかし、在留民が野上顕一郎の死の真相を知る筈がなかった。公使館という政府の出先機関の中では、僅かな在留民は締め出されていた筈である。 「もっと公使館に接触してた人間がいるといいんだがな」 「そうだね、そういう人が居るといい」  友人は、また考えてくれた。 「それなら、一ついい考えがある」 「何だね?」 「新聞記者だ。こいつは公使館員ではないが、殆ど公使館に出入りして情報を取っていたにちがいない。だから内情には通じている筈だよ」  特派員のことであった。だが、昭和十九年頃、新聞社は果してヨーロッパに特派員を置いていたであろうか。 「居るよ。ちょっと有名な男だがね」  と、友人は自分の思いつきを話した。 「誰だい?」  添田は考えるような眼になった。 「滝《たき》さんだよ。滝|良精《りようせい》氏さ」 「滝良精──」  添田はあきれた。  滝氏なら、添田の勤めている新聞社の元編集局長である。なるほど、その友人が言った通り、滝氏は、大戦中、或る国の特派員であり、あとでそこを脱出して、スイスに滞在していた。  滝氏は帰国すると、外報部長から編集局長となり、論説委員となったが、五年前に退社して、現在、世界文化交流連盟の常任理事をしている。 「たしかに、滝氏がそうだったな」  添田は、かえって友人に教えられた恰好だった。あまり近いので、すぐには気が付かなかったのである。 「どうだい、滝氏なら話してくれるだろう。社では君の先輩だし、現在、文化団体の理事という気楽な立場にあるから、自由に話してくれるよ」 「よかった」  添田は言った。 「早速、滝氏に会ってみよう」  添田彰一は、滝良精氏を直接には知らなかった。社の先輩として、名前は充分過ぎるくらいに聞いていたが、面識は何もないのである。  添田は平記者にすぎない。一方は、編集局長から論説委員になった大記者である。添田の社の先輩だといっても、地位には格段の相違があった。仕事の上でならとも角、滝氏に野上顕一郎のことを訊きに行くのは、あまりに唐突すぎた。  普通だったら、社の名刺を振り廻して、取材にかこつけても話を取りに行くところだったが、滝氏ではそれが出来ない。誰か伝手《つて》を求めなければならなかった。  社で滝氏の直系の子分は相当いる。添田はその中から比較的自分に近い人を探した。それには、現在の調査部長が適当だった。調査部長は、滝氏の直系である。添田とも知らない顔ではなかった。  調査部長は、添田の頼みを聴いて、紹介状を書いてくれた。それも名刺の裏に走り書きしただけである。 「何を聴きに行くんだね?」  調査部長は、一応訊いた。 「滝さんが、戦時中、欧州に居た頃の話を聴きたいと思います」  調査部長は温厚な人だった。世界文化交流連盟常任理事滝良精氏は、いつも世界文化会館に来ている、と教えてくれた。  高台の静かな一角に、世界文化会館は建っていた。付近は、外国の公使館や領事館が多いから、閑静な場所である。緩《ゆる》やかな丘の起伏がそのまま道の勾配《こうばい》になっていた。坂道は|甃 (いしだたみ)を刻んでいる。  蔦《つた》かずらの生えている古い長い塀が続き、茂った植込みがどの邸からも覗いていた。事実、その界隈《かいわい》は、林の間に洋館が見え、其処から異国の国旗がはためいているといった、エキゾチックな地域である。  世界文化会館の建物の内が、すでに異国的であった。泊まっている客が外国人ばかりなのである。難しい規約を設けて、資格の有る外国紳士でなければ此処は利用出来ないことになっていた。旧財閥の別邸だった跡である。  添田が廻転ドアに身を入れてフロントに立つと、事務員が三人ばかり、忙しそうに外人と話をしていた。 「どういう御用事でしょうか?」  ようやく客の用が済んだ一人が、待っている添田に向かった。 「滝さんにお会いしたいのですが」  添田は、自分の名刺と紹介状を書いた調査部長の名刺とを一しょに出した。事務員は、電話で訊き合わせていたが、 「どうぞ、ロビーの方へお越し下さい」  とその方向に指を向けた。  二階がロビーになっている。日本式の廻遊庭園を見下ろすようになっているし、大きな庭石は、元の所有主が金にあかせて蒐《あつ》めたものである。  ロビーには、やはり外国の客ばかりが坐っていた。  滝良精氏が現われたのは、三十分ばかり待たされた挙句《あげく》だった。そろそろ退屈して大理石の床《フロア》を徘徊《はいかい》したい欲望を起こしかけた時だった。  滝氏は、頑丈な体格で、背が高い。眼鏡を掛けた顔は彫《ほ》りが深く、手入れの届いた半白の髪も、日本人離れした特徴のある面貌に相応《ふさわ》しい。実際、添田が椅子から立って正面に向き合った時、圧倒されるくらい滝氏は堂々としていた。外国人の間に立ち廻って決してひけを取らないだけの貫禄《かんろく》を思わせた。 「滝です」  添田の名刺を指に摘《つ》まんで、理事は言った。添田が挨拶すると、 「お掛けなさい」  と椅子を手で示した。その身ぶりにも威厳があった。 「どういう用件ですか?」  世間話は一切抜きだった。そういうところも外国風なのである。 「滝さんがジュネーヴにいらした時のことで、少しお伺いに上がりました」  添田は、滝氏の顔を真直ぐに見て言った。 「ほう、古い話を聴きに来るもんだね」  縁無《ふちなし》眼鏡の奥にある滝氏の眼は、緩やかな小皺を畳んでいた。血色が外国人並みにいいのは、ふだんの食べ物からして日本人離れしているせいかもしれない。 「滝さんも御承知と思いますが、昭和十九年に、ジュネーヴの病院で亡くなられた、野上一等書記官のことで伺ったのです」  心なしか、縁無眼鏡の奥の眼がきらりと光ったように思えた。細い眼だったが、瞬間に鋭くなったのである。  暫く返事が無かった。ゆっくりとポケットを探したのは葉巻を出すためである。 「滝さんは、当時、向うにいらっしゃいましたね、野上書記官をご存じでしたか?」  理事は、ライターを鳴らして、俯向《うつむ》いて葉巻に火をつけた。 「お名前は聞いているが、直接には存じあげないね」  理事は、烟《けむり》を吐いて答えた。 「しかし、滝さんは、野上さんがあちらの病院で亡くなったことは、ご存じでしょう?」 「そりゃ聞きました」  という返事もすぐにあったのではない。かなり間をおいてからだった。 「野上さんの最期はどうでした? 大変に向うでお仕事のことで御苦労なさったと聞いていますが、やはりその過労で病気になられたのですか?」 「そうだろうね」  素《そ》っ気《け》がなかった。 「当時の、日本の外交のことは、滝さんが向うで特派員でいらしって、充分、御承知だった筈です。あの頃、公使が病気で帰国し、野上さんが公使代理だったと思います。だから、連合国と枢軸国の間に立って、日本の困難な外交をやっていた野上さんの苦心は、滝さんが現地に居てよくご存じだったんでしょう」 「その通りです。野上さんは、終戦一年前に亡くなられたんですからね。そりゃ病気で亡くなるほど大変な苦労だったでしょう」  あまり気の乗らない口調で答えた。 「滝さんはジュネーヴにいらしって、野上さんの臨終の模様をお聞きになりませんでしたか?」 「知らないね」  その返事はすぐにあった。 「君、ぼくが知る訳はありませんよ。ぼくは新聞の特派員で、当時の中立国を通して、大戦の模様を本社に通信していただけだからね。一外交官の最期など興味もないし、また、公使館の方で報らせてもくれなかった」  添田は、今度も壁と向かい合っていることを意識した。何と言っても、こちらの言葉がボールのように跳ね返るばかりなのである。滝良精氏は、クッションに背を凭《もた》せ、足を組んで、悠々としている。その恰好が添田を見くだしているようにも見えた。  添田は、滝氏に会った最初から自分の甘いイメージを微塵《みじん》に壊されたのを知った。同じ社の先輩というところから、添田は、滝氏に親密感を持っていた。自分のいた社の記者が訪ねて来てくれたのだから、滝氏は快く話をしてくれるものと予想していた。  ところが、滝氏は意地悪く思われるほど最初から冷たかった。何を訊いても、こちらの思うような返事をしてくれないのである。いや、それよりも答えようが無かったから止むを得ないが、その言い方には少しも後輩への思いやりがなかった。退社してからすでに五年、滝良精氏はもはや新聞社の人間から完全に離脱し、国際的な文化人として著名な存在に成り上がっていたためであろうか。添田は、ときどき総合雑誌などで見る滝氏の硬質な文章を、氏の人間に見る思いがした。  添田は、最初から滝氏を選んだことを後悔した。この人物に会ったのは失敗である。彼は出しかけていたメモをポケットに納めた。 「どうも失礼いたしました」  先輩への礼ではなく、新聞記者として会見した対手《あいて》への挨拶だった。 「君」  クッションに凭《よ》り掛かっていた滝良精氏が、葉巻を啣《くわ》えたまま身体を起こした。 「それ、なんだね、記事にするの?」  急にやさしかった。ここで声が変化したのである。添田は、初めは、個人的な問題だ、と断わって訊くつもりだった。が、先方が官僚のような態度だと、こちらも意地になった。まだ若いのである。  幸い、これは、材料が揃えば新聞に書けることだし、融通性があった。 「そうなんです。少し調べて、面白かったら書こうと思っているんです」 「どういう内容だね?」  滝氏は、添田の顔を覗いて訊いた。 「戦時日本外交の回顧、といったものをやってみるつもりです」  滝氏は、また葉巻を啣えた。眼鏡の奥の眼を閉じた。その僅かな間だけ、添田は、元編集局長を滝氏に感じた。 「せっかくだが、無駄だろうね」  滝良精氏は、後輩記者の着想を粉砕した。 「なぜですか?」 「面白くないよ。それに、今ごろ、意義が無いだろう。黴《かび》の生えた古臭い話だ」  さすがに添田は腹を立てた。これが滝氏でなかったら、いや、社の先輩でなかったら、彼は突っかかって行くところだった。 「御意見は大へん参考になります」  それだけ答えて、添田は、スプリングの利いたクッションから起ち上がった。辺りは外国人だけの世界である。老夫婦が密《ひそ》やかに話していた。若い夫婦が、子供を勝手に走り回らせていた。そういう馴染めない雰囲気の中である。  添田は、磨きの掛かった床《フロア》を歩いて玄関を出た。自動車《くるま》に乗って、帰り途に着いたが、急に、腹立たしさが前にも増して起こってきた。この辺りの建物を見るように、滝氏は行儀がいいが、冷たいのである。同じ社に居た人間とは思えなかった。これが最初から、官僚出身の理事に会う肚《はら》だったら、覚悟が別なのである。先輩と思うから、腹に据《す》えかねた。  しかし、車の中で添田が気付いたことは、外務省の村尾課長も、今会った滝理事も申し合わせたように、野上顕一郎の死亡については話したがらない。村尾課長の場合は、皮肉な揶揄《やゆ》で彼を斥《しりぞ》けた。滝理事の場合は、あの床《フロア》を固めている大理石のように、磨きの掛かった態度で冷たく拒絶したのである。  二人とも、なぜ、野上一等書記官の死に触れるのを厭がっているのか。今まではそれほど強く思わなかったが、添田にはっきりした形をこの時から取らせたのは野上顕一郎氏死亡の真相の追及だった。      5  添田彰一は、久美子の家に電話をかけた。電話口に出たのは久美子の母だった。 「まあ、添田さん、暫くですのね」  孝子は静かだが、明るい声で言った。 「ここんとこ御無沙汰しています。あ、そうだ。この間は御馳走になりました」  添田は礼を言った。 「いいえ、お構いもしませんで。その後お見えにならないので、どうなすっていらっしゃるかと思ってましたわ」 「いろいろと社の仕事でとり紛れていたんです」 「お仕事がお忙しいの、結構ですわ。今日は久美子がちょっと留守をしていますので」  孝子の方から言った。 「お帰りは遅いでしょうか?」 「なんですか、久美子の友達に呼ばれて、その方のお宅に伺ったんです。そう遅くならないうちに帰ると思いますけれど」 「そうですか」 「あの、何かお急ぎの御用でしたら」 「いいえ、別に急ぐというほどではありません」  この電話の主は野上顕一郎の妻なのである。その声をナマに聞いているのが、何か奇妙だった。 「よろしかったら、夕方からでも、うちにいらっしゃいません? そのうち久美子も帰って来ると思いますわ」 「そうですね」  添田は、久美子に逢いたかった。  彼女の父親の野上顕一郎の死を知りたい、と決心した今は、なんとなく久美子に逢いたいのである。逢っても彼女から何も聴けるわけはないが。 「ね、是非、そうなさいませよ」  孝子は、しきりと勧めた。添田もその気になった。 「では、お邪魔いたします」 「そうですか、お待ちしていますわ」  添田は、約束どおり、その夕方、久美子の家に向かった。  ──久美子の家は、杉並の静かな通りにあった。付近は、幹の高い木立の群れが残っている。花柏《さわら》の垣根の続くひっそりした界隈だった。その一つの垣根の中に、彼女の古びた家が包まれていた。  門札には「野上|寓《ぐう》」と出ている。辺りは暮れていたが、添田を待っているのか、明るい灯が外まで洩れていた。  添田彰一が小さな玄関に立つと孝子が出て来た。この家には女中が居なかった。玄関の灯を背にした彼女は、添田をいそいそと迎えた。 「いらっしゃいませ。お待ちしてましたわ。さあ、どうぞ」  添田は靴を脱いだ。  通されたのは六畳の客間だった。狭い家だが、調度の置き具合などはいかにも落ちついている。 「しばらくでございましたわね」  孝子は添田に挨拶した。  細面《ほそおもて》で寂しい面《おも》ざしだった。久美子に似ているが、それよりも古風なのである。母は若い時はきれいだった、と久美子が言ったが、その通りにちがいなかった。  床には掛軸があったが、添田によく読めない漢詩である。この家の主人が外交官時代に引き立ててもらった或る老政治家の書だった。その前に香がゆるやかに立ち昇っていた。 「今夜は、久美子がまだ帰りませんのよ」  孝子は茶碗を置きながら言った。 「そうですか。いつもこんなに遅いんですか?」  添田は、間《ま》の悪そうな顔をした。 「いいえ、いつもは早いんですけど、どうしたのか、今日に限って遅うございますわ」  孝子は、すこし笑った。 「わたくしはまた、どこかに添田さんのお供をしているのか、と思っていましたわ。電話を頂戴するまで、そう考えていたんです」 「この前、お目にかかったきりですよ」  添田は真面目に答えた。  添田は、これまでこの家に遊びに来たことはあるが、夜の訪問は今が初めてであった。それも孝子だけなので、平気になれなかった。やはり気詰りである。 「どうぞ、お楽に遊ばせよ。そのうち、久美子も帰って参りますわ」 「はあ」  添田は、ぎごちない動作で抹茶《まつちや》をのんだ。 「今晩は、久美子さんもですが、実は、お母さまに用事があって来たんです」  添田は、孝子のことを、久美子の立場になって、お母さま、と呼んでいた。奥さん、と言うのもおかしいし、野上さん、と言うのも妙だった。 「あら、そうですか。何でしょう?」  孝子は、御相伴《ごしようばん》に飲んでいた茶碗を手許に措《お》いた。眼もとに微笑を見せて、少し首を傾《かし》げた。 「この間、久美子さんから伺ったのですが、芦村さんが奈良で、久美子さんのお父さんの筆蹟によく似た文字を、ご覧になったそうですね?」 「ああ、節ちゃんね」  孝子は鼻に皺を寄せて微笑した。 「なんだか、そんなこと言ってましたわね。お寺の芳名帳かなんかにあったんですって。その話、久美子がとても興味を持ってたようですが」 「そうなんです。実はぼくもそれを聞いて面白いと思ったんです」  添田は答えて、孝子の顔を見ていた。  彼女の夫の話なので、表情に変化があるかと思っていると、普通のままだった。添田が予期したような変化は起こらない。やはり静かな女《ひと》だった。 「添田さんまで」  孝子は眼を挙げて笑っていた。 「どうしてですの?」 「外国でお亡くなりになった御主人の筆蹟は特別だったそうじゃありませんか。たしか|米※[#「くさかんむり/市」、unicode82be]《べいふつ》という中国の古い書家の流儀だそうですね?」 「ええ、変わった字でしたわ」 「それとそっくりな字を書く人があるのは、面白いじゃありませんか。今どき、そんな古い書を習っている人があると思うと、ぼくらには案外です」 「そうかしら。米※[#「くさかんむり/市」、unicode82be]という人は、案外、有名じゃないでしょうか。でも、あの癖は、わたくしもよく知っていますが、ちょっと変わっていますわね。姪《めい》の節子なんか、主人《たく》がまるで生きているように、お寺を探して歩いたそうですわ」 「芦村さんの気持は、よく分かると思うんです」  添田は言った。 「やはり懐かしかったのでしょう。それで、ぼくもちょっと感動したのですが、こちらに御主人の筆蹟がありましたら、一枚、拝見させて頂けませんか」  添田の最初からの用事がそれだった。唐突に申し出たのでは無躾《ぶしつけ》に見られるし、迂遠《うえん》な言い方をすると埒《らち》があかない。結局、正直に言うほかはなかった。 「それはありますわ。なんですか、主人はしょっちゅう、赤い毛氈《もうせん》を敷いて、紙を置き、いつもわたくしに墨をすらせていましたわ。道楽なんです」  孝子は愉しそうな顔をした。 「お見せしますわ」  孝子は座敷を出て行ったが、すぐに戻って来た。手に包紙を抱いていた。 「これですわ。あんまり上手な字ではありませんが、とに角、お目にかけます」  包みを解《と》くと、筒のように丸めた紙が幾つかあった。孝子はその紐を解いたが、その丁寧な手つきは、夫の思い出をここに拡げる愉しさがあった。  添田は、それを見た。なるほど、変わった字である。あまり一般には馴染めない書体だった。 「こんな字が得意だったんですのよ」  孝子は、添田が眺めている横で言った。 「ちっとも感心なさらないでしょ?」 「いや、なんだか、変な書体ですが、惹かれそうなんです。あんまり整いすぎた字だと、親しみがありませんが」 「それは、主人のせいではありませんわ」  と夫人は言った。 「お手本のお師匠さんがいいからでしょう。受売りですけれど、主人がこの変わった書家の書体を真似たのは、その中に一種の禅気といったようなものがあるからだ、と言ってました。わたくしは、いくら見ても分からないんです。だから、お前には眼がないんだ、と言って、よく叱られましたわ」  孝子の言い方には、まだ追憶の愉しさが含まれていた。 「でも、添田さん、どうして主人のことを、そう気にかけて下さいますの?」  孝子は訊いた。 「終戦前に、中立国の外交官として、ずいぶん御苦労なさったんでしょう。ぼくは、そのことに興味があるんです。もし、御無事でお帰りになったら、いろいろ面白いお話を伺えると思うんですがね」 「そうですね、主人はあんなふうに、暇さえあれば古いお寺をまわっていたでしょ。ですから、多少、文学趣味があったかも分かりませんね。学生時代は、同人雑誌なんかに関係していたことがある、と言ってましたが」  孝子はやはり愉しそうに話をつづけた。 「ですから、筆まめな方なんです。主人が外国から生きて帰っていたら、当時のことを手記にしていたかも分かりませんね」 「そりゃ大変だ。そういうメモが出たら、貴重な記録になるでしょうね」  事実、敗戦前の日本の外交事情を、中立国に駐在している側から書かれた手記は、これまであまり無いのである。 「ぼくは、ああいう状態で亡くなられた御主人が、本当にお気の毒だと思います。実際、どれだけ御苦労なさったか分からないと思います。その疲労が、とうとうお身体を蝕《むしば》んだのでしょう。学生時代からスポーツなどをなさって、頑丈な体格だったそうですね?」 「そうなんです。若いときはまるで山男みたいでしたわ」 「惜しかったですね。ぼくは、御主人のことから、終戦当時の日本外交官の仕事を調べてみたいと思いついたんです。自分ながらいい仕事だと思って、張り切ったんですが」  村尾課長や滝氏などが、妙にこの問題を忌避していることには触れなかった。  何故、彼らはそれに触れたがらないのだろう。野上顕一郎のことになると、当時の事情を知った周囲が、不思議と黙るのである。それも暗い顔だった。  眼の前に坐っている人は、その野上顕一郎の未亡人である。が、この人の顔は明るい。それは野上氏の死の実際を知っている人間と、知らされていない人間との違いのような気がした。 「久美子、遅いわね」  孝子は、時計を見た。 「折角いらしたのに、すみませんね」 「いや、いいんです」  添田は、少し顔を赧《あか》らめた。 「また、いつでも久美子さんにはお逢い出来ますから。今夜は、この書を見せて頂いてよかったと思います」  添田は、いつかは野上氏の死をめぐる真相を突き止めようと思っている。これは孝子には言えないことだった。野上氏の病死には暗い何かが付きまとっている。何かがある。 「それはそうと」  孝子は急に添田の顔を見た。 「添田さんは、お芝居はお嫌いですか?」 「なんですか?」 「歌舞伎なんです。ちょうど切符を二枚送って頂きましたのでね、なんでしたら、久美子とご一しょなさったらどうかしら。明後日《あさつて》の夜、ご都合つきません?」  母親らしい心遣いを見せた。彼女は添田を久美子の将来の結婚の相手として満足していた。 「二、三日前、外務省の方から、突然、送って頂いたんです。これまでそんなことがなかったので、びっくりしました。でも、久美子は喜んでいて、ぜひ、わたくしにも行けと言ってるんです。けれど、歌舞伎はそう好きではないので、添田さん、よかったら、久美子を連れて行って下さいません?」 「はあ、それは」  と言ったが、添田はふと気づいた。 「いま、切符はこれまで送って来ることがなかった、とおっしゃいましたね?」 「そうなんです、初めてですわ」 「送って下さった方は、外務省のどなたです?」 「お名前は書いてありましたけど、わたくしに心当たりのない方ですわ。きっと、主人の部下の方かも分かりません。時折、そういうご好意を、突然、見せて下さる方があるんです。どなたかと思うと、主人に目をかけられたと言って、当時の部下の方だったと分かったりしますの」 「その切符の送り主は何とおっしゃいます? こういうことを訊いては悪いか知れませんが」 「いいえ、かまいません」  孝子は起《た》っていってその封筒を持って来た。 「これです」  添田は封筒の裏を返した。それには「外務省 井上三郎《いのうえさぶろう》」とあり、達者なペン書きだった。 「これには手紙が入っていませんでしたか?」  添田は訊いた。 「いいえ、それはなかったんです。切符二枚が封筒に入っていただけですわ」 「おかしいですな。何か手紙でも入れて来そうなもんですがね」 「いいえ、ときどき、こういうことがあるんですよ。思わぬときに立派な贈り物が来たりして、戸惑ったりします。やはり手紙など書くと、御自分のことをいろいろと言わなければならないからでしょうね。殆ど、黙ったまま贈って下さるんです」  添田は、そういう贈り方もあるものかと思った。生前の野上顕一郎氏に多少とも恩義を受けた者が、わざと自分のことを隠して、こっそりと未亡人に贈りたいのかもしれない。手紙はわざと入れないのが心遣いなのであろうか。  しかし、この二枚の観劇切符は、添田の心に引っかかった。 「この井上三郎さんという人はご存じないんですね?」 「存じません。一度もお見えになったこともなければ、文通もありません。きっと、主人の昔の関係の方だと思いますわ」 「折角ですが、これはやっぱりぼくは頂戴しないことにします」 「あら、どうして?」  孝子は眼を瞠《みは》った。 「この贈り主の方の意志どおりに、お母さまと久美子さんがご一しょに行かれた方がいいと思いますよ。それが贈り主の好意を受けることになると思います」  孝子は考えていた。 「そうかもしれませんね」  と小さくうなずいた。 「では、そうします。久美子とわたくしと二人で参りますわ」 「ぜひ、そうなさって下さい。ぼくはいつでもお供が出来ますから」  ここで添田は少し笑った。 「ところで、その切符をちょっと拝見させて下さい」  添田は、孝子の手からそれを受け取った。  座席番号は、3扉の「ほ」24と25とだった。添田はそれをメモに控えたかったが、孝子の手前では、何か下心を気取《けど》られそうなので止め、しっかりと記憶した。 「いい席ですよ。これは中央だと思います。見やすい所ではないでしょうか」 「そうですか、ありがたいわ」  3扉の「ほ」24、25──添田は口の中で呟いた。 「久美子、どうしたのかしら? ほんとに今晩は遅いわ」  孝子は顔を曇らせた。それは多少、添田への気兼ねもあった。  ちょうど、その言葉に合わせたように電話が鳴った。孝子がそこまで起って行くと、久美子からだった。 「あら、久美子、どうしたの?」  添田は座敷に坐って、声を聴いていた。 「そう、節子さんとこなの。それならいいけれど、もっと早く連絡しなくちゃ駄目よ。いま、添田さんが来てらっしゃいます」  孝子の声が跡切れたのは、久美子の話を聴いているからである。 「そう、じゃ、ちょっと待ってね」  孝子が帰って来た。 「久美子ったら、しようがないんですよ。姪の所に行ってるんです。なんですか、節子の主人が夕御飯に招《よ》んだとかって。添田さん、ちょっと出て頂けます?」 「はあ」  添田は起った。 「添田さん、ごめんなさいね」  受話器の奥で、久美子の声が響いた。 「いや、ぼくは突然、伺ったんです。いま、芦村さんのお宅ですか?」  添田は言った。 「そうなんです。おにいさまが御飯を御馳走して下さるって電話を頂いたので、こちらに来ました。すぐに帰るといいんですけれど、まだ時間がかかりそうなの」  久美子の声は快活だった。 「かまいませんよ。ぼくは、もうそろそろ失礼いたします。ああ、そうだ、そちらの奥さんに、ぼくがこの間、伺った礼を言っておいて下さい」 「そう伝えます。すみません。では、この次ね」  添田彰一は、二日後の夜、歌舞伎座に行った。  新聞社での仕事はあったが、それを早々に済ませた。切符はやっと二等席を手に入れた。其処は、側面の方の扉に近い一ばん後部である。  3扉の「ほ」24、25席は、前方に近い中央の席だった。  気を付けて見ると、そこに孝子と久美子とが並んで坐っている姿があった。  今日の久美子は、赤いスーツで、いかにも若い女性らしかった。孝子の方は、黒っぽい羽織である。残念なことだが、今夜の添田はあの二人に近づくことが出来ない。そういえば、二人に顔を見られることも避けねばならなかった。  添田の席からは、一階の全部の客が殆ど見渡せる。幕が開いているので、客は当然舞台に首を向けていた。  添田の期待は、その観衆の中の誰かが舞台よりも孝子親子に顔を向けていないか、ということだった。  添田は、昨日、一日がかりで外務省の名簿を調べた。また、外務省出入りの記者にも訊いた。すると、外務省のどの部にもどの課にも、井上三郎という人は存在しないとのことだった。愕きはなかった。添田が予想した通りなのである。  その予想は、今夜もつづいている。孝子と久美子の席を誰かが凝視していないか。また、この親子に話しかける者は居ないか。彼の注意はそれだった。  添田が入ったときは、すでに第一幕が開いていた。華麗な舞台である。満員の席の客は例外なく舞台に気を奪われていた。その間、よそ見をしている客の姿はなかった。添田の位置が最後部なので、一階だけは監視出来るのである。ただ、残念なことは、二階と三階とが彼の視角に入っていないことだった。此処からは左右両側の二階と三階の客が見える。が、彼の頭の上に出張っている天井の上は、どう藻掻《もが》いてみても、彼の視線に入らない。  第一幕は無事に済んだ。孝子と久美子は熱心に見ていた。ときどき、二人でプログラムを見ながら囁《ささや》き合っていた。  愉しそうだった。  それから十分の休憩となった。多数の観客が席から立って廊下へ出る。孝子と久美子もやはり席を立って、通路をこちらに歩いて来た。添田はあわてて席を逃《のが》れ、隅の方に行った。  母娘《おやこ》は、十分の休憩を、廊下の端にある溜り場のソファで過ごしていた。多勢の観客が立ったり坐ったり歩いたりしているので、添田が遠くから眺めているぶんには気づかれることはなかった。  誰も孝子母娘に話しかける者もなければ、また、二人の前に足を止める者もなかった。  添田は、さりげなく辺りの客を見廻した。歌舞伎座の客は、一種の贅沢《ぜいたく》な雰囲気を持っている。家族連れもいれば、芸者を連れた客もいた。華やかな振袖を着た一団の若い女性の群れもある。それに、どこかの会社の招待といった団体の人達が、胸に飾りリボンを付けてかたまって歩いていた。  そのようなさまざまな客の後ろから、添田は母娘を注視した。そっと見廻すが、添田のように遠くから母娘を凝視している者はなかった。大ていの者が、それぞれの話にひたっていたり、煙草を喫ったり、プログラムを見たりしていた。  開幕のベルが鳴った。人々につれて孝子母娘も扉の方に行く。添田はまた隠れた。  第二幕の間も同じことだった。添田がうしろから見ていて、赤いスーツの肩を見せている久美子と黒っぽい羽織の孝子に眼を向けている観客はやはり無い。添田は、賑やかな舞台よりもその方ばかりを注意し、眼にうつる限りの観客の動作ばかりを注目していた。  添田は後悔してきた。というのは、舞台の照明は明るいが、観客席は薄暗い。のみならず、この席にいては、二階、三階が盲点になっている。もし、添田の予想する人物が彼の頭の上に居るとなると、折角だが、彼の監視が役立たなくなる。  添田はあせった。彼は、途中から抜け出して二階や三階を駈けずり廻りたかった。が、開幕中では、それは許されない。  とに角、その幕は、添田の視野の中に格別の変化が起こらずに終わった。幕が降りて、また十分の休憩となる。場内の照明が明るくなり、観客は席を起ち始めた。  添田が見ると、孝子と久美子とが今度も歩いてきた。添田はまた隠れねばならない。添田が見まもっていることを知らない二人の様子は、彼を残念がらせもしたが、また愉しませもした。  二人はまた廊下に出た。添田は、人々の間に見え隠れしながら尾《つ》いて行く。今度は、二人は食堂の方にお茶を喫《の》みに行くようだった。食堂は狭い。いつもの添田だったら、つづいて入るところだが、今日は、入口の見える所にさりげなく佇《たたず》まねばならなかった。相変わらず、廊下には、着飾った婦人や、気どった男や、芸者や、団体客がそぞろ歩きをしている。  添田は煙草を喫《す》い、入口の見えるソファに腰掛けていたが、絶えず眼の油断はなかった。  五分間ぐらい経って、また久美子の赤いスーツが食堂から現われた。添田はまた待避した。ちょうど、その時、 「よう」  と声を掛けた者がある。部は違うが、同じ社の者だった。 「やあ」  添田は、仕方なしにその前に立った。  困ったことに、男は話し好きである。添田は迷惑しながら、眼は孝子と久美子の方に走らせていた。そのうち、廊下の曲り角に母娘の姿は消えてしまった。添田は引き留める対手《あいて》をいい加減に捨てて、あとを追った。  ところが、添田が目標にしていた久美子の赤い色が見えないのである。彼は狼狽《ろうばい》した。席に帰ったのか、と思って扉を開けてみたが、其処に見当たらなかった。居残った観客の間の何処にも姿がない。  添田は廊下に出た。それから、少し大股で別の角を廻った。その途端に、棒立ちになった。目の前の廊下に久美子の赤いスーツが見えたのだ。孝子の上品な着物もその横にあった。が、今度は二人だけで話しているのでなく、対手があった。添田が眼をむいたのは、母娘と対《むか》い合わせになって立ち話をしているのが、なんと、外務省欧亜局の村尾課長だったことである。  添田は、自分の位置を変えた。朱の太い柱の蔭なので、安全だった。其処から見える村尾課長は、添田が会ったときの冷たい皮肉な顔とは違い、ひどく如才なげな話し方をしていた。  村尾課長は、煙草をくゆらしながら孝子と話している。その愛想のいい顔は、添田が会ったときとはまるで違う。しかし、これは当然で、村尾課長にとっては、孝子は曾《かつ》ての先輩の夫人である。また、野上一等書記官の遺骨をジュネーヴから持って帰ったのも曾ての村尾外交官補である。そのような因縁から、二人が歓談しているのは当たり前だった。  村尾課長も今夜は観劇に来たらしい。見たところ、課長は一人で、別に同伴者はないようだった。尤も、他の方に行っているのかも知れないし、座席に残っているのかも分からなかった。が、今のところ、課長と孝子母娘とは偶然に廊下で行き会って挨拶を交しているのである。  孝子は永い間、村尾課長には会っていない、と聞いていた。だから、この偶然の出遭いは何年かぶりなのであろう。添田が見て、孝子の表情には、いかにもそれらしい懐かしさが溢《あふ》れていた。  村尾課長はにこにこと笑いながら話している。絶えず、添田と三人の間には通行者があって邪魔されるが、見たところ、それは何年ぶりかに出会った知人同士が久闊《きゆうかつ》を述べ合っている光景だった。久美子は母親の横に控え目に立って、微笑を泛《うか》べて聴いている。  その立ち話は、時間にすると、およそ五分ぐらいであったであろう。やがて開幕のベルが鳴ると、課長は孝子に丁寧に頭を下げた。話し声はこちらには聞こえない。その様子から察して、丁寧だが行きずりの挨拶程度であった。  廊下には人が少なくなっている。添田も其処を離れねばならなかった。  村尾課長と別れた孝子と久美子とは、こちらの方に引き返して来る。添田はまたあわてて別な所に移った。母娘の表情には、久しぶりに会った夫の旧友との話の余韻が、微笑となって残っている。事実、孝子にとって、懐かしかったにちがいない。  芝居は最後の幕になった。  添田はやはり母娘への注視を怠らない。しかし、変化はなかった。添田は、ろくに舞台の方を眺めないで、観客席の方ばかりを注意していた。添田が期待したことは、彼の見ているところでは遂に起こらなかった。  添田は、賑やかな舞台の動きをぼんやり眺めながら考えた。村尾課長が此処に来たのは偶然であろうか。 「外務省 井上三郎」という名前が、あるいは村尾課長が出したのではないかと、ふと思ったのだ。しかし村尾課長だったら、堂々と自分の名前を書く筈である。今、課長に会ったので、そこに結びつけてみる自分が少し勘ぐりすぎているような気もした。  それとなしに眺めていると、添田の視野には村尾課長の姿はない。彼もやはり添田の上に張り出している天井の座席に納まって居るのかもしれなかった。添田は、なんとかして上に行ってみたかった。  開演中だが、彼は座席をそっと立った。遠慮して通路を通り、ドアの外に出た。  階段を登り、二階に上がった。  正面のドアを静かに開けた。其処は二階の座席が後ろから一望に見える位置だった。舞台は下の方に沈んでいる。添田は、扉に背を凭《もた》せるようにして眺めた。  此処も階下《した》の観客と同じように、一心に舞台の方に顔が向いている。この位置からすると、孝子と久美子母娘の席は上から眺められた。添田は仔細に気を付けて見たが、どの観客も舞台を熱心に眺めているだけで、彼が期待している現象はなかった。  ようやく村尾課長の後ろ姿を発見した。それは正面の一番前の列だった。両脇を注意して見たが、片方は若い婦人で、これは夫らしい男と、ときどき、私語を交す。片方は着飾った若い女で、その連れの男とのつり合いから見て、芸者のようだった。この二人も、ときどき、話し合っている。その間、課長は、始終、一人で誰とも話していない。つまり、村尾課長はただ一人で来ているのである。  このとき、紺の制服を着た少女が、添田のそばにやって来た。 「恐れ入りますが、お座席の方にお帰りねがいとうございます」 「人を探しているんでね、もう少し此処に立たせてもらえないか?」 「それは、ちょっと困るんでございます」  懐中電灯を片手に持った少女は、几帳面《きちようめん》に言った。 「開演中は、お立ちになってはいけないことになっております。恐れ入ります」  添田は仕方なしにドアを開けて外に出た。  添田は階下に降りた。そのまま、また自分の席に帰る気がしなかった。廊下には僅かな人達しか見えない。廊下の脇に据えたソファに腰を下ろして、煙草を喫いながら話している人ばかりだった。添田は、その廊下を歩いて休憩室の方に行った。別に目的はない。この舞台も、あと十分か十五分であろう。それが終わるころ、また孝子母娘を見まもるつもりだった。  添田が入った所にも人がまばらだった。小さな展示場のようなものがあって、俳優の似顔や写真が並べてある。添田は、広い所で一人で煙草を喫った。  そのとき、外国人の一群が入って来た。いずれも夫婦連れのようである。添田は、その十人ばかりの人たちをぼんやりと見ていた。      6  東京都世田谷区××町といえば、名前は繁華に聞こえるが、まだ武蔵野の名残りがそのまま残っている田園地域である。東京都の人口が膨れ上がり、次第に郊外に伸びて来たが、まだ所どころ取り残されたような田園がある。この地域もその一つで、付近はまだ鬱蒼《うつそう》とした雑木林が到る処に残っている。  京王線|蘆花公園《ろかこうえん》駅と小田急線|祖師ヶ谷大蔵《そしがやおおくら》駅を結ぶ白い往還が、この田圃《たんぼ》の中を一筋に曲がりながら走っている。  十月十三日の朝八時前のことである。この近くを通りかかった農夫が、国道から分かれた畦道《あぜみち》約五百メートルの所で、一人の男の死体を発見した。  男は俯伏《うつぶ》せに死んでいた。黒い、あまり上等でないオーバーの背中を見せ、頭はイガグリで、それも半分は白髪《しらが》だった。  死因は絞殺である。麻紐《あさひも》様のもので括《くく》られたらしく、頸部には深い索条溝《さくじようこう》があった。  知らせにより警視庁捜査一課から係員が急行した。まず、鑑識の検屍によって、死亡時刻は大体、死後十時間から十一時間、つまり、前夜の十二日午後九時から十時ごろの間と推定された。年齢は五十二、三歳ぐらいで、体格は大きい方だった。服装は合の背広に合オーバーだったが、いずれも着古したもので、それほど裕福な生活者とは見られなかった。ワイシャツも古びたものを着ており、ネクタイも縒《よ》れて色の褪《あ》せたものだった。  財布は洋服の内ポケットにあったが、一万三千円余りの金は無事だった。捜査当局は、このことから強盗説を否定し、最初から怨恨説を取った。  ただ、手懸りとなる洋服やオーバーのネームを調べようとしたが、出来合らしく、ネームはなかった。しかも、十年ぐらい前に作ったと想われる粗末なものだった。それに、本人の名刺入れや書類はなかった。  死体は解剖に付された。その結果、死因は絞殺であることも、検屍時の死後十時間|乃至《ないし》十一時間という推定も、確実となった。警視庁では所轄署に捜査本部を置き、すぐに捜査を開始した。  この付近は、雑木林と田圃とに囲まれた寂しい場所である。夜の九時から十時ごろになると、通行者は殆どない。  尤も、一筋の国道には絶えず自動車の往来はあった。が、現場の畦道《あぜみち》は国道からかなり離れていて、しかも、視界を遮るように間に小さな木立があるので、兇行の目撃者はなかったと思われる。  捜査員は、まず被害者の割出しにかかった。  警視庁では、このことを報道関係に知らせ、協力を求めた。新聞は時に功名争いから捜査の妨害になることがあるが、このような時にはこの上ない協力者である。というのは、その日の夕刊を見て、すぐに届け出た人があった。  それは、品川駅に近い旅館の主人だった。筒井屋《つついや》というあまり高級でない宿屋だった。その主人筒井|源三郎《げんざぶろう》の届け出によると、夕刊の記事にある被害者は、どうやら自分の所に泊まった客らしい、と言うのだ。  そこで、捜査本部は、主人を連れて来て遺体の首実検をさせた。すると、一目見るや否や、この人だ、と彼は確認したのであった。主人の話によると、その客は、二日前、つまり、十月十一日の晩に一泊した、と言うのである。  早速、宿帳が調べられた。それには、本人の筆蹟で次のように書かれてあった。  ──奈良県|大和《やまと》郡山《こおりやま》市××町 雑貨商 伊東忠介 五十一歳。  被害者の身許は判った。  捜査本部は雀躍《こおどり》して喜んだ。すぐに警察電話で郡山署に連絡し、被害者の遺族に当たらせたのであった。  郡山署からは、一時間後に報告の電話があった。その報告によると、確かに当該番地に雑貨商伊東忠介なる人物が住んでおり、年齢もその通りで、家族は、妻が死亡し、養子に嫁を取っているという。  その養子夫婦の話によると、伊東忠介は、十月十日の夜、急に、東京へ行く、と言って家を出たというのである。用事を訊くと、伊東忠介は、「或る人にぜひ会わねばならぬ」と言い残し、詳しいことは言わなかったそうである。  警視庁では更に郡山署に頼んで、被害者の家庭事情及び知友関係の調査を依頼した。この被害者の身許が判明したことは、その翌日十月十四日の朝刊に簡単に報道された。  添田彰一は、その朝、眼をさまして、朝刊を手に取った。昨夜《ゆうべ》は、歌舞伎座に孝子と久美子の様子を見守りつづけたが、結局、彼が思うような現象は母娘《おやこ》の周囲に起こらなかった。  半分は失望し、半分はどこかに安心を覚えた。  結局、これは秘密に行動したことなので、久美子に話しかけたいが、最後までそれは出来なかった。家に帰って寝たのがかなり遅かったのである。  添田は、自分の仕事なので、朝刊を取っても政治面は丹念に読んだ。その記事に飽いて、社会面を見ているうちに、何げなく一つの見出しが眼に着いた。 『世田谷の惨殺死体の身許判る』という見出しだった。  世田谷で男の絞殺死体が発見されたことは、彼も昨夜の夕刊で読んでいる。だから、この朝刊の見出しを見たときただ無感動に被害者の身許が判ったことを知るだけだった。それでも彼はやはり記事を読んだ。  それによると、被害者は、奈良県大和郡山市××町雑貨商伊東忠介(五一)という名前になっている。  添田彰一は、一旦、新聞を枕元に戻した。  さて、これから起きようかな、と思っていると、ふと、彼は妙な気持に襲われた。いま読んだ「伊東忠介」という名前である。どこかで聞いた名前だった。確かに、前に一度、何かでこの名前を読んでいる。  添田は職業柄いろいろな人に会う。名刺を片っ端から貰うが、他人の名前の物憶えはあまりよくない方で、今もその記憶があるのは、前に貰った名刺の一人かとも考えた。  だが、どうもはっきりした記憶がよみがえらない。添田は、長いこと考えていたが、それを諦めた。  彼は起きて洗面所に行った。その間にも、今の名前が頭の中から吹っ切れずに気持悪く残っている。  顔を洗い、タオルを帯から抜いて顔に当てた瞬間だった。今までどうしても考えつかなかった新聞記事の名前が急によみがえったのである。  伊東忠介──確かに自分が上野の図書館で書き抜いた職員録の名前の一つだ。  伊東忠介とは、野上顕一郎が一等書記官として勤めていた中立国の公使館付武官の陸軍中佐ではないか!  添田彰一は、自分であっと声を出して叫び、顔色を変えた。  添田彰一は、自動車で世田谷区××町の殺人現場に行った。  秋の晴れた日だった。付近は殆どが雑木林と田圃である。白い往還が畑の間を一筋通っていて、その街道《かいどう》沿いに人家が切れ切れに建っていた。東京のなかでも取り残された田園の一|劃《かく》だった。  近所の人に訊くと、その現場はすぐに判った。往還から五百メートル入り込んだ所で、そこは蘆花公園の雑木林が近い。林は紅葉をはじめていた。  昨日の検証が縄張りの跡で残っていた。往還から岐《わか》れた細い道が林の奥につづいているが、その途中の叢《くさむら》の蔭だった。  近所には人家が無いでもなかった。だが、それはかなりな距離で、また、ばらばらに散在している。ここから眺めると、遠くに、近ごろ建ったらしい公団アパートが見え、新築の住宅もぼつぼつ見えていた。要するに、この付近は、古い農家と新しい住宅が入り交じっている新開地であった。  殺された伊東忠介は、どこから此処に来たのであろう。考えられる道順は、京王線の蘆花公園駅からバスで来るのと、小田急の祖師ヶ谷大蔵方面から来るのとである。これは駅まで電車を利用しての話だが、自動車だと、都内から自在に来ることが出来る。一方は甲州街道につながり、一方は経堂《きようどう》方面への国道につながっているのだ。  つまり五十一歳の伊東忠介がこの現場で頸を絞められるまでは、電車、バス、ハイヤー、いずれかを利用して来たわけである。彼の宿は品川だったから、当然考えられるのは経堂方面からの道であろう。しかし、交通面から被害者の行動の推定は困難である。  次に、伊東忠介は、なぜ、この現場で殺されなければならなかったか、である。彼が此の場所で殺害されたのは、それが犯罪的に必然性があるのか、または、ただ寂しい場所だったという理由によるのか、それが問題だった。  もし、この場所が被害者に必然的な結び着きがあるとすれば、この近所に住む誰かを伊東忠介が訪ねて行く途中であったか、あるいは、犯人の方でこの近所に関連があるのか、もしくは、いわゆる土地カンだけの理由なのか、さまざまなことが考えられるのである。  犯行は、昼間でなく夜間であった。  添田彰一は、そこに佇んで、夜のこの風景を想像してみた。きっと寂しい暗がりに違いない。伊東忠介がこんな暗いところに、犯人と連れ立って来るには、彼に納得性がないと黙っては付いて来ないであろう。犯人がまさか強引に伊東忠介を引っ張って来ることは、まず、考えられそうにない。そうなると、犯人にしろ伊東忠介にしろ、この場所に歩いてくるだけの必然的な関係があったと、推定していいのである。  もう一つの考え方は、伊東忠介が実際に殺されたのは別な場所で、彼は死体となって自動車でこの現場に運ばれてきたのではないか、という推定である。往還はハイヤーが来るが、この狭い道はどのような小型自動車も通行出来ない。死体で運ばれたとなると、往還まで車で来て、それから先は人の手でこの現場に運ばれて来たことになる。  添田彰一は考えた。これは、むしろ、あとの場合の方が自然ではなかろうか。犯人は、この辺の夜の条件を考えて、死体の棄て場所に選んだのではなかろうか。  この田舎《いなか》の風景を見ていると、どうも犯人の側にも、被害者の側にも結び着きそうな土地的な因縁はないように思われた。  添田がしばらくそこに立っていると、近くの農夫が彼の姿を振り返り振り返りして通り過ぎた。添田は畦道を歩いて、往還に待たせてある車に乗った。 「どちらへ?」  と運転手は訊いた。 「品川だ」  車はバスとすれ違いながら走り出した。  この道順は、あるいは伊東忠介が来たかも知れない道を逆に進むのである。自然と、添田の顔は窓の外の景色を調べる眼つきになっていた。  品川駅前の筒井屋という旅館は、小さな安宿だった。駅前とは言っても、街の通りの後ろに引っ込んでいる目立たない裏通りだった。  主人は、四十七、八の痩《や》せた男だった。安物のジャンパーを着て、奥から出て来た。 「まあ、お上がり下さい」  添田の来意を聴いて、主人は如才なく勧めた。  安宿ながら、このごろのことで、玄関を上がると、左手に客待ち用の応接間みたいな所がある。添田はそこに通された。ずんぐりした頬の赤い女中が渋茶を汲んで来た。 「亡くなられたお客さんのことでは、警察の方がずいぶん見えまして、いろいろ訊かれましたよ」  と主人の筒井源三郎は苦笑して言った。眉の濃い、頬骨の高い男であった。 「伊東さんは、ここに何日御滞在でしたか?」  新聞記者という職業は、こういうときに便利である。当人に何ら縁故のないことでも自由に訊ける。 「二日ばかりでございましたよ」  主人は濃い眉毛の下に大きな眼を動かして答えた。 「そのとき、どういう様子でしたか?」  添田は、なるべく丁寧に訊いた。 「なんですか、東京で訪ねる人があると言って、一ン日《ち》中、出かけておられました。お郷里《くに》は大和の郡山だそうで、そのために東京に出て来られたようなお話でした」  この返事は新聞にも載っていたことである。 「だれを訪ねるか、ご存じなかったですか?」 「いや、それは手前どもは伺っておりません。なにしろ、お帰りはかなり遅うございましたよ。最初の晩は十時ごろにうちにお戻りになりました。そのときは、相当疲れていらしったようですね」 「どの方面に行っていたか判りませんか?」 「そうですね、なんでも、青山の方へ行った、と言っておられました」 「青山?」  添田は手帳につけた。 「しかし、青山だけでしょうか? 朝から晩までかかったとすると、相当長い時間のようですが」 「それなんです。御当人は訪ねて行っても、あまりその結果が思わしくないような様子で、浮かぬ顔でお戻りになりました。明日も訪ねる所があるが、早く行かないと先方が出勤して留守になるから、とも言っておられました」 「そうですか」  それは初耳だった。すると、伊東忠介が訪問する相手の一人は会社勤めの人間らしいのだ。 「その自宅というのはどこか、聞きませんでしたか?」 「そりゃ聞きませんでしたな。ただ、その方とは別かも知れませんが、伊東さんはこうも言っておられましたよ。田園調布《でんえんちようふ》に行くには、どういう線に乗った方が一番近いか、と女中に訊いたそうです」  田園調布──  青山と田園調布。──  青山と田園調布とには一体誰が住んでいるのか。勤人とは誰のことであろう。  添田彰一は、社に二日間の休暇届を出した。  東京発大阪行「彗星《すいせい》」は二十二時発である。添田はその列車に乗る前に、もう一度、世田谷の殺人現場に行ってみた。午後七時ごろだった。  わざわざ、夜を選んで行ってみたのは、昼間とは違う印象を確かめたかったからである。つまり、殺人時間が夜間なので、その条件で現場に立ってみたかった。  自動車《くるま》を往還に待たせ、添田は小さな畦道に歩いた。  思った通り、昼間の様子とやはり違っている。雑木林が意外に真黒いかたまりになって、野面《のづら》の上にもり上がっていた。辺りには田圃が拡がり、その果てに、人家の灯が散ってみえる。  近くの農家の黒い影には、わびしげな灯が隙間から洩れていた。昼間では近い距離だと思ったが、夜だと、ひどくこの場所と人家との間に間隙《かんげき》があるように見えた。遠くの公団アパートの灯が夜の海に浮かんだ汽船のように積み重なっている。  人ひとり通らない道だった。離れた往還に、走る自動車のヘッドライトが、ときたま、行き交うだけだった。このような暗い条件の中で、伊東忠介が自分の意志で歩いてくることはなさそうである。ただ、昼間来たときの感想と違ったのは、被害者の伊東忠介が相当大きな声を出して抵抗しても、離れた人家には聞こえないだろうという考えだった。道路から、わずか五百メートル入っていても、夜の方がずっと遠い感じがする。それに、この近所は早くから雨戸を閉めるらしい。  添田は径《こみち》の奥を見た。そこにも黒い森が繁っていて、樹《こ》の間がくれに農家の灯が一つ二つ洩れているだけだった。離れた所にアパートの灯があるが、むろんここまでは届きそうにない。伊東忠介は特別な理由がない限り、このような場所に自分の意志で歩いて来ることはなさそうだった。  添田彰一は、東京駅から予定通り急行で大阪に出発した。寝台をとれなかったので、よく睡れなかった。添田は乗物の中では熟睡できない性質《たち》である。それでも熱海《あたみ》の灯が過ぎたころから、うとうとし始めた。夢を見た。  暗い野面で、灯が遠くにあった。そのなかを添田が一人の老人と歩いている。老人とは何も話をしなかった。いや、したようにも思える。が、とにかく、その言葉ははっきりとは分からない。老人は背が屈《かが》んでいた。が、脚は若者のように元気だった。暗い野道を、いつまでも歩いているところで夢は切れた。妙な夢だった。  夢が終わって、横にいた老人が、伊東忠介らしいとは思ったが、添田は伊東忠介の顔を知っていない。眼が醒《さ》めても夢の印象は消えていなかった。暗い中を自分と一緒に黒い人影が大股で歩いていたことだけは、眼がさめても覚えていた。  大阪には九時前に着いた。  添田はすぐに奈良行の電車に乗った。関西に来たのも久しぶりである。河内《かわち》平野には刈り取った稲が野積みにされていた。生駒《いこま》トンネルを過ぎると、あやめ池付近の山林も紅葉しはじめていた。西大寺《さいだいじ》駅に来て乗り換えた。  郡山近くになると、城の石垣が電車の窓に流れて来た。幾つもの四角い池が、人家の間に空の色を映して過ぎた。金魚の養殖場だった。「菜の花のなかに城あり郡山」添田はこの近くに来るたびに、許六《きよろく》の句を想い出す。この地方特有の切妻造りの壁が方々に見えていた。  女学生が四、五人、踏切りで待っていた。添田は、久美子を想い出した。  添田は、駅の前から商店街の方に向かった。  往来に奈良行や法隆寺行のバスが通っていた。このような標識を見ると、添田彰一は、旅に出たという感じを深くする。  伊東忠介の家は、商店街が少し寂しくなった所にあった。見るからにあまり流行《はや》りそうもない雑貨屋だった。「伊東商店」と書いてあるので、すぐ判った。  添田彰一が入って行くと、店先には、三十過ぎの背の低い女性が坐っていた。彼女は蒼白い顔をして、浮かぬ表情で往来の方を眺めていた。添田は、彼女が伊東忠介の養子の細君だと、すぐ推察した。  添田が名刺を出して用件を言うと、細君は眼を丸くした。 「わざわざ、東京から来やはりましたか?」  ここでも新聞社の名刺を出したので、先方にそれほど無作法にはうけとられなかった。ただ、彼女を愕《おどろ》かせたのは、東京の新聞記者が今度の事件で、わざわざ郡山くんだりまで話を聴きに来たことだった。 「そうでんな、いま、主人《うち》が、おとうはんの始末に東京に上ってますさかい、くわしいことは申し上げられまへんのんやけど」  と彼女は、添田の問いに重い口をぽつりぽつり動かした。 「警察の方が見えたときも言いましてんけど、おとうはんが東京に行きやはるとき、だれぞお人に会いに行く言うてな、そら、張り切ってなはりましたわ。その人はだれや、言うてわてらが訊きましたが、ちょっと知り合いや、いま言えんが、今度、帰ったら話したる、言うて、わてらにはなんにも聞かしてくれはらしめへんでした。おとうはんはやさしい人やが、元、軍人やさかい、そら、頑固なところもおましてな」 「上京は急に思いつかれたのですか?」  添田は訊いた。 「そうだす。にわかに思い立ちはって、そら足元から鳥が立つようなことでした」 「伊東さんが誰かを訪ねて東京においでになるという思い立ちには、何かその動機のようなものに心当たりはありませんか?」  添田は熱心に訊いた。 「そうでんな」  養子の女房は丸い顔をかしげていたが、 「そう言えば、あれは東京行きをわてらに言やはった二日ぐらい前でしたやろか、この近所のお寺まわりをしやはってな」 「なに、お寺まわり?」 「そうだす。おとうはんはそんなことが好きで、ときどき、奈良あたりに遊びに行きやはりました。そうそう、上京の前ごろから、一だんと多うなりましたわ。そんで、その日は、夕方、帰りはったが、なんや知らん、えろう考えて、自分の部屋でつくねんと閉じ籠《こ》もっていやはりました。それからだんねん、急に、わいはこれから東京へ行って来るさかい、と言い出しなはったのは」 「その奈良の寺は、どこへおいでになったんでしょうか」 「それはほうぼうでんが。古い寺がえろう好きな人ですさかい、どこぞというて決まってしめへん」 「そうですか。ついでにお伺いしますが、伊東さんは前に軍人だったと、今おっしゃったようですが、外国で、武官をしておいでになったことがおありでしょう?」 「へえ、そんなことも聞きましたな。そやけど、おとうはんは、あんまり昔のことはわてらには話してくれはらしめへん」  ここで気づいたように嫁は言った。 「わてらは、伊東忠介とはほんまの血のつながりはおまへんでな。主人《うち》が養子になっているところへ、わてが貰われて来ましてん。取り婿、取り嫁だす。そんで、おとうはんは過去のことをあんまり話すことはおまへんでした。そやさかい、わてらも、おとうはんの兵隊時代のことは、くわしゅうは知ってえしめへん」 「なるほど、そうですか」  添田彰一は、じっと聴き入っていた。出された茶碗のふちに秋の陽が鈍く当たっている。畳の上に一匹、糠《ぬか》のような小さな虫が這《は》っていた。 「それで、伊東さんが、今度、ああいう不幸な亡くなり方をされたのですが、それについて、何かお心当たりはありませんか?」 「へえ、それは警察の方もいろいろと訊かはりましたが」  と嫁は眼を伏せて言った。 「どうにも、わてらには心当たりがおまへんわ。おとうはんはええ人やし、だれにも恨まれるような方ではおまへん。今度のことは、まるで夢みているような具合だす」  添田彰一は、タクシーを走らせて唐招提寺に来た。  いつ来ても、この道は静かである。林の奥につづいている径《こみち》には誰も歩いていなかった。歩くと靴の下で、落ちた木の実が鳴るのである。  絵葉書やお守などを売る小さな家があった。以前から変わらぬ場所だった。  添田は家の中を覗いたが、誰も居なかった。前に絵葉書や灰皿などの土産物が並べられてある。芳名帳は奥にしまってあるとみえ、そこには出ていなかった。参詣人が少ないので、番人はどこかに行っているらしかった。  添田は、番人を探すつもりで歩いたが、どこにも姿はなかった。脚をそのまま動かして金堂の横に出た。深い軒の暗い下には、黒い木の実が粒になって散っていた。森閑として音一つ聞こえない境内である。鼓楼や講堂が落ち着いた朱色を見せて、穏やかな秋の陽を照り返していた。地面に映っている影も柔らかいのである。  画学生らしいのが一人、鑑真堂《がんじんどう》の石段の前に腰を下ろしてスケッチをしていた。  添田は、ぶらぶらと境内を廻った。やはり坊さんには行き遇わなかった。金堂の表側に当たる吹抜きの柱に出たとき、急に、眼の醒めたような色に出会った。これは西洋婦人が三人、派手な色彩で歩いていたのである。  空は秋晴れだった。葉を落とした梢と常磐木《ときわぎ》の茂みとが重なり合い、蒼い空にわびしい塊《マツス》を描いていた。  木犀《もくせい》がかすかに匂っていた。唐招提寺は、朱と白の調和の寺である。あまり手入れの届かない深い木立に囲まれて、その美しい色彩が落ち着いた諧調を沈ませているのである。  添田彰一は歩いた。ときどき電車の音がする以外、声のない寺の境内を、ゆっくりと廻った。自然と伊東忠介のことを考えた。伊東忠介は誰に会いに東京に行ったのであろう。品川の宿で聞いたところでは、二つの地名と、それらしい職業を推定していた。  伊東忠介は、その上京に当たっても、養子夫婦には何も告げていない。彼が東京行きを思い立ったのは、その二日前に奈良の寺に遊びに行ってからだという。奈良の寺廻りと彼の出京の原因とは、あるいは直接な関係がないかもしれない。だが、添田には、どうも東京行きの動機が伊東忠介の寺廻りにあるような気がした。伊東忠介は、奈良の寺を廻っているうちに、誰かを見かけたのではなかろうか。その誰かに会いたさに東京に出る決心になったのではなかろうか。  彼は、その人物とは、あまり話をしなかったのかも知れない。だが、彼の方では、相手にぜひ会いたかったのであろう。添田には、その人物に、おぼろげな推測があった。  再び、小さな寺務所の前に出た。  今度は、老人の番人がいた。しなびた顔で火鉢を抱え、つくねんと坐っている。咽喉《のど》の下に重ねた白い衿《えり》が秋の冷たい空気を眼に感じさせた。  添田が絵葉書を求めると、 「遠方からお詣りでっか?」  と老人の方から話しかけてきた。 「東京からです」  添田は愛想よく答えた。 「へえ、そりゃ御遠方からわざわざ」  老人は絵葉書を出しながら言った。 「東京の方からは、ずいぶんお詣りにみえます」  添田はその辺を見廻したが、やはり芳名帳は無かった。 「すみません、お詣りした記念に、一筆、記帳させていただきましょうか」 「へえ、どうぞ」  坊さんは、膝の下の見えないところから芳名帳を取り出した。硯《すずり》も添えてくれた。  添田は、かなり手垢の付いている緞子《どんす》の表紙の帳面を開いた。中にはさまざまな人の名前が連記されていた。  添田は、日付に合わせてそれを繰った。果して「芦村節子」ときれいな筆蹟でしるされてあった。添田は久美子の従姉に逢ったような気持になった。  添田は心をふるわせて、その二、三枚前をめくった。その前もめくった。期待した名前は無かった。芦村節子が見たという「田中孝一」の名前が見当たらない。彼は微かに狼狽した。もう一度、繰って見た。無かった。見落としかも知れなかった。もっと前からやってみた。が、何度やっても眼には触《ふ》れなかった。  添田は、寺務所の坊さんが不思議な顔つきをしているのを構わずに、その芳名帳を仔細に点検した。  或る場所に来て、彼はあっと声を上げるところだった。その一枚分だけ剃刀《かみそり》で切り取られているのである。切断された部分は、綴じ込みの部分に僅かに残っている。その切れた切り口から察して、安全剃刀でも使ったらしかった。  あきらかに誰かが「田中孝一」の署名のある一枚だけ切り取って持ち去ったのである。  添田彰一は眼を上げた。坊さんはやはり怪訝《けげん》な眼つきで見ている。だが、この老人に訊いたところで、恐らく彼もこの事実を知らないであろう。この事実を教えても、ただこの老人を愕かせあわてさせるだけに違いなかった。添田は、坊さんにそのことを言うのを止めた。  今日来た記念に、添田は自分の名前を書き終え、坊さんに礼を言って立ち去った。待たせてある車に戻るまで、やはり木の実が足の下で鳴った。添田はタクシーに入った。 「どちらへ?」  運転手は訊いた。添田は急に決心がつかなかった。が、彼は思い切って言った。 「安居院《あんごいん》へ行ってくれ」  方向はそれで決まった。  車は、稲の刈跡の田の面を見渡す平野の間を走った。  あの芳名帳の一枚を切り取った犯人は誰であろう?  しかし、添田にはその人物の名がすでに頭にあった。  生駒山脈が平野の涯《はて》に流れていた。車は絶えず電車の軌道と並行して南下した。松林の中の法隆寺の塔も過ぎた。この平野に丘陵があるのは、大きな前方後円墳だった。  車は、途中から、それまでの国道と離れた。道は狭いが、白壁の村の中に入った。小川が流れ、子供が魚を釣っていた。役場の前には「明日香《あすか》村」と書かれていた。  その聚落《しゆうらく》を抜け切ると、再び道は寺院に突き当たる。さびれた塀と、瓦の上に草の生えた門とがあった。安居院だった。  再び広い道だった。車はそれを山の方に進んだ。  秋の色の濃いその山の正面に、橘寺の白い塀が高い石垣の上に載って見えはじめた。  添田彰一は、大阪に引き返した。  その夜の十一時近くに出る急行「月光」に乗った。  一等車の座席に坐って、暗い車窓に流れて行く大阪の街の灯を見ていた。  安居院でも唐招提寺と同じ結果であった。だが、これは、予想していた結果だと言える。安居院では、芳名帳を寺務所の若い僧が出してくれた。添田はそれを繰った。確かに芦村節子の名前はあった。だが「田中孝一」の部分は、切りとられていたのだった。  ここでも添田は、特別に坊さんにそれを示さなかった。若い坊さんは芳名帳の一ページをまさか切り取る人間があろうとは考えてもいないような顔だった。  二つの寺ともそうだった。芦村節子が、その寺詣りしたときに見た「田中孝一」の筆蹟は誰かによって失われていた。  添田彰一は、雑木林のある暗い田圃の中で殺された人物を考えている。その人間こそ、この芳名帳の一ページを切り取った男だと思っている。  元軍人の雑貨屋伊東忠介は、最近のある日、その道楽として廻っている寺に「田中孝一」の署名を偶然発見したのであろう。それは、彼にとって忘れることのできない人物の筆蹟とそっくりだった。しかし、それだけではなかった。彼は、東京に出てくる前、再びどこかでその筆蹟の主に出遭ったのではなかろうか。  おそらく、そのとき、伊東忠介は何かの事情でその人物に話しかけることが出来なかったのであろう。あるいは、対手の方に事情があったのかもしれない。が、とにかく、その人物を伊東忠介が目撃したことだけは確かのようである。  添田は汽車に揺られながら考えている。  伊東忠介は、ぜひ、その男にもう一度逢いたかったのだと思う。だが、対手は奈良から東京に帰ってしまった。しかし、伊東忠介にとっては、東京まで追っかけて、ぜひ会わねばならぬ相手だった。  そこで、伊東忠介は、独得の筆ぐせを持っているその人物の筆蹟を密かに切りとった。このことはあの養子の妻が話した通り、上京前の伊東忠介が急に何回となく寺廻りを始めていたという言葉でも、裏づけられるのだ。  では、東京に来た伊東忠介は、対手の人物のところに果して真直ぐに行ったのであろうか。品川の旅館の主人の話では、伊東忠介は、青山と田園調布の二カ所の地名を言っている。  では、青山にだれが居たのか。田園調布にどんな人物が居住しているのか。サラリーマンはどこの会社に勤めているのか。  また、なぜ、伊東忠介はわざわざ旧い寺の芳名帳から、「田中孝一」の部分だけ切りとったのであろうか。  そうだ、伊東忠介は、その切り取った部分をポケットの奥深く入れて上京したに違いない。  列車は、いつか京都を過ぎていた。大津の灯が、ちらちらと見えるころから、添田は浅い睡りに落ちた。  添田が眼を醒ましたのは、沼津あたりだった。時計を見ると、七時過ぎである。朝の海が薄い靄《もや》の中に霞んでいた。  添田がゆっくりと顔を洗い、座席に戻ったときは、長いトンネルの中に入っていた。  彼は煙草を出して火をつけた。あと二時間もすれば東京に着く。熱海駅のホームに停まったのが七時半だった。  この頃から、眠っていた乗客がぼつぼつ眼を醒まして洗顔に立ったりした。  ホームから見える熱海の街は、朝の光に小さな屋根が燦《かがや》いていた。  このとき、どやどやと車内に入って来た乗客の一団があった。十人ばかりだったが、その半分はゴルフ道具を持っていた。  添田が窓の方を見ていると、その中の一人が恰度《ちようど》、空いている彼の前に腰を下ろした。持っているゴルフ道具を網棚に載せ、ゆったりと腰を掛けた。  添田とその新しい客との眼が合った。両方の顔に軽い愕《おどろ》きが拡がった。 「これは」  と添田の方から起ち上がった。現在、社を辞めてはいるが、元の幹部だった人だ。しかも、先日、訪問して話を聴いたばかりの人物だった。 「お早うございます。思いがけないところでお目にかかりました。先日はどうも」  添田は丁寧に挨拶した。  世界文化交流連盟常任理事、元編集局長滝良精氏は、ちょっと困ったような顔をした。先日添田が訪ねて来たときは、自分ながら冷たい待遇をしたのを、彼は憶えているのである。その櫛《くし》の目の揃った白髪と赭《あか》ら顔とは、外国人にも立ち勝《まさ》っていそうに思われた。彫りの深い顔は、口許の微笑を曖昧に見せた。 「どうも」  会釈も曖昧である。きらりと眼鏡を光らせて、窓の方を向いたものである。 「随分、お早いですね」  添田は、その端正な横顔を見て言った。 「ええ」  気乗りのしない返辞である。 「川奈《かわな》ですか?」  添田は、少し意地悪くなって訊《き》いた。先日のことがまだ胸に蟠《わだかま》っている。それに、この人とは、いずれもっと接触しなければならないだろう。そのときの下ごころもあった。 「ええ、まあ」  相変わらずである。滝氏は、ポケットから葉巻を取り出して口にくわえた。添田は、逸早《いちはや》くライターを取り出して、滝氏の眼の前に音を立てた。 「有難う」  滝氏は、仕方がないというように彼の火を借りた。 「ゴルフをなさってお泊まりになっても、こんなに早い時間では、お疲れが取れないでしょうね」  添田は、なおも話しかけた。 「それほどでもないです」  愛嬌のない返辞だった。 「お仕事が忙しいので、やはりこういう時間にお乗りになるわけですね」 「ええ」  やはりぶっきらぼうだった。対手は明らかに添田と話したがらないようである。  滝氏は、やがて、きょろきょろと他の座席を見回した。生憎《あいにく》と座席は塞《ふさ》がっているようだった。滝氏は諦めたように首を戻した。今度は、添田からそれ以上話しかけられないように、葉巻のけむりを盛んに上げながら本を読みはじめた。洋書である。  添田は、常任理事の俯向《うつむ》いた顔を黙って見ていた。この人は、当時、野上顕一郎のいた中立国に派遣された特派記者だった。  滝氏がしきりと煙草の煙幕を上げながら、彼から話しかけられないようにしているのは、先日、野上書記官の死のことで取材に行ったのをまだ敬遠しているように見えた。  しかし、滝良精氏の読書は長続きしなかった。滝氏自身も、添田を眼の前にしては落ち着かないらしい。彼は眼を上げると、 「失礼」  と、ぷいと席を立って行った。  よく見ると、べつに坐る所もないのに、友達の座席の肘掛《ひじかけ》に身体を寄せながら、にこやかに談笑をはじめたのである。  添田彰一が杉並の野上家を訪ねたのは、その午後だった。  恰度久美子が玄関に出た。 「あら、いらっしゃい」  添田を見て、彼女はにこにこ笑った。 「この間は失礼しましたわ」  添田がこの家に来たとき、節子の家に居て逢えなかったのを詫びたのである。  彼女は、添田が歌舞伎座で自分たち母子《おやこ》を遠くから凝視していたことを知らない。 「さあ、どうぞ。母もちょうど居ますわ」  久美子は奥に駈け込んだ。赤いワンピースの後ろ姿が翻《ひるがえ》るようだった。  添田が靴を脱ぎかけたときに、母の孝子が玄関に出た。 「まあ、どうぞ」  彼女は、添田を奥に迎え入れた。  通されたのは、この間の客間だった。久美子は茶の用意でもしているのか、そこに居なかった。 「今日は、久美子さん、お休みですか?」  添田は孝子に訊いた。 「ええ。この間の日曜日が忙しくて出勤したものですから、代休を頂いたんだそうです」 「ああ、そうですか」  添田は、奈良に行ったことを、この母子にわざと匿《かく》していた。今、それを言うのは、少し生《なま》すぎた。 「添田さん、今日はごゆっくりあそばせよ」  孝子は、柔和な顔におだやかな微笑で勧めた。 「ええ、夕方までお邪魔させていただくつもりです」 「あら、もう少しごゆっくりなさっては。何もないんですが、夕御飯をご一しょにしましょうよ」  孝子は、添田を今から引き留めようとした。  久美子がコーヒーを運んで来た。 「そうそう」  と孝子は言った。 「この間の歌舞伎の切符、とうとう、わたしが久美子と参りましたの」  孝子は思い出したように言った。 「そうですか。それは結構でした」  添田は何となく擽《くすぐ》ったかった。 「面白かったわ。歌舞伎、久しぶりなんですもの。お席もちゃんといい所でしたわ」  久美子は言いかけたが、 「ねえ、お母さま。あの切符を送っていただいた方、まだ判りませんの?」  と訊いた。 「さあ、どうでしょうね」  孝子にも実際判らないらしかった。 「妙ね。どうせお父さまの昔のお知合いの方でしょうけれど、お名前が判らないで御厚意を受けるのは、なんだかいやね」  久美子は、ちょっと味気なさそうな顔をした。 「それはやっぱり御主人のお知合いの方でしょうね。というよりも、前に、御主人に恩義のあった方かもしれませんね」 「どうせ大したことではなかったに違いありませんが、いつまでも昔のことを考えて下さって有難いわ」 「いやあね、お母さま」  横から、黙って聴いていた久美子が口を出した。 「お父さまのことはお父さまのことよ。わたしたちがいつまでもその御厚意を受けてるのは先方の方のお名前が判らないだけに、いやだわ。なんだか匿名で、始終、援助を受けてるみたい」  その気持は、添田にも分からないではなかった。  母子の話を聴いているうちに、添田は、この母子がまだ新聞で伊東忠介の死を知っていないことが判った。が、新聞を読んで気づかないのか、読んでいても伊東忠介という名前を知っていないのか、そのへんの疑問が添田に起こった。 「突然、妙なことをお訊《たず》ねしますが」  と添田は言った。 「お母さまは、伊東忠介さんという人をご存じないでしょうか?」 「伊東忠介さま?」 「そうなんです。元、御主人と同じ公使館に勤めておられた武官の方ですが」 「さあ、存じませんわ。主人は、あまりそのようなことを手紙で書いて来ませんでしたから。ですが、何か、その伊東さんとおっしゃる方が?」 「いや、べつに」  添田は、そこで話を打ち切った。      7  翌日、庶務課から新しい社員名簿が配られた。  社員名簿は十月一日現在となっている。誰しも新しい名簿を手に取ると、一応、珍しそうに手にとって見るものだ。自分の名前の活字から先に見る者もある。  この社員名簿は、R新聞社の役員から嘱託に至るまで全部収録されていた。巻末には、すでに定年で退職して客員待遇になった人たちもついていた。  一年一回のこの名簿には、その間のさまざまな人事の変遷が現われている。本社から地方に転勤になった者もいれば、部署が変わった者もいる。名簿を手に取って見て、その異動のあとを一種の感慨をもって眺めるのである。  添田彰一も、その名簿を漠然と繰っていた。恰度、仕事のすいた時間だった。部によっては、去年とそのままのものもあれば、ひどく変動のあった部もある。先輩や同僚の名前を一冊の本にまとめて見ているのは、身近で愉しかった。  添田は、ひと通り繰って、最後に、巻末に付いている客員の部を何気なく開いた。それは、ついでに眺めたというだけだった。  客員は、部長以上の身分で定年になった人が一種の礼遇《れいぐう》として扱われている。中にはすでに社会的に有名な人もいた。  添田はならんだ活字を見ているうちに、ふと、最近、一ばん身近になっている名前を見出した。滝良精氏である。この三つの字面《じづら》を眺めていると、この間、汽車の中で出会った迷惑そうな氏の顔が泛ぶ。永らく外国の特派員をやっていただけに、身なりも洗練されていたが、顔立ちも日本人離れがしていた。白髪の混じった髪はきれいに手入れがなされ、彫りの深い顔は縁無眼鏡がよく似合った。唇は薄く、両端がぐっと緊《しま》って見えるところなど、この人の特徴だった。 「滝良精、世界文化交流連盟常任理事」と一行に組んだ最後が住所だった。  ──東京都大田区田園調布三の五七一  田園調布に住んでいるのか、と添田は思った。  が、次の瞬間、彼は心の中であっと叫んだ。活字をもう一度見つめた。 「田園調布──」  伊東忠介が品川の宿屋に泊まって外出した先の一つではないか。あの旅館の主人筒井源三郎は、伊東忠介が「田園調布と青山に行って来る」と言っていたと述べている。  田園調布とだけで、すぐに滝良精氏に結びつけるのは早いかもしれない。だが、添田は、伊東忠介の訪ねた先が滝氏宅のような気がしてならなかった。  根拠があるのだ。滝氏は、戦争末期、ヨーロッパの中立国の特派員だった。伊東忠介もその駐在武官だった。両人の間は、当然、面識以上である。或いは毎日顔を合わし、情報を交換していたかもしれない。食事だってたびたび一しょにしたことであろう。  そうだ、伊東忠介は滝良精氏を訪ねたに違いない。伊東忠介が奈良から出て来て、東京に着いたあくる日、真直ぐに田園調布に行ったのは、滝良精氏への面会以外には考えられないのである。  もし、田園調布に、伊東忠介の親戚か友人かが住んでいたら、奈良を出発するとき、彼は家族にもそう告げるだろうし、また、その家に泊まり、宿屋住まいなどはしなかったであろう。田園調布の訪問先は、その家に彼が泊まるほど親しくはなく、しかも上京したあくる日に、真直ぐに訪ねたくらい重要な用事があったのである。  重要なという意味は、これは伊東忠介の上京の目的に繋がる。彼は奈良の古い寺で、野上顕一郎の筆蹟によく似た文字を発見した。筆蹟だけではなく、彼はその当人を見かけたのではあるまいか。だから、彼の上京の目的は、その人物に会うためではなかろうか。  しかし、伊東忠介には、その人物の住所はよく分からなかった。そこで、当人について共通の友人だった滝良精氏を訪問した、という仮定は無理ではあるまい。滝良精氏と伊東忠介とは、外国時代、かなり親密に交際したが、滝氏の家に泊まるほどの仲ではなかった。それだけの距離を滝良精氏は伊東忠介に置いていたのであろう。そう考えると、いかにもそれは滝良精氏の性格に合致しそうだった。  添田は興奮した。  彼は椅子を立って無意味に歩き出した。  こうなると、もう一つ実証が欲しくなる。彼は調査室に入った。 「最近の職員録を見せてください」  調査部の係に頼んだ。係は部厚い本をすぐに出してくれた。  添田は片隅に行って、それを開いた。外務省関係である。欧亜局の部をすぐに探し出した。 「欧亜局××課長村尾芳生、自宅、港区赤坂青山南町六の七四一」  想像は的中した。  伊東忠介が訪ねたのは「田園調布と青山」だったが、まさに滝良精氏と村尾欧亜局××課長だったのだ。  村尾芳生は、当時の中立国の外交官補だった。もちろん公使館付武官だった伊東忠介とは同僚である。また滝良精氏とも知合いだ。野上顕一郎一等書記官を中心にしてこの四人は、互いに生命の危険に曝《さら》されながら仕事をしてきた間柄である。伊東忠介が村尾芳生を訪ねたのは、滝良精氏を訪問したと同じ目的と意味があったのだ。──  添田彰一は、調査室を出ながら興奮していた。  彼がすぐに考えたのは、滝氏と村尾課長とに面会して、「伊東忠介という元武官が訪ねてみえられたでしょう?」という質問をすることだった。  だが、それで両人の反応は判るとしても、この質問に対手が正常に答えてくれるとは思えなかった。だから、これを切り出すのにはまだ早いのである。かえってこの二人に警戒心を起こさせるだけだ。今それを言い出しては効果が薄いのだ。切り出すのにはもっと有効な時機を選んだ方がいい、と考え直した。  添田彰一は、伊東忠介が上京した直後この二人を訪ねて、何を話したかを、まだぼんやりとだが、頭の中でかたちが出来るような気がした。  ところで、滝氏も村尾課長も、伊東忠介が殺害されたという記事を新聞で読んでいるに違いない。しかし、恐らく、二人とも捜査本部にその協力を申し込むことはないであろう。  二人は、伊東忠介の訪問を受けている。それは間違いないのだ。  そのときの話の内容は何であったか分からないが、とにかく、この二人に面会した伊東忠介は、あとで世田谷区××町の叢《くさむら》の中に死体となって現われた。彼が殺されたのは二人の訪問と直接に関係があるかどうかは不明だが、しかし、まるきり無交渉とは思われない。少なくとも、伊東忠介の上京の目的は、彼の悲惨な死に何らかの因果関係の翳《かげ》を落としていると思われる。  添田彰一は、品川の旅館筒井屋を訪ねた。  冷たい風が吹き、埃《ほこり》の立つ日だった。筒井屋の表では、女中が雑巾《ぞうきん》がけをしていた。 「御主人は居ますか?」  添田が訊くと、女中は彼の顔を見憶えていた。 「いらっしゃいます」  女中は雑巾をバケツに漬けたまま奥に入った。  待つ間もなく、どうぞ、と言って中に案内された。この前来たときと同じように、階段脇の応接間みたいな部屋に入った。  主人はすぐに出て来たが、今日は背広を着ている。 「またお邪魔にあがりました」  添田は挨拶した。 「ようこそ」  主人の筒井源三郎は、客商売だけに愛想がよかった。いやな顔をしないで、茶や菓子などを女中に運ばせた。 「どこかにお出かけですか?」  添田は背広姿の主人を見て訊いた。 「なに、旅館組合の総会がありますのでね、ちょうど、今からぶらぶらと出向いて行こうかと思っていたところです」 「それはお出かけのところすみませんね。お急ぎでしたら、車を持って来てますから、途中までご一しょし、車の中で伺ってもいいんですが」 「いや、それには及びません。なに、まだ時間はありますから、大丈夫です。今日はどういう御用事ですか?」  主人は顔に皺《しわ》をよせて笑った。 「何度もすみませんが、こないだの伊東さんの一件です」 「ははあ、さすがに新聞社の方は御熱心ですね。いや、あれにはわたしもちと迷惑してるところです」  宿の主人は笑いを消すと、今度は眉の間に立皺をつくった。 「刑事さんなんかが何度も見えましてね、いろいろ訊かれました。それに、あの伊東さんの息子さんとかが関西の方から見えたりして、当座、落ち着きませんでした。わたしのうちで亡くなったのではありませんが、やはりそんな係り合いになると、あまり気持のいいもんではありませんね」 「その気持のよくない話で伺って恐縮なんですが」  添田は切り出した。 「伊東さんがこちらにお泊まりになったあくる日に、訪ねて行く先は田園調布と青山だとお話しになったそうですが、それは間違いないでしょうね」  重大なことだけに、添田は念を押した。 「はあ、それは間違いありません。係の女中がはっきり聞いていますからね」 「ああ、そうですか」  添田はこれで確証を得た。 「また前の話のむし返しになりますが、こちらに泊まられた伊東さんは、何か様子に不審なところはありませんでしたか?」 「そうですね、わたしはその伊東さんに直接お目にかかったのではないので、詳しいことは知りません。しかし、係の女中に訊いても、べつにおかしなところはなかったようです。それもさんざん警察から訊かれましたがね」 「何かこう沈んでるとか、物思いにふけってるとかいうようなことはありませんでしたか?」 「今言った通り、わたしはいつも奥に引っ込んでいるので、そういう点は分かりかねます。なんでしたら、係の女中を呼びましょうか?」  主人は言ってくれた。 「はあ、そう願えれば有難いです」 「しかし、それも警察の方でずいぶん調べたことなんですよ。その点も何も出なかったようです」  それはそうかも知れなかった。警察では、被害者の様子から犯人の推定をつけようとしたに違いない。この主人の言う通り、何か変わったことがあれば警察に報告されたであろう。それがないというのは、女中の申し立ても主人の言葉通りに違いなかった。  しかし、添田は、一応、その女中に会いたかった。それを言うと、主人は快く承知した。 「では、すぐここに呼びます。わたしは今言ったように組合の総会に出なければならないので、これで失礼させていただきます」 「どうぞ。どうもお引き止めしてすみませんでした」 「またどうぞお遊びにおいで下さい」  頭髪が半白になっている主人の筒井源三郎は、客商売らしく丁寧にお辞儀をして出て行った。  殆ど入れ違いに係だったという女中が入ってきた。  それがたった今表で掃除をしていた女だった。よく肥えていて、背が低い。 「あなたでしたか? 亡くなったお客さんの当番だったのは」  添田は微笑しながら訊いた。 「はい」  女中は少し赤くなってうつむいた。 「今、御主人にも伺ったが、警察の人も来ていろいろ訊いたそうですね。どうですか、その伊東さんには変わった様子はやはりなかったですか?」 「気が付きませんでした」  女中は添田の顔を見ないようにして答えた。 「その日は、ちょうど忙しかったものですから、あのお客さんの部屋にはあまり伺えませんでした。それにずっとお出かけでしたし、夕食も外で召しあがったということでしたし。でも、べつにおかしな様子はありませんでした」 「どこかに電話をかけるとか、先方からかかって来るとか、そういうことは、なかったでしょうね?」 「ありませんでした。ただ、東京の地図を買って来てください、と言われました」 「地図?」  それは初耳だった。 「あなたが買って来てあげたわけですね。そのとき、お客さんは地図のどこを調べていましたか?」 「いいえ、ただ差し上げただけで、すぐに降りましたから、あとのことは知りません」  伊東忠介は東京都内には詳しくないらしい。地図を買って来たのは、青山と田園調布とを調べるためだったのかもしれない。  だが、不思議なことがある。東京都内に詳しくない伊東忠介が、なぜ、あの世田谷の奥の寂しい場所で死んでいたか。ひとりでそこに行ったとは考えられない。添田は、自分のかねての推定がだんだんはっきりして来るのを感じた。 「あなたがそのお客さんの部屋に入ったとき、お客さんは何か紙切れなどを出していませんでしたか?」 「紙切れですか?」  女中は不審そうな眼つきをした。 「いや、これは言い方が悪かったかもしれません。つまり、墨で書いたものを出していたようなことはありませんか? それは芳名帳のようなものです。ほら、よくお寺などに参詣した人が、自分の名前を筆で書くでしょう、ああいったものです」 「さあ」  女中は眼を伏せて考えているようだったが、 「いいえ、それは見ませんでした。新聞を見せてくれ、と言われたので、持って行ったことがありますが」  添田は煙草をすいながら考えたが、もうそれ以上訊くことはなさそうだった。 「どうも有難う」  添田は、無理に幾らかの心づけを彼女に与えて、応接間を出た。  添田は社に帰ると、社会部の人に会った。 「外人の泊まるホテルを廻るというのかい?」  友人は何が起こったかというような顔をした。 「そうだな、それだと都内には十二、三はあるだろうな。何を調べるのかい」  彼は訊いた。 「宿泊人の名前を調べたいんだ。十月の十日から十四、五日の間を見たいんだがね」 「さあ」  友人は考えるような眼つきをした。 「めんどうだな、それは。宿帳なぞ、ちょっと新聞社の者でも見せてくれるかどうかわからないよ。向うも客商売だから、いわば商売上の秘密だろうからね」 「ぜひ、見たいんだがね」  添田は言った。 「何とか方法はないか」 「そうだね、君ひとりが一軒一軒頼み込んでみてもむりだろうな。ちゃんと、どこかから筋を通さないと見せてくれないだろうね」 「その筋というのは?」 「たとえば警察だ。これは手っとり早い」  添田は顔を曇らせた。 「警察はちょっと困るんだ。そのほか何か案はないかね」 「そうだな」  友人は一緒に考えてくれた。 「ぼくの考えでは」  添田は言った。 「ホテルには組合があるだろう。その組合の事務所のだれかに口添えしてもらったら、うまくいくのじゃないかな」 「そうだね。それはいい考えだ」  友人は賛成した。 「君は、そのホテル組合の幹部のだれかを知っているのかね?」 「知らない」  添田は首を振った。 「それだと外報部のA君に頼んだ方がいいかもしれない。あいつは毛唐の偉い奴が来ると始終、話を聞きに行くのが専門だからね。自然とホテルの方にも顔は広いかもしれない」  添田は外報部のAという人を知らなかった。友人はすぐに電話をかけてくれた。 「とにかく会って話を聞くといっているよ」 「ありがとう」  外報部は四階だった。添田は上がって行った。Aはデスクで待っていた。 「話は、いま、電話で聞きましたよ」  と外人のような顔をした、背の高いAは言った。 「泊まった人の名前は判っているのでしょうね?」 「それが判らないのです。外国から日本に来ている日本人の名前ですが」 「名前が判らない?」  Aの方が愕いていた。 「名前が判らないのに、名簿で何を見つけるのですか?」 「それはぼくもちょっと返辞に困るのですが、大体、見ているうちに探し当てそうな気がするんです」  添田は自分でもあいまいな言い方に気拙《きまず》い思いがした。当人は、恐らく本名を名乗っていない筈だ。その仮名を知る由もない。 「じゃあ、とにかくKホテルの支配人に頼んでおきます」  Aは名刺に紹介文句を書いてくれた。 「どうも済みませんね」  添田はそれを握って外報部を出た。  社からKホテルは近い。だが、そこだけですみそうになかったので、添田は自動車を使った。  Kホテルの支配人は山川《やまかわ》氏と言ったが、初老の紳士だった。Aの紹介名刺が効いたのか、すぐに会ってくれた。 「|宿 泊 人 名 簿《レジストレイシヨン・カード》をお見せするのは、大へん困るのです」  支配人はおだやかに切り出した。 「やはり、これは、お客さまの秘密ですからね。われわれとしても、職業上の秘密を第三者の方にお見せするわけにはいかないのです」  支配人はそれでも好意的な口調だった。 「それも、どういう名前の人が泊まっていたかとお訊ねになれば別ですが、全部のリストをお目にかけるというのは、どうでしょうか?」  添田としても、これは無理な頼みだということは、十分わかっていた。ただ支配人の好意を恃《たの》む以外にない。 「その外国から来た日本人の名前は判りません。その人は年齢は六十歳くらいの人です。そういうお客さまはこの期間に泊まりませんでしたか?」 「ははあ、すると、それは米国から来た人ですか?」 「いや、そうとは限りません。イギリスからかもしれないし、ベルギーから来たかも分からないし、それはこっちには不明なのです」 「なるほど、六十歳くらいの日本人で、外国から来た人ですね?」  支配人は指先で机をこつこつと叩いた。 「家族は?」  と訊き返した。 「いや、それはよく判りません。多分、一人で来ていると思いますが」 「名前がわからないのでは、ちょっと名簿《リスト》だけでは見当がつかないでしょうな」  言われてみると、その通りだった。添田はリストを見れば、何とか推定がつくと、ぼんやり思って来たのだが、具体的な指摘が不可能なことが、改めて判った。 「リストをご覧になるよりも、フロントの連中に訊いた方がいいかも知れませんな」  支配人はそう言ってくれた。 「連中は、お客さまの出入りを始終見ていますからね。尤も、フロント勤務は二交代制になっているので、今日の勤務の者だけでは分からないかもしれませんな」  ボーイが入ってきて、紅茶を置いた。 「君」  と支配人はとめた。 「こういう人を知らないかね?」  支配人は、添田の言う要領を話したが、ボーイは記憶がないと答えた。 「とにかく、フロントを呼びましょう」  支配人は言った。 「外国から来た日本人で、六十歳といえば、或いは、判るかもしれません」  支配人は、卓上の受話器をとった。  入って来た若い事務員は、話を聴いて考えていた。 「さあ、どうもわたしには記憶がありませんが」  と彼はしばらくして答えた。 「その方の滞在は永かったでしょうか?」 「いや、それは判りません」  と添田が横から引き取った。 「ぼくの感じでは、そう長くは居ないような気がします。本人は、多分、日本のいろいろなところ、たとえば奈良辺りにも行ったと思いますからね」 「どういうお顔立ちの人でしょうか?」 「いやそれは……」  添田は困った。いつか久美子の家で見た野上顕一郎の写真の風貌《ふうぼう》をおぼろげな記憶で説明した。 「どうも、わたしは、そんな方はお泊まりにならなかったように思います。なんでしたら、われわれよりも各階のサービス係の方がよく知ってると思います。その連中に訊いてみましょう」 「お手数をかけます」  添田は恐縮した。 「いったい何ですか?」  事務員が部屋を出て行ってから、支配人は添田に訊ねた。 「いや、実はちょっと調べたいことがありまして」 「ははあ、何か悪いことですか?」 「そういうことじゃありません。事情を申し上げられないのは残念ですが」 「悪いことでなかったら、まあまあですね。われわれの方ではホテル協会というものがありましてね、ホテルで悪いことをすると、すぐそれを各ホテルに廻し、共同で防衛策を取っています」 「なるほど」  添田はそこで質問した。 「もしぼくの訊ねている人がこのホテルに泊まっていないとすると、やはりそのホテル協会の方に話していただいて探していただく、という方法は取れないものでしょうか?」 「いや、それは出来ないことはありません。しかし、名前が分からない、というのは、ちょっと雲を掴《つか》むような話ですね。ただ、当人が日本人で六十歳ぐらい、というだけの手がかりですからね。まあ、しかし、それも一つの特徴とは言えます」 「都内で外人の多く泊まるホテルというのは、どのくらいでしょう?」  添田が訊いたのは、当人に外人の同伴者があるかもしれないとの仮定からだった。 「まず、一流だと六、七軒くらいです。各ホテルによってお客さまの色合いというものがありますがね。たとえばTホテルだと、これはトップクラスですから、大使館あたりがよく使います。Mホテルは、英国系やオーストラリア系の人が多いです。Sホテルはスポーツ関係、Dホテルは東南アジア系の人、Nホテルは芸能人といったように、大体、お客さまの特徴というか、そういう色彩が決まっているようです。わたしの方は、アメリカの方でバイヤーが多いのですが」  支配人が、そこまで言ったとき、さっきの事務員が帰って来た。 「各階のサービスステーションに電話して訊いたんですが、どの係も記憶がないと言っています。やはりそのお方は手前どもにはお泊まりにならなかったんじゃないでしょうか?」  添田は、最後に、念のため「田中孝一」と「野上顕一郎」の名前を出した。予想した通り、その名前はリストに見当たらないという返辞だった。  添田はそのホテルを出ると、ほかのホテルを廻った。  支配人の厚意で紹介状を書いて貰ったので、Tホテル、Nホテル、Mホテル、Sホテル、Dホテル、などの一流のホテルを順に駈けずり廻った。 「さあ、なにしろ、わたしの方は部屋が九百室もありますので、ちょっと調べかねます」  と言うところもあれば、 「どうも記憶がないようです」  とあっさり断わられたりした。 「お名前が分からないでは、なんとも調べようがありません。記憶だけでは間違うと困りますから」  とも言われた。なかには、 「折角ですが、どなたさまにもお知らせ出来ない規則になっております。いいえ、新聞社の方を疑うわけではありませんが、なかには悪質な人がいて、宿泊人を利用される場合が往々にあるのです。これまで、わたしの方も迷惑を蒙ったことがあるので、それ以来、そういうことはお断わりしているんです」  とはっきり拒絶されたりした。そして、念のために最後に出した「田中」と「野上」の名前は、どこも名簿に無いということだった。  添田はくたくたに疲れた。  要するに、彼が考えていた人物が、東京の一流ホテルに滞在していた可能性の少ないことがこの調査で分かった。  この調査は四時間近くもかかった。ホテルを廻った数でも七軒だった。  帰りは銀座を通ったが、舗道は夕陽の色に染まっていた。商店の中には電灯が賑やかについていた。  添田は、疲労した身体を車の座席に凭《もた》せて、ぼんやりと外を見ていた。恰度、ラッシュアワーで、車の速度は遅くなっていた。四丁目の角で赤信号にかかり、車はしばらくそこで停車した。窓の外を見ていると、舗道をさまざまな人が通ってゆく。添田の放心した眼は、その歩いている群衆の中に知った人間を見出した。見憶えの横顔が彼の見ている前で向うに歩いて行く。芦村節子だった。  添田は信号を待っている車から飛び降りたくなった。だが、むろん出来ないことで、次の横丁まで車が走らねばならなかった。こうなると、車に乗っているのも不便なことである。彼の車を押し包んで、前後左右にほかの乗用車やトラックがひしめいていた。  信号が変わるのがもどかしかった。  走り出してからも、添田の眼は芦村節子の姿を見失わないように貼りついていた。彼女の方では、添田から見られていることを知らないで人混みのなかを歩みつづけている。 「そこで停めてくれ」  よほど追い越してから、添田は運転手に命じた。そこでなければ停車の出来ない位置だった。  車をすぐ降りて、舗道を逆に歩いた。こうすると彼女と必ず逢える筈だった。  添田は夥《おびただ》しい通行人を気を付けて見ながら歩いた。だが、節子の顔はその中に入っていなかった。彼の足はいつか四丁目の角まで来ていた。  添田は軽く狼狽した。たった今、車の中で見かけた芦村節子に何とか逢って話したかった。偶然だったが、彼女の姿を見た瞬間に、話を交したい衝動が起こってきていた。彼女が発見されないとなると、余計にその気持はつのった。  添田は、もう一度、元の方へ引き返した。眼は節子の背中を探した。  ようやく節子の姿を捉えたのは、もう一度遠くまで歩いて失望し、諦めきれずに引き返したときだった。片側の商店街の一つにきれいな陶器や果実を売る店があった。芦村節子がその店の奥に立っていた。探しても分からない筈だった。彼女は、添田が車で目撃した直後に、この店に入っていたのである。  添田は、店の入口からすぐには声をかけないで、彼女の買物の済むのを待っていた。見ると、節子は陶器の皿を選択していた。女店員がひとり付いて、いろいろと見せている。  添田は人混みをよけて立ち、煙草を喫った。  節子のすんなりとした姿が買物を済ませて出て来るのに、二十分はたっぷりかかった。 「あら」  芦村節子は添田を見出してびっくりした顔をした。それから親しげに笑った。 「この間はどうも。ここでお目にかかろうとは思いませんでしたわ」  添田はお辞儀をした。 「ぼくも車の中でついお見かけしたものですから」 「まあ。待っていてくださったんですか」  添田は、自分がちょっと不良のような気がして頬をあからめた。 「お買物の最中だったようですから」 「声をかけてくださればよかったのに」  彼女は言った。 「そうそう、この間、久美ちゃんがうちに遊びに来てたとき、野上の家にお見えになってたんですって?」 「ええ」 「久美ちゃんが電話をかけるとき、伺いましたわ」 「奥さんにお話があるんです」  添田は思い切って申し出た。 「三十分ばかりお時間をいただけませんか?」  節子はちらりと添田の顔を見たが、 「結構ですわ。どこかでお茶でもいただきましょうか」  二人は並んで歩いた。 「芳名帳の、あの部分だけが……?」  芦村節子は添田彰一の話を聴いて、瞳《め》を瞠《みは》り、またたきもせずに彼の顔を見つめていた。  上品な喫茶店だった。赤いレンガの棚に懸崖《けんがい》の菊が並べてあった。照明は薄暗いが、菊の色で目が覚めるようだった。静かなレコードの音が菊の花弁に沁《し》み込みそうだった。 「そうなんです」  添田はうなずいた。 「田中孝一さんの署名のあるページだけが、唐招提寺でも安居院でも、剃刀を当ててきれいに切り取られていました」  呆れたというような顔をして、節子はまだ添田を見つめていた。 「寺の人もそれを気づかないんです。どうして、誰が、その部分だけを切り取ったか、奥さんにも、無論、お心当たりはないでしょう?」  芦村節子は軽く呼吸《いき》をひいた。 「さっぱり」  と彼女は愕いたままの顔で答えた。 「心当たりはありません。どういうのでしょう? お話を伺って、ただ奇妙に思うだけですわ」 「滅多にないことです。しかも、言い合わせたように、両方の寺でその部分だけが切られている。一つだけだったら偶然と言えるし、ほかの名前に興味を持った人がやったとも思えますが、二つの寺のどちらにも田中孝一の名前がついている。もう偶然ではありませんし、明らかに、田中孝一という筆蹟を狙った人物がしたことです」  節子は、少し怕《こわ》いような顔をした。 「添田さん、わざわざ、その筆蹟に興味を持って、奈良にいらしたんですか?」 「実は、そうなんです。久美子さんから、奥さんのお話を聞いて、急に、それを見に行きたくなったんです。すると、結果がそうでした」 「伺いますわ。どういうおつもりでそれを見に奈良までいらしたんですの?」  添田は、急に、それに返辞はしなかった。少し考えて答えた。 「その田中孝一という名前を書いた字体が、野上さんによく似ていることに興味を持ったんです。ところが現地に行ってみると、とにかく、ぼくと同じ興味を持った人間がもうひとり居たことを発見しました。その人間がぼくより先に寺に行って、その署名の部分を切り取った、こう考えていいと思います」  今度は、節子が黙る番だった。添田を見つめていた瞳が視線をそらし、遠くを見つめる表情に変わった。  視線の先には、若いきれいな娘たちが客にコーヒーを運んでいる。 「添田さんは」  彼女はそのままの眼つきで、低く、ゆったりと言った。 「野上の叔父が生きているとでもお思いになりますの?」 「それなんです」  添田は即座に答えた。 「いつぞやお話を伺って、ふと、ぼくはそんな気がしたのです。奥さんは、野上さんの筆蹟の亡霊に取り憑《つ》かれたと御主人から言われたそうですが、亡霊ではなく、実際の人間がこの日本に帰られているような気がするんです」  節子は、あとの言葉を出さなかった。瞳を据えて、すぐ横にある懸崖の珠《たま》を重ねたような小菊をみつめていた。 「でも」  急に、彼女は添田の方を向き、強い調子になった。 「野上の叔父の死んだことは、ちゃんと公報がありましたわ。そりゃ軍人の方で戦地で亡くなった場合、公報が当てにならないとは言えます。けれど、野上の叔父は、中立国駐在の一等書記官でした。病気になって入院したのも中立国でしたわ。まさか、その公報まで嘘とは思えません。ちゃんとした外交官が死んだんですもの。間違いの電報が打てるものでしょうか?」 「そのことです」  と添田は何度も深くうなずいた。 「ぼくも公報が真実であることを信じます。おっしゃる通り、野上さんは兵隊ではなく、また戦争で亡くなったのでもありません。生きて英霊が帰ったという場合と違います。それでも、ぼくは、何か野上さんが生きてこちらに帰っていらっしゃるような気がしてならないんです」 「いけませんわ」  芦村節子は、口だけは笑ったが、眼はきつい光を持っていた。 「添田さんがそんなことをお考えになってはいけません。わたくしたちは政府の公電を信じています。叔父は日本を代表する外交官です。そして亡くなったのが中立国ですもの。それが誤報だとか嘘だとか絶対に考えられないんです。どうぞ、そんなお考えはもうおよしになってください」 「ぼくも、奥さんのおっしゃるようなことを何度か思い返しました。昭和十九年といえば、すでに、戦局は苛烈な様相を呈していました。しかし、一国の外交官の死亡について、相手の中立国も、日本の政府も、間違った公表をする原因はないわけです。野上顕一郎一等書記官の病死は、政府の発表として、当時の新聞にはみんな載っています。ぼくはその切り抜きをここに持っています」 「ですから……」  芦村節子が顔色を激しく動かすのを、 「そうなんです。ですから、それを信じようと思って、自分の考えが妄想だと思い切ろうとしました」  と添田はすぐに言った。 「しかし、それにしては不思議なことが多いのです。野上さんの筆蹟が奈良の寺に残っている。野上さんはかねてから奈良の古い寺を廻るのがお好きだった。しかも、その芳名帳の署名が誰かの手によって切り取られている。これはぼくだけの考えですが、田中孝一という名前の人が廻ったのは、唐招提寺と安居院だけではないと思います。もっと、よその由緒ある古い寺にも同じものが残っているかもしれません。いや、或いはそれも切り取られているかも分かりません」  節子は添田を遮《さえぎ》った。 「野上の叔父と同じ筆蹟を持っている人は、この世の中にいないとは限りませんわ。それを叔父の生存説に結び付けてお考えになるのは、失礼ですけれど、添田さんの空想だと思いますわ」 「それは空想かも分かりません。しかし、そう言い切れないものもあるのです。奥さん、最近、世田谷で或る殺人事件が起こりました。殺された人は、戦時中、野上さんと一しょに中立国の公使館にいた武官の方なんです」  芦村節子の顔から急に血の色がひいた。      8 「モデルに?」  久美子は、息を呑んだような顔になって、母を凝視《みつ》めた。  急だし、思ってもみないことだった。第一、母の人柄として、およそ似つかわしくない話なのだ。  勤め先から帰って母に切り出されたのがその話だった。 「モデルといっても、先方では、久美子にそのままの姿で坐って貰ったらいいとおっしゃるの」  先方というのは、笹島恭三《ささじまきようぞう》という洋画家だった。かなり有名で、その名前は久美子も知っている。 「久美子に、どうして、そんなお話が来たのかしら?」  その疑問に母は説明した。 「その画家の方が、久美子をどこかで見かけたんですって」 「あら、いやだ」 「何か、その画家の方は、今、大きな作品の中に少女の像を入れる必要があり、そのため適当な若い人をどうしてもデッサンしたいんですって。それで、モデルを探してらしたところ、思わしい人がいなくて困ってらしたときに、久美子をごらんになり、久美子がそのイメージにピッタリだったとおっしゃるの。滝さんからのお話がそうだったわ」 「滝さんから?」  世界文化交流連盟理事の滝良精氏のことだった。 「滝さんは、お父様があちらにいらしった時、ご一緒だった新聞社の特派員でしたからね。永いことお目にかからなかったのが、今日、突然に此の家に見えて、そのお話があったんですよ。わたしも滝さんにお目にかかったのは、七、八年振りだったわ。随分、びっくりしたけれど」 「それで、お母様、すぐにそのお話、おひき受けなさったの?」  久美子が母の軽率を少し詰《なじ》るような目つきをしたので、母はちょっと眩《まぶ》しい顔をした。 「何しろ、お父様とご一緒だったと聞くと、わたしも懐かしくてね、むげにはお断わり出来なかったの。久美子がどうしても嫌ならそれでもいいのよ。滝さんにそう言って置いたから。でも、たった三日間でいいから何とか無理を聞いて貰えないかって、滝さん、とても熱心におっしゃるの」 「その滝さんと、画家の笹島さんとは、どういう関係かしら?」 「同郷の御友人ですって。その笹島さんという方は久美子を電車の中で見かけた時、わざわざ電車を降りて久美子のあとを歩き、この家を見届けなさったそうよ」 「まあ、気味が悪いわ。まるで、不良のすることだわ」  久美子は顔をしかめた。 「いえ、芸術家というのは、そういうところがあるらしいわ。自分の気に入ったモデルに出会うと、つい、そういう気持になるのね」 「だって、それは先方の勝手ですわ。わたくしの知らないことだわ」 「そりゃその通りだけれどね。だけど、わざわざ滝さんが見えて、自分の友達のために、三日間でいいからイーゼル(画架)の前に坐ってくれと熱心にお頼みになるので、わたしも頭からお断わりする気になれなかったの」  母は困ったような顔をしていた。 「でも、三日間でいいのかしら?」  久美子は、もっとかかるような気がした。 「そうよ。デッサンだから久美子の顔だけスケッチしたいとおっしゃるんですって」 「そう」  久美子は眼を伏せた。  母は、滝良精氏の頼みを半分は諾《き》いているのだ。その母の気持は久美子に解らないではなかった。母は、亡父《ちち》のことになると、実に熱心だった。滝氏のその頼みを即答に近いかたちで承知したらしいのは、外国時代の父とつき合った人を大事にしているからである。 「考えてみるわ」  久美子は弱気になった。ほかのことだったら、すぐに母に腹を立てるところだが、父のことを想っている母の気持を想像すると、やはり、失望させたくはなかった。母は、すでに滝氏の側に立っているのだ。 「夜、伺うのかしら?」  久美子は昼間の勤めがある。夜だと、それを理由に断われそうな気もした。だが、母は、それも考えていた。 「あなたは、役所で年次休暇があったわね。今年は、まだ一度もとってないでしょう?」 「ええ」  なるほど、その手もあったのかと思った。 「だって、お母さま、あれは、この冬、スキーに行くためにとってあるのよ」  久美子は、すでに母の押しつけの前に崩れてはいたが、はかない抵抗をしてみた。 「でも、あなたは日曜日を入れると、あと二日だけお役所から休暇を頂けばいいわけでしょう。それで三日になるわ。ねえ、その画家の方、というよりも、滝さんの希望を容れてあげてはどう?」 「お母さま、とてもそれをおすすめになるのね?」 「お父さまの、あちらでのお友達ですからね」 「なら、いいわ」  久美子は決心したようにやっとうなずいた。 「でも、ながい時間、坐ってるんじゃないでしょうね?」 「ええ、一日に二時間でいいというお話よ」  母は眉を開いて安心した。父のことになると、たわいがないくらいだった。久美子が承諾したので、母の顔色は急に明るくなった。 「笹島さんという画家の名、あなた、知っているでしょう?」 「ええ、お名前だけは」 「腕の確かな方だそうよ。寡作《かさく》な方だけど、専門家の間には、相当高く評価されているんですってね」  母は滝氏から聞いたらしく、にこにこして言った。  久美子も、それは、何かで読んで知っていた。  笹島恭三といえば、あまり妥協しない画家として、久美子も正確ではないがぼんやりした知識をもっている。暗い色調を好んで使う画家だが、それだけ、作風はユニークだと言われているのである。  アメリカ人の間に人気があって、頻りと彼の絵を欲しがる画商もあったが、彼の寡作なペースは崩れなかった。  久美子はそんなことをぼんやりと思い出していたが、ふと、その笹島恭三という画家が独身だったことにも気づいた。それも、何かの本で読んだのである。  笹島画伯は最初から妻をもたなかった。年齢は確か五十歳に近い筈だが、ずっと独身で通している。これは、雑誌の上での知識だが、笹島画伯によると、芸術のためには、家庭は邪魔だから、結婚はしないというのだった。 「ねえお母さま」  久美子は、また浮かぬ顔になった。 「その笹島さんは、独身でしょう?」 「ええ、それも滝さんがおっしゃったわ」  と母は平気だった。 「でも、人物はとてもしっかりした方だから、ご心配は決して要らないと滝さんがおっしゃったわ。世間に名前の通ったちゃんとした方だし、それに、たった三日間だから、わたしも、その点はいいと思うの」 「そう、お母さまがそうおっしゃるなら」  久美子は言った。 「伺ってもいいわ。でも、何だか、やだな。久美子がモデルになるなんて」 「ちゃんとしたモデルと考えるからいけないのよ。ただ、デッサンだけだし、久美子の顔を、そのまま絵にお描きになるわけでもないでしょう。画家というのは、勝手に絵の上でお手本の顔を変えるものらしいわ」  母は珍しく展覧会の話などした。母の方が久美子より興奮していた。  久美子が、二、三日の中に笹島氏のアトリエに行くことになったのは、その話が、先方で大そう急いでいるからだった。  笹島恭三氏の家は、杉並のはずれにあって三鷹台《みたかだい》の駅から近かった。久美子の家も同じ区内なので、距離的には都合がよかった。  電車を降りて、駅の北側に向かうと少し上り坂になる。この辺は、長い塀を回《めぐ》らした家が多かった。まだ、武蔵野そのままの雑木林が、それらの家の背後に聳《そび》えていた。  笹島画伯の家は、駅から歩いて五分とかからなかった。敷地は案外広いが、家は小さかった。もっとも、その家の後ろにあるアトリエらしい建物が母屋《おもや》より大きいのである。  その日は土曜日だったので、久美子は昼すぎに笹島氏の家を訪問することができた。この訪問に先立って、母から滝良精氏へ電話をかけて伝え、滝氏から笹島画伯に連絡がついている筈だった。  門を潜《くぐ》って、竹を植え込んだ小径を通ると、古くなりかかった玄関口に着いた。此処まで来る時に気がついたのだが、敷地が広いだけに、庭を充分とって、そこには、バラなどの草花を植えた花壇が、いろいろな区劃でつくられていた。花が好きな絵描きらしい。  ブザーを短く鳴らした。すると、玄関の戸を開けてくれたのが、当の笹島氏だった。着流しだったが、久美子を見て、先に笑ってお辞儀をした。ばさばさした髪が額に乱れ落ちた。 「野上さんですね?」  笑うと、目尻に皺が寄り、頬に深いえくぼがあった。長い髪だけが痩せた顔に張り出していた。煙草好きらしく、歯が黒かったが、それが可愛く見えた。 「どうぞ」  久美子が挨拶しようとする前に、気軽に自分で応接間に案内した。 「おい、お客様だよ」  画伯は、奥の方に向かって大きな声を出した。それが、五十ばかりの家政婦だったことは、当人があとでお茶を運んで来たことで判った。  応接間の壁は、自作の絵で画廊のように飾り立ててあった。だが、何となく見えない不整頓さがある。やはり、主婦のいない家の埃っぽさが、どことなく感じられるのである。これは、久美子がそのつもりで眺めた眼のせいかもわからなかった。  久美子は初対面の挨拶をした。それも、画家は磊落《らいらく》に受けた。 「無理を言って済みませんな。事情は滝さんからお聞きでしょう?」 「はい」  久美子は、少し赧《あか》くなった。画家特有の対象を見つめるときの強い目つきなのである。 「あなたに早速、承知して頂けて大へん有難いのですよ。お聞きになったと思いますが、モデルになって頂くといっても、ただ、あなたの顔だけをデッサンにとれば結構なんです。難かしいことを考えないで、気楽に本でも読むつもりで、ぼくの前に坐ってて下さい」  画家はおとなしい声で言った。  始終、微笑を忘れないでいるので、彼の痩せた頬から、えくぼが消えることはなかった。頬骨の出た鋭い輪郭だが、笑っている皺が柔和な印象を与えた。  久美子は、少し安心した。実のところ、此処に来るまで動悸が鳴っていたのだが、それも鎮まった。この人なら安心だと思った。それは、芸術家に対する漠然とした信頼感と、尊敬から来ていた。 「いつから来て頂けますか?」  久美子が、明日が日曜だから、それから続けて三日間通うつもりだ、と答えると、画家は、恐縮したように頭を掻いた。 「申し訳ないですな。いや、ぼくも、こんなに早く、あなたが承諾して下さるとは思わなかったのですよ。それに、ぼくの仕事も少し急いでいるので、早速、明日から来て頂くとなると、これは助かります」  背の高い家政婦が茶を運んできて、久美子にお辞儀をして引き退《さが》った。 「ぼくには」  画家は、家政婦の足音を廊下に聞きながら、てれたように笑いながら言った。 「女房がいないんですよ。それで、行き届かないことがあると思いますが、辛抱して下さい。あの家政婦も、明日から、しばらく来なくなるのです」  久美子は思わず、顔色を変えそうになって、画家の顔を見た。  画家の言葉が、久美子には不安に聞こえた。此処に入る時、その硝子張りの屋根だけを見たのだが、あの広いアトリエに、画家とたった二人きりで対い合うのかと思うと、折角おさまった胸の騒ぎが、またはじまった。 「制作の時に、あまり人間がうろうろするのは、ぼくは嫌いなのです。サービスは行き届きませんがね、コーヒーくらいは、ぼくが沸かしますよ。昔からそういう主義なんです」  久美子は抗議ができなかった。相手は画家だし、一旦こちらで承知した上でのことだから、今更の拒絶は相手の気持を侮辱するようで彼女にできなかった。二時間と限った時間を先方から言ってきているのだし、折角、画伯を信頼している自分の気持を変えたくはなかった。 「時間を決めましょう。あなたの都合に合わせますよ」  久美子は考えたが、 「午前中の方がいいんですけれど」  と言ったのは、やはり安全を考えてのことだった。 「結構です。その方が光線の具合がいいんです。それは有難い、何から何まで好都合だ」  画家は、相好《そうごう》を崩していた。 「では、十一時から午後一時までということにしましょう。早速、明日から来て頂けるわけですね?」  画家は久美子の顔を凝視して念を押した。 「そう致します」  画家は、無駄な話をしなかった。打合せが済むと、急に寡黙になった。それは、客にもう帰ってもいい、と言っているようにとれた。この無愛想が久美子に安心を一つふえさせた。  画家は、久美子を玄関まで見送ってくれた。だらりと巻きつけた兵児帯《へこおび》の間に両手を突っ込み、久美子の挨拶に会釈した。  久美子は、もと来た道を下って駅に着いた。半分夢中だった。ホームに出て、電車を待っている時になって、ようやく自分の気持に還った。ホームは高い所にある。だから、恰度、眼の高さに雑木林の丘が眺められた。その中腹に、さまざまな家の屋根が並んでいた。笹島画伯宅の、特徴のあるアトリエの硝子屋根が、樹の間に光っている。  明日からあの中に坐るのだと思うと、久美子は、現実にそれが自分のことではないような、妙な気持になった。  アトリエに坐らせられるのかと思ったが、そうではなかった。笹島画伯は、久美子を広縁の籐椅子《とういす》に掛けさせた。 「まずスケッチから」  という画伯の断わりだった。自然のままに、いろいろと顔のポーズをとってみたいというのである。アトリエだと久美子が改まった気持になるかも知れないからとも言った。彼女も、その方が楽だった。  そこは、母屋の裏側になっていて、すぐ広い庭が見渡せた。花の好きな人だということは、煉瓦《れんが》で囲った花壇に、いろいろな花が分けて植えられていることで分かる。きれいだと思ったのは、菊や、コスモスなどが咲き乱れている眺めだった。花の好きな画家だから、心のやさしい人に違いないと、久美子は思った。  今日の笹島氏は、昨日と違って、格子縞《こうしじま》の派手なセーターを着ていた。その方が、久美子の眼には、ずっと画家らしく活気があふれて見えた。画伯は対い合った籐椅子に腰かけ、組んだ膝の上にスケッチ・ブックを展《ひろ》げ、鉛筆を握っているのである。彼の顔からは昨日と同じような微笑が絶えなかった。脂気のない、乾いた髪が乱れているが、笑っている眼は細かった。  画伯の顔の半分と肩の片側に、午前の光線が柔らかく当たっている。その光線の射し具合が、ちょうど、自分にも同じように当たっているのだと久美子は思った。画家が、この時刻がいいと昨日よろこんだ理由が判るような気がした。  はじめてのことだし、専門の画家の前のモデルだから、久美子は、自然固くなった。画家は、その眼が繊細なのか、それとも、彼の気持が敏感なのか、そういう状態のときは、決して鉛筆を走らせようとはしなかった。鉛筆は手に持っただけで、パイプをくゆらせながら、久美子と雑談をはじめるのである。  笹島画伯は、何でもよく知っていた。最初の印象では無口だと思っていたが、その話を聞くと、なかなか博識だし、面白かった。話し方が静かなだけに、相手の言葉が、自分の内部にじかに聞こえる感じだった。あたりも静かなので、画家の声が、透明な空気の中によく徹《とお》った。  画家の話は、相手の年齢を考えてか、若い人に関係した内容が多かった。決して気どらない自然な話し方なので、久美子の気持も次第にほぐれた。外国映画の話、コーヒーの話、小説の話、つまり、決して絵の世界だけではなかった。  だが、このような話の中でも、画家の眼は、絶えず久美子の顔に注意深く注がれていた。やはり、対象を眺める時の、あの、しかめたような眼つきで凝視されるのである。 「どうです、お勤めは面白いですか?」  画家は、ときどき鉛筆を走らせながら訊いた。この鉛筆をとるときが、久美子に自然の線が出た間に限っているように思われた。 「別に、それほど、面白いところではありませんわ。ただ、何となくお勤めして、帰るだけですの」 「それは、勤めとなると面白くないでしょう。だが、じっと家に引っ込んでいらしっても詰らないでしょう。毎日、外に出かけた方がいいですよ。ただ、それが惰性だけでは、毎日のことが退屈になってきますがね」  話は、そんなことで、とりとめはなかった。もとより雑談だから、その方が久美子に気楽なのである。  久美子の最初の考えでは、モデルになると、画家の命令通り、いろいろと顔の向きを変えなければならないかと思ったが、笹島氏は、そんな指示は全然しなかった。ただ、彼女の自然の動きの中から、瞬間に気に入った線を掴《つか》んで行くようだった。 「先生は、なぜ、ご結婚なさいませんの?」  かなり慣れてから、久美子は、思いきって訊いた。若い女性の素朴な疑問だし、この質問はさほど不躾《ぶしつけ》ではないと思った。  画家は笑い出した。 「若い時から、絵ばかり描いていましてね、つい、気に入ったお嫁さんを貰う機会を逃してしまったんですよ。もう、この年齢《とし》になってはおっくうで、今さらお嫁さんを貰うよりも、独りでのんびりとした方がよくなりました」  画家の今朝の顔色は清潔だった。着流しで現われた時は、独身者と聞いていたし、妙な気持がしないではなかったが、仕事をしている時の彼の姿は、意外に若々しかった。が、よく見ると、画家の鬢《びん》の辺りには、白髪が混じっていた。  画家という特殊な職業の人だから、この年齢で独身を通しているのは、久美子にも不自然には思われなかった。久美子は、この人は、若い時に何か恋愛をして、それが不幸な結果になったので、それきり結婚を諦めたのではないかと思った。だが、それを訊くのには、まだ遠慮があった。それよりも、そんなことを想像するようになったのは、画家の前に坐っていることに慣れて来た証拠だった。  気楽にという画家の言葉だし、久美子は、気儘《きまま》に姿勢を変えた。こんなに動いていたら、絵に描けないだろうと思って、暫くじっとしていたのだが、画家は反対にそれを嫌った。家にいる時と同じように楽にしてくれ、と言うのである。  ふと見ると、庭の花壇の間に人が動いている。これは老人の雑役夫で、花の手入れをしているのだった。何時《いつ》も後ろ向きになって、画家の仕事の邪魔にならないように気を配って、目立たぬように花の間に動いている。画家のお古らしい、きたない登山帽のようなものを被り、カーキ色のシャツを着ていた。  花の好きな画家だけに、そういう手入れのために男を雇っていると見えた。鋏の音が、ときどき鋭く聞こえて来るのである。  画家は、鉛筆を走らせると仕事は早かった。クロッキーというのであろうか、サッと書き上げると、忽ち、次の紙をめくるのである。こちらに坐っているので、勿論、分かりようはなかったが、久美子は、自分の顔が、この画家の手でどのように再現されて行くか、気にかかった。あとで見せて貰いたくもあったし、恥ずかしくもあった。  画家が鉛筆を走らせる時間は短い。だから、一時間もすると、四、五枚くらいは描き上げた。 「何枚も、こうして、あなたの顔を写して置くのです。それで、一番、ぼくに気に入ったポーズを決めたいと思います。明日から、そろそろ、こちらの注文通りになって頂きますよ」  画家は、鉛筆を措《お》き、時計を見た。 「昼になったから、支度をして来ます。ちょっと待って下さい」 「あら、結構ですわ、わたくしにでしたら」 「まあ、そうおっしゃらないで。ぼくはこれで、案外、美味《うま》いものを作るんですよ」  画家は、椅子から立った。 「先生、あの、わたくし、お手伝いしましょうか?」 「いいんです、あなたはお客さまだから」  画家は言った。 「それに、ひとりの方が慣れているんです。そこにそのまま坐って待ってて下さい」  笹島画伯は、奥の方に歩いて消えた。  言われた通りに、久美子は椅子に坐ったままぼんやりしていた。画伯の描いたスケッチ・ブックが表紙を閉じてそこにある。久美子は、ちょっと悪いような気がしたが、恐る恐る、それを取って開いた。  自分の顔が紙に描かれていた。鉛筆の走り書きだが、巧みに久美子の特徴を掴んでいた。いつも鏡を見て気づいている顔のくせが、実に的確に線となって現われている。やはり画家である。  久美子は、次をめくった。横を向いているポーズで、これは花壇の方をふいと見たときに捉えられたらしかった。次を開けた。やや俯向《うつむ》き加減の顔だ。それから正面を向いて話しているときの顔、斜め横の顔などさまざまな自分の顔が次から次に現われるのだった。そのどれもが鉛筆の確かな線で組み立てられていた。  ひどく似ている絵もあるし、似ていない絵もあった。似ていない絵は、画伯が自分の意識で勝手に対象を変えた絵らしかった。また、顔全体ではなく、額だとか、眉、眼、鼻、唇、そういった部分だけが描かれているのもあった。  久美子がスケッチ・ブックを眺めている間、花壇の中では、やはり鋏の音が跡切《とぎ》れては聞こえていた。  ふと眼をあげると、秋の花の間に、登山帽を被った老人が動いている。柔らかい光線が花弁の上をはじき、老人の肩に影を作っていた。  久美子は、ここに来てよかったと思った。絵に描かれるのはあまり気が進まないけれど、郊外のこのような静かな環境の中に坐っていることが、何か生きているうちの一番美しい瞬間に思われた。 「そう、よかったわね」  久美子が話すと、母は安心した顔になって言った。 「笹島先生って、そんな方なの?」  母は、久美子からもっといろいろなことを聴きたがっていた。 「そう。気むずかしい方かと思ってたら、とてもやさしい方なの。それに、サンドウィッチを御馳走して下さったけれど、とても美味《おい》しかったわ。まるで料理人が作ったみたい」 「そう。器用な方なのね」 「やはり独りでずっとお暮らしになっていらっしゃるから、自然とそんな技術も身に付くのね」 「そうね、料理は、女のひとより男の方が上手かも分からないわ。それで、久美子、じっと坐っていて気詰りではなかったの?」 「ちっとも。先生の方が気をつかって下すって、いろいろお話をなさるの。ね、お母さま、あんないい方がどうして結婚なさらないのかしら。わたくし、それを先生に訊いてみたわ。そしたら、もう面倒臭くなったんですって」 「絵描きさんには、そんな人がときどきあるのね。でも、そんなこと先生にずけずけ訊いては悪いんじゃない?」 「いいえ、そんな人じゃないのよ。とてもフランクな方だわ」 「そう。でも、よかったわね。久美子がそんなに気に入ってて。初め滝さんからのお話があったとき、わたしの一存でお受けしたものの、あなたがどう考えるか、実は心配だったのよ。じゃ、明日から愉しんでお伺い出来るのね」 「まあね」  母の顔色は明るかったし、愉しそうだった。久美子が画家のモデルになったことではもちろんない。父の友人の頼みを久美子が果しているというところから来た安心だった。母の表情で、そのことが久美子によく分かるのである。  翌日は月曜だったが、久美子は、約束の時間どおり、十一時に、三鷹台の駅から歩いていった。役所の方には、休暇届を出しておいた。この年次休暇は、冬になってスキーのために取っておいたのだが、その貴重な二日間を今度のことで削られても悔いはなかった。  昨日と同じように、玄関を開けてくれたのは笹島氏だった。今日は最初から、格子縞のシャツを着込んでいた。 「いらっしゃい」  画伯は、例の深いえくぼを作って微笑《わら》った。 「もうあなたが見える時分だと、実はお待ちしていたんですよ」 「昨日《きのう》は失礼いたしました」  久美子はお辞儀をした。 「いや、こちらこそ。さあ、どうぞ」  昨日と同じ廊下だった。今日からアトリエだ、という話だったが、やはり縁側の籐椅子の上に坐らせられた。 「考えてみると、アトリエよりもこっちの方がいいようですね。ここだと、くだらない花壇ですが、花も見えるし、ずっと向うの森まで見通せます。アトリエではだだっ広くて、こんな外の景色が見えませんからね」  久美子もその方がよかった。  今日も天気が好く、秋の陽が花壇にふりそそいでいる。背景が黄ばんだ雑木林だった。その中で、相変わらず画家のお古らしい登山帽を被った雑役夫が、花や植物の間を静かに動いていた。 「どうですか、お母さんは御心配なさらなかったですか?」  画家は微笑《わら》いながら訊いた。 「いいえ。早速、帰って話したら、とても喜んでいましたわ」 「そうですか。そりゃよかった」  画家は言った。 「それも気にかかっていたことです。それを聞いて、ぼくも落ち着きましたよ」  画家は、大きなスケッチ・ブックを拡げた。やはり昨日と同じように鉛筆を構えた。が、すぐにそれを走らせるのではない。しばらくは雑談をつづけていた。 「先生は、前にわたくしを途中でごらんになったそうですが、どこでお目にかかったのかしら?」  久美子は、母から聞いた話を想い出して訊いた。 「滝さんがしゃべったわけですね」  画家が、ちょっと照れ臭そうにした。 「電車の中ですよ。どこだったっけな? ちょっと忘れたが」  画家は、眼を天井に向けて考えるようにした。 「きっと中央線ですわ。わたくしは荻窪《おぎくぼ》で降りますから」 「ああ、そうだ。だったら、代々木《よよぎ》だったかな」  画家はつぶやいた。  代々木ではおかしい。それは画家の錯覚に違いなかった。久美子は、|霞ヶ関《かすみがせき》の地下鉄から新宿までゆき、それから中央線の国電に乗り換える。だから代々木で見られるはずはなかった。が、久美子は、それを訂正しなかった。画家の思い違いのままにしてもかまわなかった。 「久美子さんは、お母さまと二人だけで、寂しいでしょうね?」  画家は、やっと鉛筆を握ってから言い出した。 「ええ、そりゃとても寂しいんですの」  久美子はうなずいた。 「お父さまは、外国でお亡くなりになったんですって?」 「そうなんです。終戦一年前になって、向うで病気に罹《かか》り、こちらには遺骨だけ帰って参りましたわ」 「それはお気の毒でしたね。しかし、お母さまも、久美子さんがいいお嬢さんだから、安心ですね」 「わたくし一人っ子なんですの。ですから、これで兄弟がもう一人か二人いたら、どんなに母の寂しさが紛れるか分からないんですけれど。わたくしだけでは、ときどき、寂しいって母がこぼしますわ」 「そうでしょうね……」  この間にも、画家は絶えず久美子を見つめては、紙の上に鉛筆を走らせた。久美子の顔と紙の上とに交互に眼をやる。昨日と違い、今日は久美子もかなりそのことに馴《な》れていた。  画家は、絶えず久美子を退屈させまいと気を遣っていた。画家の雑談はそのためのようだったが、それが分かると、久美子はかえって気詰りだった。 「先生、そんなにお話ばかりなすってらして大丈夫ですの?」  久美子は、それとなく自分の気持を言った。余計な気遣いはしてくれなくていいのだ。絵だけを描いてもらっていれば退屈などしないからと言いたかった。 「大丈夫ですよ。こうおしゃべりしながら描いている方が、ずっと仕事が巧くいくんです」  画家は言った。 「ぼくはこれで人見知りする方ですがね。だから、嫌いな人物と対い合ってると、一言も話したくないんです。ですが、久美子さんみたいにいいお嬢さんとなら、しゃべってること自体が愉しいんですよ」 「どうもありがとう」  久美子は微笑して頭を下げた。 「いや、これは本当です。なにしろ、絵描きっていうのは、しかめっ面して深刻に描いたからっていい絵が出来るわけではありません。やはり愉しい気持が第一ですよ。愉しい心で描いたときの絵が一ばんの出来になるんです」  事実、画伯は愉しそうに滑らかに鉛筆を動かしていた。光線は昨日と全く同じだった。画伯の顔の片側と、肩の半分とに陽が当たり、そこだけが浮き立ったように明るいのである。髪毛に混じった画家の白髪がチカチカと光っていた。  画伯が黙っている間、紙の上をすべる鉛筆の音がカサカサと鳴った。これと、庭から聞こえる鋏の音がときどき混じるだけだった。  花壇の間を動いている老雑役夫のゆっくりした動作が、さらにこの穏やかな静かな雰囲気を助けた。  その日帰ると、母は待ちかねたようにしていた。 「どうだったの、きょうは?」  と早速訊いた。 「ええ、とても愉しかったわ」  久美子はにこにこして答えた。 「先生のお仕事、はかどっているの?」 「ええ、何だか知らないけれど、いろんな久美子を描いてらっしゃるわ」 「そう、よかったわね。どんな絵ができているか、わたしも見たいわ」 「あら、だめよ。わたし、先生の居ないときに、そっとスケッチ・ブックを見たの。そうしたら、わたしの顔がいろいろな恰好でできていたわよ。よくあんなにしゃべりながら描けると思うくらい久美子の特徴を掴んだ絵だったわ」 「それは、やっぱり、絵描きさんですからね。それにあの方、有名なんでしょう。偉い画家だから、どんなに話をしていても、ちゃんと描けるわけね。御用済みの画を二、三枚いただけないかしら?」 「いやだわ、お母さま」 「だって、スケッチだから、全部がお要りになるわけじゃないでしょう。ちゃんとした絵にお描きになるまでの下書きですからね。ご用が済んだらいただけると思うわ。それに、わたしだって、ご挨拶に行かないのも変ね。いくら滝さんのお話だとしても」  母はそこまで言いかけたが、気づいたように、 「そうそう、きょう滝さんからお電話があったわ」  と言い出した。 「久美子が、ちゃんと笹島さんに行ってくださるそうで、とても、笹島さんが悦《よろこ》んでいらっしゃるというお言伝《ことづ》てだったわ。滝さんも丁寧にお礼をおっしゃったの」 「そう」  久美子は、自分がモデルになるのをみながそんなに悦ぶのかと思った。だったら三日といわずに、もっと長くてもいいと思った。 「笹島先生って、いい方ね。ちょっと子供っぽいところもあるのよ」  久美子は笑った。 「きょうは何をご馳走になったの」 「カレーライスでしたわ。それがとてもよくできて美味《おい》しいの。家でいただくのより、ずっとおいしいのよ」 「そう、そんなにお上手?」 「まるでレストランに行っているみたいよ。あれだったら、奥さまも要らないわけね」 「久美子」  母はたしなめた。 「陰でもそんなこと言っちゃいけないわ」 「だって、それがすごくおいしいんですもの。お母さまなんかより、ずっとお上手よ」 「そう、何か秘訣《ひけつ》があるのかしら。絵描きさんだから、きっと外国を廻ってらして自然と覚えられたのね」 「そうかもしれないわ。わたし、モデルになるよりも先生のお料理をいただくのが愉しくなっちゃった。あしたは何が出るのかしら?」  その翌る朝が来た。  久美子は十時すぎに家を出た。四、五日続いた天気は、今日になると少し崩れかけてきた。雲が厚く自然と景色が薄暗いのである。  こんな日でも、画家の仕事は変わりないのかと、ちょっと心配だった。だが、スケッチだし、これまでのこともあって、やはり、今日はその先を進むのだと思った。昨日《きのう》の画家の話では、きょうは簡単な水彩に仕上げたいということだった。  久美子が画伯の玄関に着いたのは十一時だった。玄関のブザーをそっと押した。何時もなら、すぐに内側に人の影が差して、玄関の錠を開けてくれるのだが、きょうはそのことがなかった。しばらく立っていたが、何もないので、久美子はもう一度ブザーを押した。  だが、それでも、だれも玄関に出てくる気配がなかった。久美子は、画伯が手の離せない用事でもしているのかと思った。昨日も一昨日もすぐに当人が出て来て迎えてくれたのである。十一時に久美子が来ることは、画伯にわかっているし、ブザーを二度押してもその画伯が出て来ないのは、よほどの都合があるのだろうと思った。  久美子はさらに十分ばかり待った。そして、もう一度ブザーを押した。  やはり、だれも出て来ないのである。久美子は庭で花の手入れをしていた雑役夫を思い出した。彼女は玄関を離れてそっと庭に通じる垣根の方に歩いた。垣根は低かったから、そこから庭の一部が見えた。花壇も植込みも見渡せた。だが、二日間続いて久美子の眼に映《うつ》っていたあの老雑役夫の姿は見当たらなかった。  久美子は諦めて、もう一度玄関に戻った。  そして、今度はかなり長くブザーを押し続けた。それでも、内側から人の来る様子は無かった。どうしたというのだろう、留守なのか。いやいや、そんなはずはなかった。久美子が来るのを無論、笹島画伯は待っている筈だった。留守なわけはないのだ。  諦め切れずに、久美子はもう一度ブザーを押した。だが、変化は起こらなかった。このとき気づいたのだが、この家の戸締りがまだそのままなのである。  それでは、当人はまだ寝ているのであろうか。夜おそくまで仕事をして、その疲れで眼がさめないのか。ブザーの音はかなり高いはずだが、それでも起きて来ないとなると、よほど疲れて寝込んでいるのかもしれなかった。  久美子は迷った。  もう少しここに立って待った方がいいか、このまま帰って出直した方がよいか。  しかし、さすがに久美子はもうブザーを鳴らす勇気がなかった。途方にくれたが、結局、引き返すほかに仕方がなかった。──  笹島恭三の死体が発見されたのは、その次の日だった。  その朝、出てきた家政婦が家の中に入ってからわかったのである。  笹島氏は、いつも寝室として使っている四畳半くらいの洋間のベッドの上で、蒲団《ふとん》をきて寝たままの姿で呼吸《いき》が絶えていた。枕許のサイド・テーブルには、睡眠剤の瓶が空《から》になって転がっていた。その傍には水を飲んだらしいコップが一つ置いてあった。  警察の検屍によって、笹島画伯の死亡推定日時は、前々日の夜中と認められた。  画伯には遺書は無かった。空になった睡眠剤の瓶によって、当人が多量の睡眠剤を飲んで死亡したことが推定されたが、のちの解剖によってもそれは確認された。  画伯に遺書のないことで、自殺か、それとも、睡眠剤の飲み過ぎによる過失死か、警察側でも迷った。  画伯は独身者で家族が居ない。独りで寝起きしているので事情がわからなかった。通いの家政婦が毎朝来て夕方に帰ることになっているだけである。だから、画伯が死亡したと思われる時刻の夜中には、文字通り独りで居たわけだった。  早速、その家政婦について警察で調べたが、自殺と思われるような原因は見当たらなかった。家政婦は画伯が確かに寝る前に睡眠剤を常用していることを証言した。そこで飲み過ぎによる過失死の線が有力となった。  すると、現場を調べていた捜査の警部補が、画伯の机の上に置いてあるスケッチ・ブックを何気なく拡げた。それには、若い女の顔のデッサンが途中まで描かれてあった。  誰を描いたんだろうと、警部補は首をかしげてそれに見入った。最初に彼の頭に来たのは、この若いモデルの女性と、笹島画伯の死とが何か関係がありそうに思えたことである。      9  笹島画伯の葬儀は、翌日の夕方に行なわれた。  画伯は独身だったので、絵描き仲間が寄り合って、一切の葬式の準備をしてくれた。自殺のことは新聞にも出たので、かなりな数の会葬者が集まった。  生前の彼の性格を愛している人間が意外に多かったのだ。絵も特異なものだったし、当人と交際のなかったファンも参列した。  笹島画伯の自殺の現場に立会った警官は、鈴木《すずき》という警部補だった。警部補は画伯宅に来て、会葬者たちをこっそり見守っていた。  そのうち、警部補は、二十一、二くらいの若い女性を発見した。その顔を見て、警部補は黙ってひとりでうなずいた。スケッチ・ブックに描きかけの少女の顔にそっくりだった。 「お嬢さん」  鈴木警部補は、その若い女性に近づいて、こっそり声を掛けた。 「こういう者です」  と彼は名刺を出して相手に見せた。 「少し笹島先生のことでおたずねしたいのです。済みませんが、こちらへ来ていただけませんでしょうか」  その女性は名刺を見ると、素直に黙って別間について来た。  告別式場は広いアトリエが使われていたが、その混雑と違って、この部屋には誰も居なかった。警部補は改めてその女性と対い合ったが、彼女は育ちがいいと見えて、少しも悪びれない、落ち着いた態度でいた。 「笹島先生とは、以前からのお知合いですか?」  警部補は、この女性に好感を持ったので、和《なご》やかな微笑で話すことが出来た。 「いいえ。そうではございません。最近になってからです」  娘は眼を少し赤くしていた。泣いたあとなのである。 「お名前を聞かせていただけますか?」 「野上久美子と申します」  彼女は、住所と自分の勤め先を言った。 「ああ、そうですか。するとお勤めの方は?」 「はい、今日は先生のお葬式なので、早退《はやび》けして参りました」 「最近のお近づきだというと、何か先生のお仕事に関係したことですね?」 「はい。先生はわたくしの顔をデッサンしていらっしゃいました」  鈴木警部補は、その返事を予期していたので、微笑を見せた。 「それは、どういう御関係からですか?」 「笹島先生のお知合いの方から、わたくしの母に話があったのです。それで、五日ばかり前から先生のお宅に伺っています。モデルというほどではございませんが」  久美子は答えた。 「では、お嬢さんは、その前は笹島先生を全然御存じなかったわけですね?」 「はい、そのときお会いしたのが初めてでございます」 「笹島先生が突然こういうことになって、お嬢さんもびっくりなさったでしょう?」 「はい」  久美子は俯向《うつむ》いた。その表情を、警部補は見ていた。 「笹島画伯の自殺の原因は」  警部補がおだやかに言い出した。 「遺書が無いので、われわれにはちょっと見当がつかないのです。御承知のように、画伯は独身で、家族といった方はどなたもおられないので、事情を知るのが大へん困難なのです。通いの家政婦のひとがいますが、このひとは何も知っていません。お嬢さんがモデルに通っていらしたというなら、画伯の自殺の原因について何か心当たりはありませんか?」 「いいえ、何も存じません」  その返事を、警部補は真実だと受けとった。 「では、笹島先生がお嬢さんをモデルにしたいと言われたのは、どういうつもりからですか?」 「わたくしにはよくわかりません。ただ、何か大作をおやりになるのに、その一部の人物の習作にわたくしをお選びになった、と聞いています」 「そのお話はお母さまからですか?」 「そうです。母からその話があったので、わたくしが勤めを休み、三日というお約束で伺っていました」 「なるほど、それで、デッサンの方は着々と進んでいたのですか?」 「はい、毎日、何枚かお描きになりました」 「何枚か? では、全部で相当の数になったわけですね」 「はい」 「大体、何枚ぐらい、画伯はお嬢さんをスケッチしましたか?」 「よく憶えていませんが、少なくとも八枚はあったように思います」 「八枚ですか」  警部補は考えこんでいる。 「その絵は、すぐに人に上げるとか、売るとかするようなつもりではなかったんでしょうね?」 「それはありません。どこまでも大作のためのデッサンだと聞いています」 「実はね」  警部補は困ったような顔をした。 「笹島先生のところには、あなたのデッサンが残ってないんですよ。描きかけのものが一枚あるだけです。あなたは、先生が確かに八枚は描いたと言ってらっしゃる。だけど、それがどうしても見つからないのです。まさか画伯が破り捨てたとか、燃やしたとかいうようなことはないでしょうから、どこかに行っている筈ですがね」  久美子にはそれは初耳だった。あれだけ熱心に描いたデッサンだし、それが画伯にとってまんざらの出来でなかったことは、描いた絵を久美子に少し得意そうな表情で見せてくれたことでも分かる。  久美子は、考えるような遠い眼つきをした。八枚の絵はどこに行ったのであろう。もし、この警部補が疑っているように誰かの手許に廻ったとすると、不愉快な話だった。画伯との約束は、その作品の中に入れる一人物のための素描だった。他人に渡す約束ではなかった。  だが、その八枚の絵が無くなったとすると、警部補が疑っているような場合が考えられる。しかも、それは、画伯の自殺の直前でなければならぬ。死んだあとに勝手に持ってゆく人間はないからである。 「これは家政婦に訊いてもわからないんですよ」  と警部補は言った。 「その家政婦は、朝八時ごろに来て、夕方には帰ってしまうんです。もう四、五年もそうしているので、画伯の身のまわりのことについては全部知っている女ですがね。それがあなたの素描のことは全部知らないと言っているんです。尤も」  と警部補は一応区切った。 「あなたがモデルに通われる三日間、笹島画伯は、どういうわけか、通いの家政婦をことわってらっしゃるんですよ」  久美子は、それで思い出した。彼女が最初に画伯の家を訪ねたとき、画伯が直接にドアを開けてくれたが、あとで五十歳ぐらいの家政婦がお茶を運んできた。制作の都合でしばらく家政婦に来ないように断わったと、そのとき久美子は画伯から聞いている。 「つまり、家政婦の来ない間に、あなたがモデルに通ってらしたわけですが、そのとき、何か変わったことはありませんでしたか?」  警部補は、久美子の顔を眺めながら訊いた。  久美子は考えた。  久美子が笹島画伯を知ったのは、挨拶に行った最初の日をべつにすれば二日間だけだった。三日という約束だったが、最後の日に来て見ると、ドアが閉まっていた。仕方なく、そのまま帰ったのだが、そのときすでに画伯は生命を失っていたのである。前日、別れるときも、画伯の態度は明るかった。自殺を予想させるようなところは少しもなかった。絵も愉しそうに描いていたし、別れ際に見せた彼女への態度も、前々日と変わりはなかった。独り者だったが、暗い翳《かげ》はなく、むしろ愉しそうだった。  久美子がそのことを警部補に話すと、警官はうなずいた。 「では、画伯があなたを描いていらしたあいだは、ずっとお二人だけだったわけですね?」 「ええ」  食事も、紅茶も、みんな画伯の手でサービスされたのである。確かに室内には二人だけだった。  だが、ふと、久美子は思い出した。家の中は二人だけだったが、外には、もう一人いた筈だった。花壇の間にちらちらと動く雑役夫のような男がいた。絵を描いているとき、そのカーキ色のシャツが陽に輝いていたのを憶えている。  久美子が話すと、警部補は、その話にひどく興味を持ったようだった。 「その男は、どんな人間でしたか? 年齢なんかどうです?」  と訊いた。 「そうですね、よくわかりませんが、かなり年取った方のように思います」 「なるほど、顔なんかどうです?」 「さあ」  久美子は迷った。そう訊かれると、はっきりと思い出さない。いや、思い出さないというのではなく、絶えず久美子に背中を向けていたからだとわかった。その人が年配だったことは、そののろい動作や身体つきで察していたのである。  そう言えば、その人は画伯のものらしい古い登山帽を被っていた。明るい陽射しの中だから、長い庇《ひさし》が陽を遮って、その人物の顔は暗い影になっていた。 「それで、その人相がわからなかったわけですね?」  と警部補は話を聞いて反問した。 「はい、よくわかっていません」 「その雑役夫と笹島画伯とは、話をしましたか?」 「いいえ、わたくしが居る間は、会話はありませんでした。その人は、いつも花壇の手入れをしていたようですから」 「では、あなたと画伯の坐っている場所と、その男とは離れていたわけですね。画伯のところには来なかったわけですね」 「ええ、一度も来なかったように思います」  警部補は久美子に、ちょっと待って下さいと、断わって出て行った。そして戻って来るまでに、二十分ぐらいはたっぷりとかかった。 「今、家政婦のひとに訊いたんですがね」  と警部補は、失礼しましたと詫びてから言い出した。 「どうも、そんな人物はこの家に居なかったというんですよ。あなたがその男を見たのは、あなたがモデルとしてこの家に来た最初のときからですね?」 「そうなんです。わたくしが伺ったときに、もうその人は居ましたわ」 「そうですか。すると笹島画伯は、家政婦を断わっている期間に、その雑役夫を傭ったわけですな」  これは久美子に言ったのではなく、独り言のように自分で呟《つぶや》いていた。  久美子は、何故、警部補がこんなことをくどくどと訊くのだろう、と思った。笹島画伯の自殺に不審を持ったのであろうか。 「お訊ねしてもいいでしょうか?」  久美子は訊いた。 「どうぞ」  と警部補は視線を彼女に戻した。 「笹島先生が亡くなられた原因に、何か不明瞭《ふめいりよう》なところがあるのでしょうか?」  そのとき、警部補はためらうような表情を見せた。が、結局、話した方がいいと思ったのであろう、久美子の問いに答えた。 「笹島画伯は、睡眠薬を多量に飲んで、そのために亡くなったのです。それは、死体を解剖して、その所見からでもはっきりとしています。実際亡くなられたときに、枕元には睡眠薬の大瓶が空っぽになって転がっていました。だから、睡眠薬を飲んで自殺されたということには、辻褄《つじつま》が合うのです」  と警部補はいった。 「睡眠薬は自分で飲んでいるのです。枕元に水をのんだあとの空コップが置いてあったが、それにははっきり笹島画伯だけの指紋が残されていました。また、睡眠薬の大型空瓶にも画伯の指紋が付いている。われわれは入念に鑑識検査をしたのですが、他にも第三者の指紋は付いてないのです。それと、他人に無理に飲まされたとなると、これは騙《だま》されて飲むほかにケースが考えられない。その場合は、大抵、ビールに混ぜるとか、ジュースなどの飲み物に混ぜて飲ませるとかいうことになるのですが、画伯の胃からは、そのような検出物は無かったのです。明らかにその睡眠薬と一緒に飲んだと思われる少量の水しか出て来ない。やはり画伯が自分の意志で睡眠薬を飲んだことになっています」 「すると、先生は睡眠薬を誤って多量に飲み過ごされたのでしょうか?」 「そういう場合はよくあります。平生から、睡眠薬を飲む習慣の人はどうしても次第に量が多くなっています。家政婦について調べますと、画伯は大体、八、九錠くらいを飲んでいたようです。ところがですね」  と警部補は表情を改めたように言った。 「解剖した医者の所見によると、画伯が飲んだ量は、とても十錠や十五、六錠ぐらいではない。百錠以上も飲んだほどの量だったというのです。八、九錠飲む人が、間違えて十四、五錠ぐらい飲むということは、まあ考えられますが、百錠も飲むということは、絶対に考えられない。ですから、その飲み方にも疑問があるわけです」  久美子は、そのようなことを聞かされても返事に困った。笹島画伯との付き合いは、たった三日間にすぎない。久美子の真向かいに坐って、ときどき眼を細めながら、遠くを見るような視線で彼女の顔を眺め、鉛筆を動かしている画伯の知識しかなかった。警部補もそれに気づいたのか、話題を変えた。 「それでは、お嬢さんは、その雑役夫のような男は、全然、顔も憶えていらっしゃらないわけですね」  と言った。話を変えたと言うよりも、そのことに念を押したと言った方が近い。 「はい、よく憶えていません」  久美子はきっぱり答えた。 「おかしいな。家政婦も今までそんな人を雇ったのを見たこともない、と言っています。つまり画伯が、なぜ三日間だけ家政婦を断わって、その雑役夫を雇ったのか、その理由が分からないのですよ」  警部補は彼女の顔を凝視して言った。  久美子が家に帰ったのは、街に灯が入ってからだった。  玄関の格子戸を開けると、その物音を聞いて、母が奥からあわてて出て来た。 「唯今《ただいま》」  と彼女が言うと、母は、 「そのまま、上がらないで。玄関の外に戻ってらっしゃい」  と手でとめた。久美子がその通りにすると、母は手に握った塩を彼女の肩に薄くばら撒《ま》いた。母には、そんな古風なところがあった。 「御苦労さま、さあ、入ってらっしゃい」  そのあと、母は久美子に、 「節子さんが来てるのよ」  と言った。 「そう」  奥の間に入ると、節子が、庭に対《むか》った縁側近くに座蒲団を敷いて坐っていた。今日は和服でなく洋装だった。 「いらっしゃい」 「今日は」  節子は久美子に微笑《わら》いかけた。 「大変だったわね」 「ええ」  母も節子と並んで坐った。自然と三人が一緒の位置になった。 「節子さんがね」  と母が久美子に取り次いだ。 「新聞を見てびっくりして、飛んで来たんですって」  節子は久美子が笹島画伯のところにモデルになって通っていることを母から聞いていた。だから、笹島画伯の自殺と聞いてすぐにやって来たのであろう。  いつも三人で逢うと笑い顔ばかりになるのだが、今日は、みんなが硬い顔になっていた。 「どうでした?」  と母が久美子に訊いた。 「ええ、お葬式、とても賑やかでしたわ」  久美子は、手短にその模様を話した。 「そう、それはいいけれど」  と母は肩で溜息をついた。 「そんなにお友達の方がお集まりになっても、笹島先生の自殺の原因は分からないの?」 「ええ、それは皆さん、何もおっしゃいませんでしたわ。だけど、久美子、警察の方に呼ばれたの」 「警察の方に?」  これは、母も節子も一緒に久美子の顔を見つめたことだった。 「わたくしが笹島先生のモデルになっていることを警察の方は知ってらしたらしく、先生の自殺に心当たりはないかと訊かれたんです」  久美子は手短に鈴木警部補との問答を話した。母も節子も息を詰めて聞いていた。 「そう、じゃ、警察では、笹島先生の自殺に合点のいかないところがあると思ってるのかしら?」  母は言いながら久美子から節子に視線を移した。思いなしか、節子は顔色を悪くしていた。 「それはよくわかりませんわ。でも、その警察の方の話の具合では、自殺にしては不自然なところがあるような言い方でした。あ、それに、言い忘れてたわ。先生のところには、わたくしのデッサンが描きかけの一枚だけで、あとは全然、残ってなかったんですって。警察の方は、先生が何枚描いたのか、と念を押して訊かれるので、八枚でしょうと言うと、その八枚がどこに行ったかわからないって、気にしていらしたようでしたわ」 「どうしたんでしょうね?」  母も顔を曇らせた。 「その行方がどうしてもわからないんだそうです。先生がどなたかに差し上げたとすると、わたくし、なんだか気になるわ。だって自分の顔ですもの。知らない方のところに行ってると思うと、気持がよくないんです。それにあれは先生の絶筆と言ってもいいでしょ。ですから、余計に気持が落着きませんわ」 「誰のところに行ってるんでしょうね?」  母は久美子より節子の方にむかって、相談するように言った。すると、節子の顔色は前よりももっと悪くなっていた。 「久美子さんが見たという雑役夫の人、よく顔がわからなかったの?」  母は久美子の話からそのことも訊ねた。 「ええ、それは警察の方から何度も訊かれたんですけれど、憶えてませんわ。登山帽みたいな、長い庇《ひさし》の付いた帽子を被って、いつも花壇の蔭にうずくまっていたんですもの、わかりようがないわ」 「その人、家政婦の来ない間だけ来ていたわけね?」  と節子がはじめて口を入れた。 「ええ、警察の人がそう言ってましたわ。家政婦さんは一度も見たことがないんですって」  母と節子とは顔を見合わせていた。  節子は黙っていたが、母は眉をよせていた。 「どういうのでしょうね?」  と独り言のように呟いた。 「叔母さま」  節子は久美子の母に向かって言った。 「久美ちゃんをモデルにしたいっていう笹島先生のお話ね、それは滝さんからの紹介だっていうことでしたわね」 「ええ、そうよ」  母は眼を上げた。 「では、笹島先生の自殺のことでは、早速滝さんに電話なすったの?」 「ええ、すぐにお宅にお電話したわ。そしたら、滝さん、お留守なの」 「それっきりお電話なさらなかったの?」 「そうじゃないの。滝さんは昨日《きのう》の朝から御旅行なんですって。だからどうしようもなかったわ」 「昨日の朝だというと、笹島先生の死体が発見されたころね?」 「そうよ」  母は、そんな言い方をする節子を窺《うかが》うように見ていた。 「それだと、滝さんは笹島先生の自殺をご存じないわけね?」 「そういうことになるわ」  笹島画伯の自殺が新聞に出たのは、昨夜の夕刊だった。だから滝良精氏が旅行に出発するときには、特別な連絡がない限り、何も知らないことになる。尤も、彼は旅行先でも新聞を見ているに違いないから、現在はわかっている筈だった。画伯の死亡記事は、地方紙でも載せているに違いない。 「どこに御旅行なさったか、行先は分からないかしら?」  節子は言った。 「それは、わたしも先方に伺ったわ。電話口には奥さまがお出になったけれど、行先をはっきりおっしゃらないのよ」 「そう。それは妙ね。奥さまもご存じないのかしら?」 「いいえ、これはわたしの印象だけれど、何かおっしゃりたくないような御様子だったわ。だからこちらからもご遠慮して、それ以上は訊かなかったけれど」 「個人的な旅行かしら? それとも世界文化交流連盟の仕事での出張かしら? もし、お仕事での出張だったら、連盟の事務所に訊けばわかるわけね」 「節ちゃん」  と久美子の母は言った。 「あなた、どうして滝さんの行先がそう気にかかるの?」 「だって」  と節子は叔母を見返した。 「久美ちゃんを笹島先生に紹介したのは滝さんでしょ。だから、笹島先生の自殺を旅先の新聞で読んだら、電報か長距離電話かで何かお問合せがある筈よ。久美ちゃんを紹介した責任がありますからね」  節子の言い方は筋が通っていた。 「そうね、滝さんは、まだ、笹島先生のことをご存じないのかしら?」  母は節子の言い方に負けたように呟いた。  久美子は、母と節子の話のやり取りを黙って聞いていたが、節子が何か必要以上に滝氏の留守を気にしているのは耳に障《さわ》った。  久美子は、従姉の顔をそっと見た。びっくりしたのは、その節子の顔が蒼ざめて見えたことである。  節子が気にかけていた滝氏からの便りは、それから四日めの十月三十日になってようやく来た。  それは、久美子が勤め先に出勤してしばらく経ってからだった。だから、十時すぎだったろう。母から電話があった。 「滝さんからね」  と母の声は少しあわてていた。 「今、お手紙いただいたんだよ。久美子が家に帰るまでそのままにしていようかと思ったけれど、なんだか早く知らせたくなって、電話をしました」 「そう。どんなこと?」  久美子も胸が騒いだ。 「では、今から読みますよ」  と母は電話で手紙の文章を言った。 「その後、御無沙汰しています。旅先の新聞で、笹島君の自殺を知りました。思いがけないことです。久美子さんを笹島君にモデルとして御紹介した小生としては、今度の事件で久美子さんにかなり衝動を与えたのではないかと恐れています。しかし、もちろん、笹島君の自殺は、他によってきたる原因があったと思われますので、この事件のことには御放念あるよう、切にお願いいたします」  母は、そこまで読んで、 「こういう文面だわ。そして発信地は、信州|浅間《あさま》温泉にて、とあるだけだわ」 「信州浅間温泉?」  久美子は、おうむ返しに訊いた。 「ええ、ただそれだけ。旅館の名前も何も書いてないわ」 「そう」  滝氏のその速達を読んでもらっても、久美子にすぐにどうという返事は出来なかった。 「どうもありがと」 「今日は早く帰って来るでしょうね?」  母は、そう訊いた。 「ええ。なるべく早く帰ります。ちょっと寄り道するかもしれないけど」  久美子がそう付け加えたのは、ふと、添田に逢ってみたいと考えたからである。それだったら、帰りの時間が少し遅くなる。しかし、母には添田に逢うことは言わなかった。 「なるべく早く帰っていらっしゃい」  母は、そこで電話を切った。  久美子は、そのあとでちょっと仕事が手に付かなかった。母が読んでくれた、滝氏の手紙の文句が頭から離れない。それと、この間節子が来たときに言った言葉とが重なった。  落ち着かなかった。このままの気持で帰りまで仕事をするのが辛かった。久美子は思い切って新聞社に電話した。添田は居た。 「先日はどうも」  添田は久美子の家へ遊びに行ったときの礼を言った。あれからもう二週間以上になる。その後添田には逢ってないので、彼には久美子が笹島画伯のモデルになっていたことは話してなかった。 「すぐにお目にかかってお話ししたいことがあるんです。よろしかったら、こちらの方は十二時から一時までお昼休みなんです。近くでお目にかかりたいわ」 「承知しました」  と添田は応《こた》えた。 「恰度、ぼくもその方面に用事があるんです。三十分ぐらいでしたら話が出来ると思います。そちらの近所の喫茶店ででも待ちましょうか?」 「そうして下さい」  喫茶店の名前を言って、久美子は電話を切った。添田と逢うのを夕方まで持ち越さなくてよかった、と思った。  十二時過ぎに、久美子が役所を出て、近所のその喫茶店に行くと、店の前に新聞社の自動車が置いてあった。  添田は、入ってすぐのボックスでジュースをのんでいた。 「何ですか? 急に呼び出したりして」  久美子の顔が異《ちが》ってみえたので、添田は微笑《わら》いかけた眼を消した。 「添田さんは、二十五日の夕刊に出てた、笹島さんっていう絵描きさんが自殺した記事をごらんになったでしょ?」  久美子は言った。 「ええ、そう言われると見たように思いますね」 「実は、そのことなんです。添田さんにはお話しする間がなかったんですけど、本当は、わたくし、その笹島先生のところに絵を描いていただきに二日ばかり通いましたの。恰度、先生の亡くなる前の日、いいえ、本当は、その当日もうかがったんです」 「え、なんですって?」  添田は、口からストローを放し、眼をむいた。  それからの添田は熱心な顔つきになった。久美子が話したことをもう一度聞き直し、ところどころ質問した。  最後に、久美子が滝氏の手紙のことを言うと、添田はそれにも真剣な表情を見せた。 「笹島さんの描いた久美子さんの絵は、確かに八枚あったわけですね。それが描きかけの一枚しか残っていなかったというんですね?」  彼は髪の毛をごしごし掻いて訊いた。 「ええ、そうなんです。警察の方からも、それをしつこく訊かれましたわ」 「絵が気に入らなくて、笹島さんが破いたり燃したりしたのではなかったとは、ぼくも思いますよ。やはり、誰かの手に渡ったに違いありません。これは調べてみる必要がありますね」 「調べる?」  久美子はびっくりした。 「わたくしの存じあげない方のところに自分の絵が行ってるのが、少し気持が悪いだけですわ。そんなことを調べていただかなくてもいいわ」 「あなたはそうかもしれませんね。だが、これは調べてみた方がいいと思います」 「でも」 「いや、あなたに関係なしに、ぼくがやってみたいことですよ」  と添田は久美子の言葉を押えた。 「ところで、その絵は久美子さんによく似ていたでしょうね?」  笹島画伯は具象画の方だった。そして、写実風の絵に徹して、その道を永い間歩いて来た人だった。久美子をモデルとして描いたなら、それは当然久美子によく似ていなければならない。 「ええ」  久美子はうなずいた。 「わたくしが見ても、そのデッサンがとても自分に特徴が似ていて、恥かしいくらいでしたわ」 「そうでしょうね。ぼくもその一枚を見たいくらいですな」  久美子と別れた添田は、そのまま車をまっ直ぐに世界文化会館に向けた。  会館は、高台の閑静な一郭にある。世界各国からの訪日客を迎えることが多いので、建物は近代的な立派なものだった。付近には外国の公使館などがある。  添田は、車を玄関に着けた。  重い廻転ドアを押して中に入った。すぐに広いロビーがあり、受付が片隅にあった。恰度、ホテルのフロントのように、長いカウンターで仕切られていた。  添田は、その前に近寄った。そこには、白い服を着たボーイが二人立っていた。それとは別に、蝶ネクタイをつけた年配の男が事務机に屈《かが》みこんでいた。  添田は名刺を出した。 「滝さんのことで伺ったのですが」  ボーイよりも事務を執っている男の方がその声を聞いて先に起ち上がって来た。  眼鏡を掛けて短い髭を蓄えている四十前後の男だったが、名刺と添田の顔を見比べていた。 「滝さんはご旅行だそうですが」  添田が言うと、その男は愕いたような顔をしていた。 「そうです」 「滝さんの、そのご旅行のことで伺いに来たのですが」  すると、その蝶ネクタイの男は、 「随分、早いですね」  と不用意に言った。  その言葉を聞いて、添田の方がびっくりした。これは何かある、と、新聞記者らしく直感した。習性で、とっさにその感情は顔色に出さなかった。 「お話を伺えますか?」  蝶ネクタイの男は名刺を見た。肩書の新聞社名は一流新聞社なのである。明らかにその男は困った顔をした。 「お忙しいところを済みませんが、ぜひ、お話を聞きたいのですが」  蝶ネクタイの男はすぐに返事をしなかったので、添田は付け加えた。 「滝さんが浅間温泉に行ってらっしゃることは分かっているんです。滝さん自身のお話を聞くのには、ちょっと時間がかかります。その前に、ぜひ、こちらのお話を伺いたいのですよ」  このハッタリとも思える言葉が功を奏した。蝶ネクタイの男は諦めたように、 「では、ここではちょっとお話ししにくいですから、こちらへどうぞ」  と、自分でカウンターの中から出て来た。添田は胸が鳴った。  蝶ネクタイの男が添田を誘導したのは、純日本式の広い庭を見渡せるポーチだった。泉水に陽が光っている。付近には、外人の家族連れが一組、テーブルを囲んでいるだけである。植込みが繁って、人の顔が蒼く見えるくらいだった。 「どうぞ」  その男は、添田を椅子に掛けさせた。 「随分、早耳ですな」  と、男はまた添田に感歎して言った。  早耳──その意味を添田は瞬間に分析した。何かあったのだ。しかも、それは滝良精氏の身分の上に起こった変化である。そう推測するのに時間はかからなかった。 「滝さんはどうしてお辞《や》めになったんですか?」  添田はまたヤマをかけた。しかし、これは自信があった。  果して対手《あいて》はその言葉につり込まれた。 「ぼくらにもよく分からないのです」  と当惑そうに白状した。 「なにしろ、滝さんは旅行先から辞表を送って来られましたのでね」 「ははあ」  と言ったが、添田の方がかえって面喰《めんくら》った。 「そ、それは、どういう理由ですか?」  と思わず吃《ども》った。 「理由は、健康を害しているから、この辺で暇が欲しい、ということです。それも手紙の上ですから、訊き返しようがありません」 「失礼ですが」  と添田は気づいて訊いた。 「あなたさまは、こちらの?」 「庶務の方をやっています。主任です」 「はあ、それはどうも。で、滝さんが郵送された辞表をご覧になって、すぐに先方に電報なり長距離電話なりして、真意をお確かめになりませんでしたか?」 「それが、どうにも連絡がつかないのです」  と、庶務主任はいよいよ困惑した表情を見せた。 「手紙にはただ、信州浅間温泉にて、とあるだけです。そんな具合で、どこの旅館に泊まっているやら、さっぱり見当がつきません。これでは電報も打ちようがないわけです」  添田はそれを聞いて、滝氏が出した辞意の手紙は、久美子の家に出したと同じ方法だと知った。両方とも滝氏は滞在している旅館名を書いていない。 「その辞意のことは、前々から滝さんは洩らしておられたですか?」 「いや、正直のところ、今までそういうことはなかったのです。ですから、あまり突然なので、余計に面喰っている状態です」 「健康の方は?」 「そうですな、滝さんは、あれで丈夫な方ですからね、これまで一度も病気で休まれたことはありません。ですから、辞表に書いてある理由はちょっと考えられないのです」 「では、病気は表向きの理由として、滝さんが辞められるような原因に心当たりはありますか?」 「全然ありません。滝さんは、むしろこちらに来ていただいてから非常に連盟の仕事の実績が上がっているのです。われわれとしても、ぜひ、いつまでも居ていただきたい方ですが、今度のことは全く寝耳に水で、弱っているのです」  これだけ聞けば十分だった。添田は、挨拶して起ち上がった。 「添田さんとおっしゃいましたね?」  と庶務主任は後ろから言った。 「このことは、まだ表向きにはしたくないのです。滝さんの処置が決定するまで、今の段階では新聞に発表されては困るのです。どうか、もうしばらく伏せておいていただけませんか」 「わかりました。御安心下さい。今すぐに出すようなことはしませんよ」  添田は、微笑で対手に安心を与えた。  添田の眼には、自分を嫌っている滝良精氏の顔が泛んだ。      10  添田彰一は社に帰った。  滝良精氏が世界文化交流連盟の理事を辞めたところで、ニュースにはならない。連盟は言わば文化団体だから、それほど社会的に比重があるわけではなかった。ただ、滝良精氏はこの新聞社の前幹部だったから、社に多少の繋《つな》がりがないわけではない。が、たとえそれがニュースとして多少の価値があっても、添田は誰にも話さないつもりだった。  添田は、滝氏が浅間温泉のどこに泊まっているか、突き止めたかった。まさか、封筒に書いた、その温泉の名前まで嘘とは思えない。  添田は、通信部に行って、松本支局を呼び出してもらった。十分もすると、それはすぐにかかった。  電話に出たのは、添田の知らない人だが、まだ若い声だった。黒田《くろだ》というものです、と先方では名乗った。 「少々、面倒なことをお願いするのですが」  添田は、前置きした。 「どうぞ。どんなことでしょうか?」 「浅間温泉に泊まっている、ある人を突き止めたいのです」 「承知しました。浅間温泉ならここから近いし、始終、連絡がありますから、わけはないです。どこの宿に泊まっている人ですか?」  支局員は訊いた。 「その旅館の名前がわからないのです。それがわかるといいんですが、こちらに手がかりがありません。浅間温泉には、旅館がどのくらいありますか?」 「そうですね、二、三十軒ぐらいあると思います」 「そんなにあるのですか?」 「尤も、一流旅館といえば、数は限定されていますがね。その人は、やはりいい宿に泊まっているのでしょうか?」  普通ならそうだ。しかし、何か東京を逃げるようにして浅間温泉に行った滝良精氏だから、わざと二、三流館に投宿している可能性も考えられた。 「その点は、はっきり分かりません」 「そうですか。その方の名前は?」  滝良精、と口まで出かかったが、添田は、それを呑みこんだ。この人の名前なら、社の前幹部として若い支局員も知っているに違いなかった。その名前をここに持ち出すのは拙《まず》い。それに、どうせ滝氏が本名で投宿しているとは思えなかった。 「名前は変えて泊まっていると思います。どういう名前にしてるのか見当がつきませんが、大体の人相で心当たりを探して頂けませんか?」  先方ではちょっと困ったというような感じで、声が跡切《とぎ》れた。 「もしもし、お忙しいでしょうが、何とか協力を願えませんか」 「はあ、それはいいのですが、どうも、旅館名も御本人の名前もわからないでは、手間取るかもわかりませんね」  黒田という支局員は、ちょっと参ったような声になった。 「いや、その点は申し訳ないのですが」  と添田は謝った。 「しかし、こちらでは、ぜひ探して欲しいんです。これから人相を言いますから、それで旅館に当たって頂けますか?」 「そうですね。まあ、おっしゃってみて下さい。できるだけ手を尽してみます」 「ぜひお願いします。では、その人の特徴を言います」  添田は、滝良精氏の年齢を言い、眼に、その顔を泛べながら、髪の形、全体の感じ、眉、眼、鼻、口、それぞれを描写して説明した。先方では、添田の言うことをメモしているらしく、受け答えの声が遠かった。 「わかりました」  と支局員の声はまたはっきりとした。 「それで、突きとめたら、早速、あなたの方に報告するのですか? それとも、こちらの方で何か手を打つことがあるのでしょうか?」 「いや、それは、判ったら、そっとしておいて欲しいんです。それから、大事なことは、旅館に訊き合せても、本人には、知らせないようにして欲しいのです」 「わかりました。では、早速、今から電話で方々に当たってみましょう。結果がわかったら、すぐ折り返して、あなたの方に御返事しますよ」  支局員は、もう一度添田の名前を確かめて、電話を切った。  添田は、自分の机に戻った。松本支局から電話がかかって来るのは、二、三時間の後かもしれない。その間が落ち着かなかった。  政治部長は来客と自分の席で話している。この部長は、滝氏のかつての気に入りの部下だった。今度のことを部長に聞かれては拙い。わざと通信部に行って電話を支局にかけたのも、すぐに電話が通じるせいもあったが、一つは部長に話を聞かれたくなかったからである。  この間、部長は添田に注意したことだった。添田が、戦時外交の秘話を取材している、と聞いて、そういうものは止めた方がいいというのだ。添田にはそれが部長の単純な意見とは思えなかった。滝良精氏に会ってすぐ後だったし、滝氏が不快がっていただけに、滝氏からの連絡で、部長が、添田を止めたような気がする。  中立国で病死した一等書記官野上顕一郎のことを、滝氏は明らかに触れたがらないのであった。その話をとりに行った添田を警戒した態度で、それは分かった。部長の添田への注意は、何となく滝氏が手を廻したという感じがする。  部長が、突然、大きな声で笑い出した。客が起ち上がりかけていた。そのとき、添田の後ろに通信部の若い人が急いで来た。 「松本の支局から呼んでいますよ」  添田が、通信部に歩きかけると、部長の顔が、ふと、こちらを向いた。添田は、部長にじろりと見られたような気がしたが、部長が知るわけはなかった。  通信部の電話機を取ると、先方ではすぐに話し出した。やはり同じ声だった。 「どうにか、それらしい人が泊まっている宿がわかりましたよ」 「そうですか。どうも」  添田は胸が鳴った。 「御本人かどうか。はっきりわかりませんがね、大体の人相を言うと、そういう方がお一人で六日前から滞在していらっしゃる、ということです」  一人で泊まっていると聞いて、添田は、もう間違いがないと思った。 「何という旅館ですか?」 「杉の湯というのです。浅間温泉でも飛び切りというわけでもありませんが、まず、一流の方でしょう」 「なるほど、そして、宿帳には何と名前が書いてありましたか?」 「山城静一《やましろせいいち》という人で、年齢は五十五歳になっています。職業は会社員とあり、住所は横浜市|鶴見《つるみ》区××町とあるそうです」  若い支局員は告げた。  松本には午後零時三十分に着いた。  添田は、支局には寄らずに、駅からすぐにタクシーで浅間温泉に向かった。  秋の空は晴れ上がっていた。穂高《ほたか》、槍につづく北アの連山が新雪をかなりかぶって輝いていた。稲田は切株ばかりになっていた。来る途中の汽車の窓で見たのだが、一面のリンゴ畑は、赤い実が枝をしなわせていた。  浅間温泉は、ゆるやかな勾配の上にある。町はその坂道に沿って細長く続いていた。ここでは、井筒の湯だとか、梅の湯だとか、玉の湯だとかいうように特殊な名前が付いている。杉の湯は、この温泉町でも一番奥まった所にあった。すぐ奥が山の斜面だった。  添田は、旅館の前で降りた。  玄関に入ると、女中たちが迎えたが、添田は、帳場の人をすぐ呼んでもらった。 「こちらに山城静一さんという方がお泊まりになってませんか?」  出て来たのは、三十恰好の番頭だった。 「はあ、山城さまですか。その方なら、今朝早くお発《た》ちになりました」  添田は、しまったと思った。昨日の電話で、滝良精氏は六日間滞在していると聞いたので、もしやとは考えたが、やはりそうだった。こんなことなら、支局の若い人に頼んで警戒させておくのだったと後悔した。 「ここから真直ぐに、東京方面に帰られたのですか?」  添田は失望して訊いた。 「さあ、何処へともおっしゃいませんでしたが」 「何時ごろですか、お発ちになったのは?」 「そうですね、七時半ごろではなかったかと思います」 「そんなに早くですか」  添田は、帳場の後ろに貼ってある時刻表が眼についた。松本発八時十三分の新宿行普通列車があるが、これかもしれないと思った。 「ぼくは、実はこういうものですが」  添田は、名刺を出した。番頭は、それを手に取って眺めていたが、 「何か変わったことでも起こったのですか?」  と訊いた。新聞記者と知って、番頭の顔色は俄《にわか》に興味的になった。 「いや、そういうわけではないのですが、実は、ぼくの方でその人を探しているのです。ところで、その人がこの宿に着かれてから、どこかに手紙を出されたようなことはありませんか?」 「はあ、それはありました。係りの女中が切手を取りに来たので、それを渡した憶えがあります」  間違いはなかった。やはり山城静一と名乗る人物は滝氏だった。手紙は、世界文化交流連盟の事務局宛に出した辞表に違いない。  添田は、そこで初めて滝良精氏の写真を出した。 「こういう人ですがね。大分前の写真で、感じが若くなっていますが、よく見て下さい」  番頭は手に取って見ていたが、 「この人です。間違いありません。念のために係りの女中を呼びましょう」  その女中はすぐに来た。二十七、八の背の低い、ずんぐりとした、ガラガラ声の女中だった。 「ああ、その人ですわ。でも、随分お若くとれていますね」  と彼女は写真をつくづくと眺めて言った。 「そのお客さんは」  と添田は女中に話しかけた。 「この宿に来てから、どんな様子でしたか?」 「とおっしゃいますと?」  女中は添田に睡《ねむ》いような眼を向けた。 「いや、つまり、なんです、特に変わった様子はなかったか、ということです」 「そうですね、そういうところは見られませんでした。静かな人で、毎日、お風呂に入っては、本を読んでらしたり、近所を散歩なさっていました。上品な温和《おとな》しい方でしたわ」 「そうですか、そこで、ここの宿に居る間、どこかへ電話をかけるようなことはありませんでしたか?」 「いいえ、それはありません。電話はどこにもかけないし、どこからもかかって来ませんでした」 「もちろん、人も訪問しなかったでしょうね」 「よそからのお客様ですか?」  このとき、添田の予期しない表情が女中の顔に現われた。 「いえ、お客様はありましたよ」 「えっ、誰か来たのですか」 「はい、昨夜《ゆうべ》のことです。二人連れの男の方が面会に見えました」  添田はどきりとした。 「その話をもっと聞かせて下さい」  話が混み入ると見たか、番頭の方が気を利《き》かせて、 「まあ、どうぞ、こちらへお上がり下さい」  と勧めた。それは、玄関脇の応接間みたいな所だった。客をちょっと待たせるための用のもので、テレビなどが置いてある。壁には観光写真が飾られてあった。 「どうも、御迷惑かけます」  客ではないので、添田は恐縮して話を聞きにかかった。女中は対《むか》いの椅子に居心地悪そうに坐っている。 「あれは、昨夜の八時ごろでしょうか」  と女中は言った。 「恰度、わたしが玄関で下駄をそろえていますと、男だけのお客さまが見えました。どちらも三十過ぎぐらいの人で、ひどく体格のいい方でした。それがやっぱりあなたさまと同じように、人相など言って、そのお客さまはこちらに泊まっていないか、と訊くんです」 「なにっ、人相を訊いたのですか? で、お客さまの名前は言わなかったのですね」 「はい、そうです。自分の友達だが、名前をかくして泊まっているかもしれない、と言ってお訊きになるので、わたしは心当たりがあったのですが、一応、お伺いして来るから、と言って、お泊まりのお客さまの所に行ったんです」 「なるほど」 「すると、そのお客さまは、とてもびっくりしたような顔をなさって、しばらく考えておられました。そして、思い切ったように、では、ぼくが玄関に行って直接に会うから、とおっしゃいました。そして、御自分で、玄関の前に立っている、そのお二人にお会いになったんです」 「そのとき、どちらも顔見知りのようなふうでしたか?」 「いいえ、うちに泊まっていらっしゃるお客さまの方はご存じないような顔でしたが、先方では知っているようなふうでした。そこでは、二人連れのお客さまの方で丁寧にお辞儀をして、ちょっとお話ししたいから上がらせてくれ、というようなことでした。泊まってる方のお客さまは、どうぞ、と言って、それから部屋に通されました」 「なるほど。それからどうしました?」 「それから、わたくしはお茶を三つ持って行ったのですが、廊下では、ちょっと激しい声が聞こえていました」 「激しい声、と言うと?」 「はい、こんなこと言っていいかどうか分かりませんが、何か言い争いみたいなふうでした。わたくしも悪いので、どうしようかと思って迷いましたが、結局、思い切って襖《ふすま》を開けますと、中の声はぴたりと熄《や》みました。そして、わたくしがお茶を配ってる間、三人ともひどく気まずそうな顔で、わたくしが出てゆくのを待ってるようなふうでした」 「ちょっと待って下さい。あなたが廊下で聞いたときの言い争いみたいな話というのは、どんな内容でしたか?」 「それは訪ねたお客さまの方が、主《おも》に話しておられたようですが、わたくしもちょっと聞いただけなので、よく言葉を憶えていません。なんでも、勝手にこういう所に逃げるように来るのは怪《け》しからん、というようなことでした……」  添田は、それは重大なことだと思った。滝氏を訪ねて来た三十恰好という男の正体はわからないが、滝氏がここに来ているのを逃げたと解釈して詰め寄っているのは、一体、どういう理由《わけ》であろうか。よほど滝氏と特殊な関係でないと、そういうことは言えない筈である。しかも、女中の言うことによると、玄関で会ったときの滝氏は、二人の顔を知っていないようなふうだったという。 「それからどうしました?」  添田は、あとの話をたたみかけた。 「いいえ、それっきりでございます。わたくしもあまり長くお部屋にお邪魔しては悪いと思って、逃げるようにして階下《した》に降りてゆきました。それからあと、どんな話があったか皆目わかりません」 「そうですか。で、その客は、長いことお客さんの部屋にねばっていましたか?」 「いいえ、それほどではありません。三十分ぐらいもいらっしゃったでしょうか。ほどなく、二人は階段を降りて玄関に出られました」 「そのとき、部屋のお客さんも一緒でしたか?」 「はい、見送りのために、玄関まで付いて来られました」 「そのときの様子は?」 「はい、別段、変わったこともなく、普通にお客さまを送り出すときの態度でした。でも、三人とも話はなさりませんでした。二人のひとが帰ってゆくときに、お互いに目礼されただけだったと思います。その一人の方は、どうもお邪魔をしました、と言っていましたが、なんだか、その声は、わたくしたちの前を取りつくろってるようにも聞こえました」  係の女中は、そのときの様子を思い出すようにして、嗄《しやが》れ声で話した。が、ふと気づいたように、 「そうそう、そのときのお泊まりのお客さまの様子は、とても変な顔をなさっていました」 「変な顔といいますと?」 「蒼い顔色でした。そして、不機嫌そうに、すぐにお部屋の方にお帰りになりました」 「あなたは、それから部屋のお客さんと会わなかったんですか?」 「いいえ、それは会いました。後片づけやら、お床の用意やらのために伺いました」 「そのとき、お客さんはどうしていました」 「はい、部屋の窓際に縁側がありまして、そこに籐椅子が据えてあります。お客さまは、その籐椅子に腰を下ろし、ぼんやり外の方を眺めていらっしゃいました。わたくしがそこを片づけたり、お床をのべたりして退《さが》るまで、じっと何か考えるふうにして一言もおっしゃいませんでした」  その話から想像すると、滝良精氏は、二人の訪問にかなりなショックを受けたらしいことがわかる。一体、その二人は何者であろう。もちろん、滝氏が山城静一という偽名で泊まっていることを知らない男である。だが、滝氏が浅間温泉に来ていることは知っている連中なのだ。その点は、添田と全く似たような条件だった。 「それから直ぐなんです。帳場の方に電話がかかりまして、明日の朝早く宿を発ちたい、とおっしゃいました」 「それまでは、そのお客さんは発つ予定はなかったのですか?」 「はい、べつに聞いておりません。わたくしどもは、もう二、三日は御滞在になるのかと思っていました。なにしろ、初め見えたときには、しばらくここでのんびりしたい、ということでしたから。それで、今朝早く、お食事を差上げたときも、何か思案しているような顔で黙りこくって、朝御飯を半分ばかりお食べになりました」 「そういう不機嫌な様子は、泊まって以来ずっとですか?」 「いいえ、ここに見えたときは、それほどでもございませんでした。尤も、よく本などを独りで読んでいらっしゃいましたが、時には、わたくしが伺うと、この土地のことや旅館の様子など、わりあい機嫌よくお話しになったのでございます。ですから、お発ちになるとき、急に御機嫌が変わったのが不思議でした」 「最後に訊きますが、そのお客さんは、ここを発つとき、時刻表などを持って来させて調べませんでしたか」 「いいえ、それはなかったのでございます。多分、時刻表などはお持ちになっていたのじゃないでしょうか」 「そうかも知れませんな。ところで、七時半出発というと、松本発が八時十三分ですが、そのころ東京に帰る人は、その汽車を利用するでしょうね?」 「いいえ。それは鈍行ですから、東京までのお客さまはあまり御利用になりません。その次の九時三十分が松本発の急行ですから、大てい、それでお帰りになります」  添田は、その旅館の者に礼を述べて、外に出た。  そこから見ると、穂高が真正面だった。蒼い秋空に頂上が白くくり抜いたように出ていた。  添田は、松本駅に戻った。  滝良精氏がこの駅に現われたのは、八時ごろである。添田は、改札の係員に滝氏の人相を言って、どの汽車に乗ったか、切符の行先はどこか、を訊ねようかと思った。しかし、この駅は案外に忙しい。訊いても無駄だ、と覚《さと》った。  駅の列車発着表を見上げると、上りのほかに、下りの十時五分発の長野行がある。今まで、滝氏は東京方面に向かうものとばかり思っていたが、下りも考えられるのであった。宿を七時半に出たとなると、この十時の汽車にはちょっと早過ぎるから、滝氏が早朝に宿を出発したのは、或いは昨夜訪ねて来た二人連れの男の再度の来訪を避ける意味もあったのかもしれない。  長野行のその汽車は、どうせ北陸方面へ連絡するだろうし、滝氏が更に乗換えて別な方面へ向かったという想像も起きた。東京を逃げるようにして去った滝氏だから、その場合も充分に想定されるのである。  そうなると、滝氏は、自分の行先をいろいろと思案したに違いない。それは案内書などでひとりで考える場合もあるが、人に相談することもあるだろう。  添田の眼は、駅のすぐ隣にある旅行案内所に向いた。旅行案内所には二人の係員が居た。山のポスターを貼った壁を後ろにして、係員は添田と対い合った。 「今朝の八時か八時半ごろだと思いますが、五十五、六歳ぐらいの、こういう人が、こちらに旅行の相談に来ませんでしたでしょうか?」  添田は、手帳に挿《はさ》んだ滝氏の写真を出して見せた。  係員は、それを手に取って見ていたが、 「ああ、お見えになりました。この方でした」  とはっきり答えてくれた。  添田の考えは当たったのだ。 「その人は、行先を相談したんでしょうか?」  添田は、心をはずませて訊いた。 「ええ。何か鄙《ひな》びた温泉はないか、という御相談を受けました」  係員は答えたが、それを聞いて添田は、いかにもありそうなことだと思った。 「やはりそれは信州ですか?」 「そうです。いろいろと地図をお見せして、その候補地をお教えしたのですが、かなり迷っておられましたよ」 「結局、決まりましたか?」 「決まりました。それは奥蓼科《おくたてしな》がいいだろうということになりました」 「奥蓼科?」  添田は、秋の高原の山の湯を眼に泛《うか》べた。 「で、そこの旅館をきめてゆきましたか?」 「いいえ、それは何もおっしゃいませんでした。なにしろ、あそこは旅館が四軒ぐらいしかないんで、そう迷うことはないのです」  添田は、案内所から離れた。  滝氏はやはり八時十三分の上りに乗ったのだ。すると、これは茅野《ちの》に十時十五分ごろ着く。多分今ごろは、滝氏はその鄙びた旅館のどれかに身体を休ませているに違いなかった。  添田は、出札口に行って、躊躇《ちゆうちよ》なく茅野行の切符を求めた。  添田は、すぐ出る一時四十分の汽車に乗った。  短い秋の陽は、松本盆地のリンゴ畑の上に淡い朱色を投げていた。  昨夜、滝氏を訪ねてきた体格のいい男二人というのは、一体、何者であろうか。──  添田の考えは汽車に乗ってからも、それに落ち着く。  言い争いをしていたというのだが、それは何だろう。  宿の女中の話では、二人が来た時は、滝氏の宿屋での仮名を知らなかった。添田と同じように人相だけを言って尋ねたという。すると、その二人連れは、添田自身の立場とひどくよく似ているのだ。恐らく、方々の旅館を、滝氏の人相だけを頼りに訊ね歩いたに違いない。  滝氏は対手の二人の男を知らなかった。初対面らしいとは女中の話である。これから考えると、二人連れの男は滝氏を探して押しかけて来たと言える。激論になったのはどういう理由かわからないが、滝氏にとってあまり歓迎出来ない客だったのではなかろうか。女中が取り次いだときも、厭な顔をしたという。  ここまで考えると、滝氏が急に東京を逃げ出して浅間温泉辺りに隠れていたことと、両人の訪問とは因縁がありそうである。そのことはその二人の男が押しかけて来た晩、滝氏がその宿を引払う決心をつけたと想像出来ることで分かる。そして、さらに滝氏は東京には帰らずに、浅間温泉よりももっと鄙びた奥蓼科に隠れる気になったのであろう。  滝氏は何か危険を感じている。東京を逃げ出したのも、その怖れからだと想像される。  その恐れは、滝氏が笹島画伯に野上久美子をモデルとして紹介したことに原因がありそうだった。つまり、笹島画伯の自殺も滝良精氏の急な逃避も、久美子のことから原因が起こっているような気がする。もちろん、それは、久美子自身のことではなく、久美子の父が野上顕一郎だったということにありそうである。 (滝良精氏は誰かに脅迫されている!)  添田は眼をあげた。  汽車はいつの間にか上諏訪《かみすわ》駅に着いていた。ここでも、温泉帰りの客がかなり乗り込んだ。茅野まであと十分ほどである。  汽車は駅を出ると、急な勾配に向かって登りはじめた。      11  添田は、茅野駅に降りた。  駅前にバスが四、五台停まっていたが、みんな上諏訪行だった。蓼科行を訊くと、近ごろは回数が少なくなっているという返事だった。夏場だと頻繁に通うが、秋の終りになればずっと減ってくるのである。  次の蓼科行が出るのには、一時間も待たねばならなかった。添田は、バスを諦めてハイヤーを頼んだ。  車は茅野の町を通って山の方へ向かった。この町は古い家が多い。寒天製造の看板が方々で見られた。寒天は、ここの名産である。この辺一帯は、冬季になると寒気が厳しい。  道は絶えず登り勾配がつづいていた。途中で幾つもの部落を通り過ぎたが、道路はこの田舎に珍しく立派だった。季節になると、避暑のために都会地から人が集まるのである。  列車の窓から見馴れている|八ヶ岳《やつがたけ》が、ここでは側面になって山容を変えていた。一時間あまり乗りつづけると、道は標高千二百メートルを越えた。この辺に来ると、白樺《しらかば》やカラマツなどの林が葉を払い落として、梢だけになっていた。山の色は枯れている。  右手に湖が光った。このあたりからゆるやかな広い斜面となり、山稜には赤や青の屋根が森の中に見え出した。盆地は遥か下の方に小さくなっている。  添田は、滝良精氏がどの宿に泊まっているか予想がつかなかった。この辺から奥になると、渋ノ湯や明治湯などがあるが、交通は不便である。まず、一番誰でも行きそうな滝ノ湯を考えて、運転手にもそう命じた。そこで滝氏が泊まっていなかったら、今晩一晩滞在しても、他の温泉を探しに行くつもりだった。折角、此処までわざわざやって来たのである。  滝ノ湯には、旅館が一軒しかなかった。個人の別荘や会社の寮は、この宿からまだ上の方になっている。  宿の前で車を降りると、すぐ下に滝が湯気を上げていた。  宿は三階建で、わりと大きい。添田は、すぐに懐ろから滝良精氏の写真を出した。どうせ本名では泊まっていないと思ったから、この方が手っ取り早いのである。 「この方なら、お泊まりになっていらっしゃいます」  女中は写真を見て答えたが、添田を警察の者ではないかと思ったらしく、不安な顔をした。 「ぼくは新聞社の者です。この方にぜひお会いしたいから、取り次いでもらえないでしょうか」  添田が名刺を出しかけると、女中はすぐに言った。 「お客さまは、今、お部屋にはいらっしゃいません。先ほど散歩にお出かけになりました」  添田は、外に眼をやった。  晩秋の蓼科高原は、蒼い空の下にもう初冬の色を見せている。人の影もあまり動いていなかった。 「どの辺に出かけられたのですか?」 「多分、別荘のある上の方ではないかと思います。此処からずっと道がついていますから」  女中は指を上げて教えた。 「では、ぼくも散歩がてらに行って来ます。途中で遇ったら、そのお客さまと一しょに此処に帰ってきますからね」  添田は、スーツケースを預けて、玄関を出た。  白い湯気を上げている川に架かった橋を渡ると、道はこれまで来た方角と途中で岐《わか》れている。そこは急な坂になっていた。  草は黄ばみ、白い薄《すすき》の穂が一面に風に光っていた。このあたりから、赤土の多い石ころ道になっている。  広い場所に出た。  其処は、四、五軒の飲食店や競技場のようなものがかたまっていたが、ほとんど戸を閉めていた。夏場だけの稼ぎである。入口のアーチ型の門には「蓼科銀座」とあった。  人は少なかった。まだ居残っているらしい別荘の住人や、背中にリュックサックを背負ったハイカー数人に遇ったにすぎない。  添田は、坂道を歩きながら滝良精氏の姿を求めたが、広い展望の中にはそれらしい影は無かった。  かなり登った所に茶店があった。道は此処から二股に岐れている。  添田は、茶店に寄った。この茶店は、菓子などのほかには草鞋《わらじ》や杖を売っていた。客はほかに一人も居なかった。 「この道を真直ぐ行くと、何処に出ますか?」  添田は、右側の道を指した。 「それをずっとおいでになると、蓼科山を越えて高野町に出ます」  茶店のおばさんは説明した。 「高野町?」 「へえ、其処から小諸《こもろ》に行く汽車が通っています」 「其処に出るのは、大分、道程《みちのり》がありますか?」 「そりゃ大変ですよ。朝から出ないと向うには出られないでしょう。それに、山越えですからね」  滝氏がその道を行っていないことが判った。添田は、別の路を選んだ。  路は別荘地帯に入ってゆく。どの家もほとんど戸を閉めていた。カラマツの奥の方に屋根があるかと思うと、斜面のずっと下の繁みの中に門が見えたりした。白樺の木肌が秋の弱い陽をうけていた。  添田が歩いている路の前を、リスが大急ぎで横切った。人は居なかった。森閑としたものである。  滝氏はどの路を行ったのであろう。添田は絶えず眼を配った。路は、またさまざまな小道に岐れている。谷間の向うには、|霧ヶ峰《きりがみね》の山稜がゆるい曲線で下に落ちていた。茅野町らしい辺りが遠くに陥没していた。  空気は肌寒いくらいだった。道の両側には落葉が堆積《たいせき》している。添田が踏む靴の下で木の実が鳴った。添田は、肺の奥までガラスのような空気を吸った。  音一つ無く、人の声も絶えていた。どの別荘も戸を閉めている。個人の家だけではなく、会社や銀行の寮が入口に釘を打っているのだ。蓼科湖が下の方で小さな白い輪になっていた。冬近い蓼科の山は、茶褐色と黄色とを基調としている。  小さな峠を越えると、下の路から男が上って来た。土地の人らしく、モンペを穿《は》き、背負籠《しよいご》を負っていた。 「お天気でごわす」  男は、添田が別荘の者かと思って、挨拶して通り過ぎようとした。添田は脚をとめた。  滝氏の特徴を伝えて、そういう人を見かけなかったか、と訊くと、 「へえ、そんな人なら、ずっと向うを歩いてやしたで」  添田は礼を述べて、その男と別れた。  やはり滝良精氏はこの路を歩いているのだ。添田は、少し急ぎ足になった。  また一つの小さな坂を越えた。  其処からは再びあの茶店の近くに降りてゆくのだが、このとき、途中の岐れた小径の上から、滝良精氏の姿がひょっこりと現われた。近づくまで、先方では気が付かなかったが、添田の顔を見ると、滝良精氏はぎょっとしたように立ちどまって、こちらを凝視した。  添田は、お辞儀をして、滝氏の傍へ近づいた。  滝良精氏は、信じられないといったような表情をしていた。まさか、こんな所で添田に遇うとは思ってもみなかったことだろう。彼は呆然とした顔つきで、添田が近づいてくるのを見ていた。 「滝さん、今日は」  添田は傍に行ってお辞儀をした。 「………」  滝氏は、すぐには声が出なかった。よほど愕いたとみえ、眼をまるくしていた。 「ずいぶんお探ししました」  添田は言った。  これが滝氏に初めて口を開かせた。 「君は、こんな所までぼくを追っかけてきたのか」  最初、添田と遇ったのは、半分は偶然かと疑っていたらしい滝氏も、添田のその言葉で、今度は新しい驚嘆をみせた。 「実は、滝さんが浅間温泉に滞在されているものと思って、向うまで行って、すぐ、こちらにやって来ました」  滝氏は黙って歩き出した。顔色が少し蒼くなっているようだった。  添田は、滝氏の横に並んだ。小径を下り、赤土のややひろい路をゆっくりと足を運んだ。 「何の用事だね?」  滝氏は、ここで平凡な顔つきに返って訊いた。もう、東京で見たときの表情と変わらなかった。遠い所をわざわざやってきた添田の努力は最初から滝氏の心に無いようにみえた。 「世界文化交流連盟のほうは、おやめになったそうですね?」  添田は、今度こそ滝氏が逃げ場の無いのを知って、はじめから切り込んだ。東京だと、失礼、と言って席を立たれるおそれがあるが、此処だと絶対にそんな気遣いはない。滝氏が駆け出さない限り、彼は氏を横に引き据えておくことが出来るのである。 「うむ」  滝氏は、仕方なしにうなずいた。 「ずいぶん突然のように思いますが、理由は何でしょうか?」 「君」  滝氏は急に大きな声を出した。 「そんなことがニュースになるのかね? いや、ぼくなんかが連盟の仕事から手を引いたことが、君を此処まで追っかけて来させるほど値打ちがあるのかね?」  滝氏は瞬時に反撃に移っていた。そういう言い方をする滝氏の横顔には、いつぞや添田が見た、あの皮肉が露骨に表われていた。 「あります」  添田は、その質問の場合を考えて、用意した答えを言った。 「ふむ。それを聴こう」 「連盟の仕事には、滝さんが最初から情熱を入れて、あれまでに育てられました。その滝さんが、事前の話もなく、また他の理事の方にも相談されずに、突然、辞表を旅先からお出しになったことがニュースです。第一、ぼくを此処までやらせてくれたのですから、社の幹部もそう考えたのでしょう」  添田は休暇を取って来たのである。しかし、後でそれが露顕したとしても、今の場合、この言い方よりほかになかった。  滝氏はまた黙って歩いた。添田の靴先に当たった小石が坂を転がった。添田は、それを見ていた。二人とも顔を上げずに俯向《うつむ》いて歩いているのだった。 「べつに深い理由はない」  滝氏はぼそりと言った。 「疲れたのだ。この辺で少し休ませてもらいたいと思った。それだけだよ」 「しかし、滝さん」  添田は急いで言った。 「それだと連盟の役員の方に御相談があった筈です。滝さんの性格として、勝手にそんなことを独りでおやりになるとは思われません。われわれは、滝さんが連盟に辞表を叩きつけた、と取っているのです」  この言葉の反応はあった。滝氏の顔が少し動揺したからである。 「君、本当か? ほんとうにみんなそう考えているのかね?」 「一部ですが、実際にそう取っているむきもあります。もし、そうでないということでしたら、この際、滝さんが辞職された心境をお聴かせ願いたいものです」  歩いている横の林の中から、百《も》舌|鳥《ず》が枯葉を屑のように落として飛び去った。 「疲れた、というよりしようがないね」  滝氏は強情だった。 「辞表の出し方をいろいろ言うが、嫌になればあとで了解を求める方法はある。前例もあるよ」 「では、滝さんは、急に疲れて辞表を出されたわけですね?」 「そうだ、と言っている」 「ほかに理由は?」 「何も無いね」  路は一たん林の中に入ったが、ふたたび明るく展《ひら》けたところに出た。見通しの位置が変わって、今度は八ヶ岳の側面が眼の前だった。山肌に杉の密生が焦茶色の斑《まだら》になっている。 「わかりました。では、内部的な紛争というものは無いわけですね?」 「それは絶対に無い、そんなことがある筈はない」  滝氏は力をこめた。 「では、そう書きます」 「頼む」  滝氏は言った。この人が初めてそう言ったのである。添田は、案外な気がした。彼は、滝氏から好まれていない人物だと自覚していたが、滝氏の表情も、言葉も、意外に弱いのを見逃さなかった。東京と違って、やはりこういう山の中を二人だけで歩いているという親近感から来たのであろうか。 「滝さん」  添田は言った。 「此処までぼくが滝さんを追っかけてきた理由は、それだけです。用事は済みました。しかし、もう一つ、それとは別のことをお訊ねしてもいいでしょうか?」 「どんなことだね?」 「滝さんは、笹島画伯をご存じでしたね?」  添田は横を歩いていながら、それとなく滝氏の顔を窺《うかが》った。心なしか、表情が緊張しているように映った。 「知っている。友達だ」  滝氏は抑えた声で言った。 「社の先輩が、そう言っていました。ところで、その笹島さんが亡くなられたのをご存じでしょうか? たしか、滝さんが旅行に出発された後だったと思います」  道は曲がっていた。二人はやはり並んで、その坂に沿って降りた。  向うから、裸馬を連れた男が登って来た。 「知っている。浅間温泉の宿で新聞を読んだ」  滝氏は低い声で、一語ずつを切るようにした。  裸馬の蹄《ひづめ》の音が乾いた路のうしろに遠くなった。 「そうですか。随分びっくりなすったでしょう」 「当たり前だ。友達のことだからな」 「笹島さんの急死は、過失ではなく、自殺だという説もあります。もしそうだとしたら、何故、笹島さんは自殺されたのでしょう。ぼくが此処に来るまでは、捜査当局にも見当がついていませんでした。滝さんは笹島さんと親友でしたら、何か心当たりはありませんか」  滝氏は、急にポケットを探ったが、これは煙草を取り出すためだった。ライターを鳴らしたが、火が容易につかなかった。強い風の無い日和《ひより》なのである。 「知らないね」  咽喉《のど》の奥から烟を吐き出して、滝氏は答えた。 「笹島にも永いこと会っていない。ぼくがそれを知る訳はないだろう」  下から若い男女のハイカーが登って来た。はずんだ話し声が通り過ぎた。  空気は澄みきっていた。遠い山の襞《ひだ》が細部まで描き分けられていた。  滝良精氏は前よりは硬い表情になっていた。添田の言った言葉で、明らかに衝撃を受けているのだった。 「笹島さんの場合は、実に妙なことがあるんです」  添田は言い出した。 「妙なこと。何だね?」  滝氏が初めて問いを返した。本気だった。 「笹島さんは」  添田は前方の雲の下に連なっている青い山稜に眼をやりながら言った。 「大作を予定されていました。そのために、或る若い娘さんをモデルとして、三日間、アトリエに通うように頼んでいられたのです。ところが、その間、毎日通ってくる家政婦の人を、笹島さんは来させないようにしていたんです。妙な話です。モデルを呼ぶのでしたら、余計に家政婦の手が必要だろうに、何故、それを来させないのだろうか?」  茶屋の前に出た。道は此処から旅館の方に向かう。蓼科湖がずっと大きくなって湖畔の植物が見えた。  滝良精氏は苦い顔をして聴いていた。 「もう一つ、もっと不思議なことがあります。笹島さんは、そのお嬢さんのデッサンを八枚|描《か》き取ったそうです。本人もひどく乗り気になって、それは熱心にスケッチしたそうですがね。ところが、笹島さんが亡くなってみると、そのデッサンが紛失しているんです。描きかけの一枚を残してあと全部、何処に行ったかわからないでいます。もちろん、笹島さんが破って捨てたという場合も考えられますが、その破片も見当たりません。今も申しましたように、画伯はモデルのお嬢さんが大そう気に入っていて、スケッチにも熱心だったのですから、その出来もきっと良かったに違いありません。ですから、画伯がそれを破り捨てたということはまず考えられないと思います。そうすると、誰かがそれを盗んで持って行ったということになります。不思議な話です。何故、そのモデルの顔を描いたデッサンが盗まれたのでしょうか? そのお嬢さんは良家の子女です」  添田は、野上久美子の名前をわざと言わなかった。が、滝氏から先に言い出した。 「そのモデルは、ぼくが世話をした」  滝氏は耐えかねたように自分から言った。 「そりゃア本当かね? いや、そのデッサンが無くなったということだ」 「本当です。……そうですか。滝さんがお世話なすった?」 「知った家《うち》の娘さんでね。笹島が電話で頼んできたから、ぼくが思いついて勧めたのだ」  滝氏の顔色が白くなっていた。  葉の無いカラマツの林を過ぎた。高原の広い斜面に雲の影がゆっくりと移動していた。その下では色の変化があった。  添田は初めて知ったように言った。 「それは知りませんでした。そうですか。そういう関係があったのですか」  添田は、ここで一歩を進めた。 「そのお嬢さんというのは、やはり滝さんのお仕事の関係で?」 「いや、そうではない。ぼくの旧い友達の娘さんだ」 「じゃ、そのお友達の方というのは、笹島さんもご存じでしたか?」 「笹島とは関係がない……その人は死んだ」 「亡くなられた?」  添田は、意外という眼つきを見せた。 「そうでしたか」  この時、滝良精氏が鋭い声で言った。 「君。そういうことが何か笹島君の死に関係があるのかね?」 「いや、そうではありません。はっきりとはわかりませんが、ぼくにはどうも、そのお嬢さんのデッサンが盗まれたことが引っかかるんです。それで、つい、そんなことを伺ったんです」 「そういう詮索は、もうしない方がいいね」  滝氏は添田に少し腹を立てたように言った。 「あまり他人の内面に立ち入らぬ方がいいだろう。笹島君はぼくの友達だ。それが君たちの職業的な興味の対象になるのは、ぼくには我慢がならないような気がする。第一、他人の死に、そういう詮索は不必要だし、失礼だと思う」  はじめて滝氏の口から抗議めいた言葉が出た。 「そうでしょうか?」  添田は穏やかに応じた。 「新聞は絶えず真相を追及しています。もちろん、失礼があってはなりませんが、ことを曖昧にしておけないのがわれわれの仕事です。いや、先輩に対して、ぼくなんかが生意気なことを言うようですが、滝さんにはわかって頂けると思っていました」 「そりゃア、君」  滝氏は急いで言いかけたが、急に言葉を切った。  自分でも思わず興奮しかけたのを抑えたのだった。 「そりゃわかるがね」  とおだやかになった。 「人の生活の内面には、いろいろ事情がある。他人に知られたくないことは、誰にでもあるだろう。生きてる人間には弁解の権利があるがね、死んでしまったら、それを失うのだ」 「どういう意味でしょうか?」  若い記者は追及した。 「添田君」  滝氏はそれまで添田を見なかったが、今度は彼の方へ顔を向けてくれた。 「世の中には、いろいろむずかしいことがある。人に言えないまま死ななければならないことだってある……ぼくにもそれが無いとは言わない。しかし、今は何も話せないのだ」 「すると、いつかは……」 「いつかは、か」  思いなしか、滝氏の声に太い息が混じった。 「そうだな、ぼくが死ぬ時になったら話せるかも分からない」 「滝さんが亡くなられる時に?」  添田は思わず滝氏の表情を見つめた。それには複雑な微笑が水のように滲《にじ》んで出た。 「当分、ぼくは死にそうもないから大丈夫だ。君、見給え」  滝氏は指を上げた。 「ぼくはこんな美しい所を今歩いてるんだ。しみじみ、生きている有難さを思うね、添田君、ぼくは当分死なないつもりだ。折角だが、この話は見込みがないものと思って忘れてくれ給え」  これまでの滝良精氏ではなかった。秋の気配のように、滝氏のひっそりとした愛情が若い後輩に伝わった。  添田は滝氏と並んで、宿の玄関に入った。  もう、滝氏に訊くことは何も無かった。滝氏もこれ以上は話さない。添田は泊まるつもりで預けたスーツケースを、帳場から受け取った。 「いろいろ御迷惑をかけました」  添田は立ったまま滝氏に挨拶した。 「このまま東京に帰るのかね?」  滝氏は、多少、名残り惜しそうな顔をした。 「はあ、真直ぐに帰ります」 「あまりお役に立たなかったな」  滝良精氏は、思いなしか寂しそうな微笑を口許に見せた。 「どういたしまして。かえっていろいろと失礼なことを申し上げました。滝さんは、まだずっとこちらにいらっしゃいますか」  滝氏の返辞を聞くのに間があった。 「当分、そうするかもしれません」 「ずっとこの宿で?」 「さあ」  滝氏は、遠い所を見ていた。 「他の温泉地に、気が向いたら移るかもしれないね。今のところ予定が立っていない」  添田は、滝氏が移るとしたら、ずっと山奥の寂しい場所だと考えた。 「何か御家族に御用事でもありましたら、ぼくは今日中に東京に帰りますから、おことづけをいたしましょうか」  添田は思わず言った。 「いや」  滝氏は、これには直ぐに顔を振った。 「その必要はない。有難う」  別れる時がきた。添田が玄関を出ると、滝氏は入口まで見送った。 「失礼します」  この宿からバスのある所までは、一応、登らねばならなかった。  添田は、湯気を立てて落ちている滝の傍を通って、停留所の方への道を歩いた。かなり行って振り返ると、宿が小さくなり、その前に滝氏の影はまだ立っていた。  坂道は、白樺の間を過ぎる。  バスの停留所には、三人の客が待っていた。一人は猟銃を担いだ中年の男で、あとはリュックサックを背負った若い男女だった。  しばらく待つと、バスが下から喘《あえ》ぎながら登って来た。  降りた乗客は五人だった。土地の人ばかりで、下の町での買物の包みを提げているのが多かった。バスが出るまで、運転手は崖縁《がけつぷち》にしゃがみ、蒼い煙草の烟を吐いていた。  バスが出るころになって、別の男連れのハイカーが駆けつけて来た。彼らは手にアケビの実の成った小枝を持っていた。アケビは熟《う》れて、割れ目から黒い種子《たね》が覗いていた。気づくと、前の男女のリュックサックの蓋の間に、竜胆《りんどう》の花が挿し込まれてあった。  バスはゆっくりと下りはじめた。カラマツの大きな林の横に下り道がついている。蓼科湖の傍を過ぎた。  添田は、滝良精氏が笹島画伯の死の原因に心当たりがあるような気がした。その話が出た時の滝氏の顔色は、たしかに愕きはあったが、どこか予期したような感じがあった。滝氏は何かを知っている。  添田が滝氏に訊けなかったことが一つある。それは、滝氏が何故、浅間温泉から倉皇《そうこう》としてこの蓼科の奥に移ったか、ということである。此処に来る前の晩の浅間温泉に、滝氏は二人の男の訪問を受けている。しかも、それが決して愉快な客でなかったことは、宿の者の話でも想像ができる。滝氏が此処に移ったことと、その訪問客とは、無縁ではなさそうである。  添田は、その二人が何者であるかを知りたかったし、その質問がのどまで出かかっていた。が、結局、それを呑み込んだ。いかにもそれを言うのが滝氏に残酷なような気がした。滝氏の今までになかった弱々しい表情を見て、添田はこれまで抱いていた滝氏への印象を変えねばならなかった。  少ないバスの客は、ばらばらに座席を取っている。一組の男女は寄り添うように話をし、一組の男連れは疲れた顔で眼を閉じていた。猟銃を持った男は、手帳を出してしきりに何か書き込んでいる。ただ、バスの窓の景色だけが下降をつづけていた。  景色は普通のものになった。切株の残った田圃と、枯れた桑畑に変わった。大きな欅《けやき》の下に道祖神がある。その前に供《そな》えた蜜柑《みかん》も、もう色づいていた。  部落に入ると、古びた小さな小学校があった。小旗を飾って運動会をやっている。見物人が多い。白と赤の鉢巻をした子供が懸命に走っていた。  それが過ぎて間もなくである。前方から大型のハイヤーが登って来た。  道は狭い。こちらも相当大きいバスだから、すれ違いのために互いが徐行した。  添田は窓から見るともなく行き過ぎるハイヤーを眺めた。上から見下ろすのだから、ハイヤーの窓は半分ぐらいしか覗けない。それでも、そこに三人の男客が乗っているのが見えた。両側の二人は黒っぽい洋服を着ていて、真中の一人は茶色だった。この道を登るのだったら、蓼科に行く客と思えた。  やはり今ごろでも客はあるものだ、と思った。もう五時を過ぎている。  すれ違って、バスはまた速度を出した。  添田は、ふと、今の客に気持が引っかかった。思わず滝氏のことを考えたのである。浅間温泉に訪ねてきた男は二人連れだったが、今のハイヤーの客は確かに三人である。それを滝氏に結び付けるのは思い過ごしかもしれなかった。が、一度思いついたことは容易に気持から消えなかった。  添田は、軽い不安を感じた。あの三人の男たちが滝氏の所に訪ねてゆくような気がしてならない。添田は振り返った。が、もう、ハイヤーは桑畑の間に白い埃を立てていた。添田は、よほど、これから引き返そうかと思ったくらいである。しかし、もしそうでなかった時のことを考えた。何でもないのに滝氏と再び顔を合わせる時の気まずさを考えた。  バスは、茅野町の町外れに入りかけていた。 (ぼくが死ぬときでないと話せない)  添田は滝氏の呟いた言葉を心に泛べた。      12  翌日、添田彰一は出社するとすぐに、笹島恭三の死を警視庁がどう決定したかを担当の所に訊きに行った。 「あれかい?」  と担当の記者はあっさり言った。 「あの画描きさんは過失死に決まったよ」 「過失死? では、薬の飲み過ぎかい?」  添田は訊き直した。 「そうだ」 「しかし、そりゃおかしいな」  添田は異議を唱えた。 「睡眠薬の致死量は、少なくとも百錠以上でないと効き目がない。笹島画伯の枕頭にあった空の瓶は、家政婦の証言でも、三十錠しか残っていなかった筈だ。それだけ全部飲んだにしても、画伯が死ぬのは変じゃないか」 「そういう説はあった」  記者は逆らわずに説明した。 「たしかに、解剖の所見では、少なくとも百錠飲んだくらいの多量の睡眠薬の検出があった。今、君の言った通りのことも警視庁では考えたらしい。しかし、例えば、他から睡眠薬を飲まされたという根拠が無い限り、その線は弱いのだ」  添田はその記者と別れた。  隣の席に、後から出社した同僚が腰を下ろした。 「よう、昨日は一日どこに行った?」  同僚は添田に微笑《わら》いながら訊いた。 「疲れたのでね、ぶらりと信州のほうへ行って来た」  添田は、考え込んでいた眼を普通に戻して同僚に向けた。 「そうかい。あの辺の秋はいいだろう」 「うん、久しぶりにいい空気を吸った。富士見《ふじみ》辺りの線路の脇は、とりどりの秋草で一ぱいだったよ」 「そうか。やはり違うんだな」  同僚は、ここで急に思い出したというように、 「そうそう、昨日は、電話が何回かかかって来たよ」 「そうか。有難う、誰からだった?」 「ぼくは二回ほど聞いたんだがね、最初は、若い女性の声だった。その次は、ちょっと年配の女のひとの声だ。君が居ないかと訊くので、今日は休暇を取っていると言ったら、ひどくがっかりしていた」 「冗談を言わずに、先方の名前を早く言ってくれ」 「いや、本当だよ。添田が帰ったらすぐに電話してくれ、という言《こと》づけだった。その二人とも苗字《みようじ》は同じだ。野上さんと言っていた」  それを聞いて添田は席から起ち上がった。  信州に滝氏を訪ねてゆくとき、その出発を久美子に伝えようと思ったが、思い返して、その時はやめた。久美子も、その母も、添田の休暇を知っていなかったのだ。添田は、自分の留守中に、野上家に何かが起こったことを予感した。  彼は同僚の居るそこの電話を使わず、わざと一階に降りて、玄関のすぐ横に付いている公衆電話を使用した。此処だと自由にものが訊けるのである。  彼はまず、役所に電話をした。 「野上さんは、昨日から三日間、休暇をお取りになりました」  久美子の課の別な女事務員が教えた。 「三日間の休暇ですって? どこか旅行に行くと言ってましたか?」 「いいえ、何かお家に急な用事があるということでしたわ」  添田は電話を切った。胸騒ぎがした。  すぐに、野上家に電話をした。 「添田ですが」  電話口に出て来た声は久美子の母の孝子だった。 「ああ、添田さん」  孝子は、受話器の中で声をはずませた。 「失礼しました。ぼく、昨日は、ちょっと用事があって、信州に行ってました。その留守にお電話があったそうですね」 「ええ、昨日、わたくしから一度、久美子から一度、社のほうにお電話いたしました。お宅ではなくて、どこかへお出かけらしいとうかがいましたので、ご連絡できずに残念でしたわ。久美子の出発前に、ぜひ添田さんにお目にかかってお話ししたいことがありましたの」 「出発って? 久美子さんは、どこへいらしたのですか?」 「京都ですわ。昨日の午後、東京を発ちました」 「一体、どうしたというんです?」 「そのことで、わたくしからもあなたに御相談したかったんですけれど。とにかく、お帰りになったと知って、ほっとしましたわ」 「もしもし」  添田は急《せ》き込んだ。 「何かあったのですか?」 「電話では、ちょっと申し上げかねますの。よろしかったら、社が退《ひ》けてからでもお寄り下さいますか?」 「いや、すぐ、これから伺います」  添田は電話を切った。社が退けるまで待てなかった。久美子が突然京都に行ったのである。何かが起こったに違いなかった。それを一刻も早く聞きたかった。時が時だった。不安が添田の胸を襲った。  添田は、また三階の編集局へ上がると、ちょっと用事があるから、と断わって出た。エレベーターを降りたところで知った人間に遇ったが、向うが話しかけるのを振り切って玄関をとび出した。タクシーを拾い、杉並の久美子の家に急がせた。  有楽町から目的地までの、約四十分の車の中は苦しかった。いろいろな想像が湧いてくる。久美子が突然京都へ行ったことの理由がわからない。知らないということに焦躁と危惧とが起こってくる。彼は、社を休んだことを後悔した。  野上家は、弱い陽射しのなかに花柏《さわら》の青い垣根を揃えていた。玄関までの地面に帚目《ほうきめ》が残っていることも、ふだんと変わりはなかった。  添田がブザーを鳴らすと、玄関はすぐに内側から開けられた。のぞいた久美子の母と顔が合った。 「今日は」 「どうぞ」  孝子は待っていたように、添田をすぐ上にあげた。 「久美子さんは京都ですって?」  添田は挨拶を済ませてすぐ要点に入った。 「そうなんですの。急なことで……」 「どういうことですか?」 「それを、実は添田さんに御相談したかったんです」 「昨日のことをお話ししておけばよかったのですが、つい、黙って行ってしまって、すみませんでした」 「いいえ、それは結構ですの。ただ、御相談出来なかったのが残念でしたわ。仕方がないので、わたくしたちだけの判断で久美子を発たせることにしました」 「一体、どうしたんですか?」 「実は、久美子に、こんな手紙が参りましたの」  孝子は用意していたらしく、懐ろから封筒を出して、添田の前に置いた。 「どうぞ、お読みになって」  添田は、封筒の表を眺めた。久美子宛だった。裏は山本千代子とある。ペン書きで、わりと上手な字だった。封筒はありふれた白い二重封筒だった。  添田は、中を出した。薄い紙が二枚にたたまれてあったが、それはタイプライターで打たれていた。 [#ここから1字下げ]  突然、お手紙を差し上げます。  わたしは、笹島画伯の描かれたあなたのデッサンを何枚か持っております。或る事情で手に入れたもので、その理由は、事情があって申し上げられません。しかし、決して不正な手段で手に入れたものでないことだけは明言できます。  わたしは、ぜひ、あなたさまにお逢いして、そのデッサンをお返ししたいと思います。笹島画伯が亡くなられた現在、このデッサンは、当然、あなたさまのお手許に返すべきものだと信じます。こう書きますと、さぞかしいろいろな御不審をお持ちのことと思いますが、どうぞ、わたしを御信用下さいまして、京都においで下さるようお願いいたします。デッサンは郵送してもよいのですが、その機会に、わたしはあなたさまにお目にかかりたいのでございます。少々遠方で申しわけありませんが、わたしはどうしても今夜のうちに京都に発たねばなりませんので、東京でそれをお渡しすることが不可能なのです。お車代を同封しておきましたから、お受取り下さい。  わたしは、決してあなたさまに危害を加えるような人物でないことを責任をもって申し上げます。あなたさまにお逢いしたい理由は、お目にかかって詳しく御説明いたしますが、これは、わたしのあなたさまへの好意から出た申し入れだとお含み下さい。  笹島画伯のデッサンを或る手段でわたしが所蔵していることも、あなたさまへの好意の故だということを申し添えておきます。  もし、御承知ならば、左記の通りに、指定の場所へ一人でお越し下さるようお願いします。なお、その時間を中心に、前後一時間お待ちしてもお姿が無いときは、何かの都合でわたしの希望が叶《かな》わなかったことと承知して諦めます。  十一月一日(水)正午(午前十一時より午後一時までお待ちしています)  京都市左京区|南禅寺山門《なんぜんじさんもん》付近。  二伸。京都にいらっしゃるのは、他の方との御同行は少しも構いませぬが、南禅寺の指定の場所には、必ずあなたさまお一人だけでお越し下さるようお願いいたします。また、この手紙に御不審を持たれて、例えば警察署などへ御相談なさるようなことは絶対におやめ下さるようお願いします。くれぐれも申し上げますが、わたしはあなたさまに好意を持っていこそすれ、絶対にそれ以外の他意は持っておりませぬ。 [#ここで字下げ終わり]    野上久美子様 [#地付き]山本千代子    添田は、手紙から眼を上げた。顔は興奮でひとりでに赭《あか》く上気していた。 「ね、変な手紙でございましょう?」  孝子は、添田の表情を見戍《みまも》って言った。彼女のほうが添田の愕きを落ち着かせているような微笑を持っていた。 「この方は、わたくしたちの誰も存じあげない名前です。まるきり心当たりがございませんの。添田さんは、この手紙の差出人をどうお考えになりますか?」  添田は、質問する孝子の顔を見つめた。が、その表情からは、彼女のはっきりした意思が読めなかった。  添田はためらった。自分に密かに持っている意見はあった。が、それを孝子に言うには躊躇を要した。彼は、或いは孝子が自分と同じ考えを持っているのではないかと、視線が自然と観察的になったが、自信のある結果は、得られなかった。 「さあ、ぼくにはよく見当がつきませんが」  と添田はまず妥当な答え方をした。 「お母さまは、どういう御意見でしょう?」 「笹島先生のデッサンをこの方がお持ちになっていることは、事実だと思いますわ」  彼女はわりと冷静に言った。その答えは、添田も同感だったのでうなずいた。 「わたくしは、この方が、この手紙にあるように、やはり、久美子のデッサンをお返しになりたい気持からだと思います。ただ、それには、久美子にじかにお渡しになりたいのでございましょう。そのため、この方は郵送という方法をお採りにならなかったのです。京都で、というのは、この手紙にある通り、東京を発って京都に向かわねばならなかった事情があったからだと思います」 「だったら、お母さま、この人はどうして自分のことを手紙の受取人に紹介しないのでしょう?」 「そのご不審は尤もですわ。わたくしたちもみんなそう思います。けれど、それは何かの事情があってのことと思います」 「事情といいますと?」  添田は、孝子の顔を凝視した。その眼に、添田はわれながら或る残酷を感じていた。 「よくわかりませんが」  孝子は眼を伏せて答えた。 「笹島先生の亡くなった事情に、この方は何かの関係があったのではないでしょうか。それをどうとお問いになられても困りますけれど、とにかく、そのことが、この方に、このような方法を択ばせた理由だと思います」 「むろん、この山本千代子さんという名前を、こちらのどなたもご存じないことは、本人も知っている筈です。それに、この手紙は全部タイプライターで打ってあるじゃありませんか。外国だとか、事務上の手紙なら別ですが、こういう私信をタイプライターで打つのもおかしなことだと思います」 「わたくしも奇妙に思いますわ。でも、それはやはりこの方の特殊な事情という条件の中で考えたいと思います。わたくしは、久美子がこの方に逢ったなら、久美子にとって何かいいことがあるような気がしたんです」  添田はぎょっとして、また孝子の顔を見た。が、やはり彼女の表情には特別な変化は現われていなかった。 「久美子さんにとっていいことといいますと、どういうことでしょう?」  添田は、何となく唾《つば》を呑み込んだ。 「わかりませんわ。ただ、ぼんやりと、そう思っただけです。人間って、そんな儚《はかな》いところに希望をかけるものですわ」  添田は、孝子の眼を見た。その彼女の眼も添田を見返していた。それは瞬間の強烈な視線のからみあいだった。  添田は息を詰めた。しかし、その視線を先に外したのは、孝子のほうだった。 「それで、お母さまは」  と添田は声を落として訊いた。 「久美子さんを京都に一人でおやりになったのですか?」  孝子は複雑な表情をした。 「やはり、これは警視庁の方に相談したほうがいいと思って、この手紙のことを或る警察官に話しました。警察官はこれを読んで、では、自分も一緒に行く、と言われたんです」 「え、警察官が? では、一緒ですか?」 「はい」  孝子は俯向いた。 「警察のほうには、実は届けたくなかったのですが、姪の節子が主人に、このことを言ったらしいんです。すると姪の主人が、ご承知のように或る大学の助教授をしておりますが、大そう心配して、やはり警察に言ったほうが久美子のために無難だ、という説を主張しまして、到頭、そうなったのでございます」 「そりゃまずかった」  添田は思わず叫んだ。 「警察官を久美子さんに付けたのはまずかった」 「わたくしもそうしたくなかったのですが、姪の主人がどうしても聞かないんです。もし、久美子に万一のことがあったらどうする、と言うのです」 「しかし、お母さま。この手紙の主《ぬし》は、久美子さんには何の危険もないと思いますがね。つまり、一人で京都におやりになっても大丈夫と思うのです」 「わたくしもそう思います。でも、今申し上げたような事情で、姪の主人の忠告どおり、警察に言ったものですから、警察官が付くことになりました」 「その警察官は、何という名前ですか?」 「鈴木警部補と言います。この方は、笹島先生の死因にまだ疑いを持っていらっしゃるようです」 「笹島画伯の死は、過失死と決定したのではなかったのですか?」 「一応、そういうことになったようですが、鈴木さんだけは、ひとりで頑固に別な考えを持っていらっしゃるのです。それで、久美子が笹島先生の事件で鈴木さんを存じあげていた関係から、手紙もこの方にお見せしたのです。すると鈴木さんは、自分のほうから久美子に付いて行ってあげようと言い出されたのです。お断わりのしようがなかったのですわ」  孝子は、顔をうつむけた。 「それに、鈴木さんもわたくしたちの気持を、よく汲んで下さって、ただ、京都までついて行くだけで、現場には決して久美子と一緒に行かないという約束をなさいました。この手紙にも現場に付いて来ないのだったら、構わないとありましたので、つい、それをお受けしたのです」  孝子が信じるように、果して鈴木警部補は久美子と南禅寺に一緒に行かないだろうか。いや、それは考えられない。彼は必ず久美子が出会う対手を確かめに行くであろう。そのつもりで京都までの同行を承知したのだ。  もとより、鈴木警部補は誰の眼にもわかるように久美子と一緒に現場に行くようなことはあるまい。しかし、対手がその尾行を感付かないでいるだろうか。  添田は、昨日東京にいなかったことに、改めて後悔が湧いた。久美子がその対手に逢っている日が、今日なのである。添田は時計を見た。一時だった。そうだ。この時間がこの手紙の指定する会見の最終時間なのだ。  添田は社に引き返したが、すぐ仕事に打ち込めなかった。彼は二、三の短い記事を書いただけだった。考えがともすると、京都に行っている久美子へ向かった。 「添田君」  部長が呼んだ。 「君、これから羽田へ行ってくれないか、今、二時半だ」 「はあ、何でしょうか?」  添田は、手が空《す》いている自分を部長が見付けて用事を言いつけたのだと思った。 「四時前に国際線のSAS機が着く。それで、国際会議に出ていた山口代表が帰ってくる。まあ、あまり土産話もないだろうが、一通り聞いて来てくれ給え」 「はあ、わかりました。写真班を連れてゆきますか?」  部長は考えていたが、 「ああ、誰でもいいから連れて行ってくれ」  と軽く言った。  部長もあまり大事には考えていないのだ。こんな仕事を割当てられた添田はクサった。  彼はすぐ写真班の若い男と一緒に、車で羽田に向かった。  空港に着くと、SAS機の到着予定が一時間遅れることが分かった。 「しようがないな。お茶でも喫もうか」  添田は若いカメラマンを連れて、国際線のロビーの売店に入った。 「空港も国際線となると、ちょっと気持が大きくなりますね」  カメラマンが言った。周囲は外人が多い。広い待合室は贅沢で国際的な旅愁が漂っていた。  添田は、若いカメラマンが何かと言いかけるのに、あまり返辞をしなかった。彼は独りで考えたかったのだ。  ──久美子は、果して手紙を呉れた謎の女性に逢えたであろうか。  カメラマンは退屈している。 「まだ後、一時間以上ありますよ」 「仕方がない。延着ならどうにもならないよ」  添田の坐っている所から、ガラス張りのドア越しにロビーの一部が見えた。この時、添田の眼は、一群の紳士の中に顔見知りの人物を捉えた。  外務省欧亜局の××課長、村尾|芳生《よしお》氏だった。  村尾氏は、外務省の他の役人と一緒に談笑していた。横顔は外国人のように赤味を帯び、白い頭髪に手入れが届いていた。外務省の役人は、国際会議から帰ってくる代表をやはり出迎えに来ているものとみえた。添田は、村尾氏に会ったときの記憶を、その端正な顔に重ねた。  いまの村尾課長は、上品に談笑している。アナウンスは、さらにSAS機の到着の遅れることを告げた。  ようやく、遅れたSAS機が着いた。北欧の都市で開かれた国際会議に出席した日本の代表が、タラップで手をふりながら降りた。  肥った白髪の男である。元大使をしていたが、その後、何となく不遇な道を歩いた人で、あまりぱっとしない国際会議には、その貫禄のせいでよく代表として出される。  外務省の役人の一団は、この先輩を迎えて挨拶していた。村尾芳生課長も代表の前でお辞儀をしている。  この国際会議がそれほど重要ではなかったためか、これを迎えに出た局長連も、ただ儀礼的な表情である。  添田は、代表から談話をとったあと、村尾氏に会ってみる気になった。前に、外務省に訪ねて冷淡な扱いを受けたが、ここでもう一度話しかけてみて、彼から反応を引き出す気になった。村尾課長は、野上顕一郎の死亡の真相を知っている一人である。  添田は、野上氏の死に自分なりの考えがかなり固まってきていた。だから、村尾氏に訊ねる言葉を頭の中で考えていた。先方は、無論、正直に話すはずはない。  こうなると、こちらが言う言葉に村尾課長がどう反応を示すかである。言わば、対手の心理を試験するみたいだった。一つの言葉を出して、対手から連想語や反意語を引き出す。向うではこちらの知りたいこととは逆な言葉を言うに違いないから、これを重ねてゆき、さらに対手が返辞をする時の表情の変化を気を付けてみる。こうすれば、大体、彼の正直な答えが得られそうな気がする。  外務省の連中が代表と談笑しているのを眺めながら、添田はその質問の作戦を考えていた。  挨拶は終わった。  重要でない代表を迎える新聞社側も冷淡だった。添田の社のほかには四、五社ぐらいしか来ていない。が、とにかく、共同記者会見ということになった。場所は、空港のロビーにある特別室だった。  添田は、代表の話など聞きたくはなかった。それよりも、村尾氏に早く会いたい。局長連は、代表と新聞記者団との会見が終わるまで、待合室のソファに団《かたま》って待っている。  代表の話は、記事にしなくてもいいような意味の無いものだった。本人はいい機嫌になって会議の経過などを話している。だが、それは国際情勢に何の影響もない話だった。  添田は、いい加減に聞き流しながら、メモを取っていた。どうせ長く書いても、新聞に出る時は五、六行で片付けられるに違いない。  しかし、代表のほうは熱心だった。出席した各国の代表達の下馬評までやっている。十分間と決めていたのに、その時間を延ばしたのは代表のほうだった。自分では、国際的な華やかな舞台に立っている「時の人」くらいに思っているらしい。曾てはそういうことをやった人だから、その夢をまだ持っているのだ。  よせばいいのに、ほかの社の記者が質問までやっている。  添田は途中から脱けて、村尾課長のところへ行ってみたかった。だが、この代表がこの室から出るまで、村尾課長も他の局長連と一緒に、ロビーに待っている筈だった。それに、ひとりで脱けて村尾課長のところへ行けば、ほかの局長連の手前もあって目立つことだし、警戒されるに違いなかった。添田は、退屈な代表の談話を辛抱した。  やっと話が終わった。一同は特別室を出た。  代表は、局長たちの待っているところに戻る。新聞記者のほうは、用事が終わったので、勝手に階下の玄関のほうへ降りた。  添田はカメラマンに、少し用事が残っているから、と言って、先に帰らせた。 「社の車は、君が使っていいよ。ぼくはタクシーでも拾って帰るからね」  代表は出迎えの一団に囲まれながら、賑やかな雰囲気を作って広い階段を降りていた。  添田の眼は、村尾課長の姿を追った。  だが、その姿が見えないのである。  一行は十二、三人ぐらいだ。局長のほかにも、それにお供で来たような事務官もついている。そのなかに、特徴のある村尾の顔が見えない。  何かの用事で村尾課長だけがどこかに残っていて、一行の後を追うのかと気をつけて見ていたが、それもなかった。このときは、もうすでに、一行は玄関に降りきって、置いてある車が正面に近付くのを待っている。  添田は、事務官の一人に訊いた。 「村尾課長はいらっしゃいませんか?」  若い事務官が添田を新聞記者と知って、捜してくれた。 「おかしいね。居ませんね」 「さっきはいらしたように思いますが」 「そうなんです。どこへ行かれたんだろう?」  その事務官は、他の事務官にも訊いてくれた。しかし、訊かれた当人も首を廻していたが、わからないらしかった。 「おかしいですね」  と事務官のほうでも不思議がっている。 「確かに、さっきまでいらしたんですがね」  二、三人の同僚に訊いてくれたが、誰も知っていなかった。  そのうち、一行は何台かの車にぞろぞろと乗り込んだ。  すると、その時になって、ようやくその返事が貰えた。一人だけ知っている者がいて、 「村尾課長は、私用で先に帰られました」  と教えた。  添田は、しまったと思った。代表のくだらない話を取るのを、もう少し早く切り上げるのだった。恰度《ちようど》、いい機会だったのに、惜しいことをした。  村尾課長は私用があるというが、途中で抜けて帰ったものと思っていた。  しかし、添田がこの考えを変えたのは、国際線のロビーから階下の国内線の待合室に降りた時だった。恰度、大阪行の旅客機が出るらしく、場内でアナウンスをしていた。  待っていた客が起《た》って、ゲートのほうへ集まっている。改札が始まり、番号順にフィールドに入っていた。  添田がいるところと、その搭乗客の群れとの間は、かなりの距離がある。添田が、もしやと思ったのは、根拠のないことだが、その人の群れを見てからの直感だった。  添田は、そのほうへ近付いた。  もうこの時は、先頭の客は、飛行機の停まっているほうへ順々に歩いていた。尤も、フィールドに出るまでは、屈折した廊下を通る。添田が、自分の直感が当たり過ぎて、あっと思ったのは、その客の中に、紛れもなく村尾課長の姿が歩いていたからだった。  村尾課長は、飛行機のほうへひとりで向かっていた。  添田が見ているうちに、その姿は遠くなり、フィールドに射し込んでいる照明灯の中に見分けがつかなくなった。  私用があって中座したと思った村尾氏は、実は大阪行の飛行機に乗っているのだ。気軽な用事で先に帰ったと考えていたのに、これはちょっと意外だった。尤も、東京から大阪に飛行機で行っても、それほど大げさなことではないかもしれない。だが、一しょに居た事務官連に訊いてみても、村尾氏の行動を誰も知らなかったのを思い合わせると、課長の大阪行がかなり奇妙な行動に添田には映った。      13  久美子が泊まった宿は、祇園《ぎおん》の裏通りだった。其処は同じような旅館がいくつも並んでいる。すぐ横が、高台寺《こうだいじ》という寺になっていた。  京の家の特徴として、入口は狭いが、奥は長かった。柱が紅殻《べんがら》で塗られているのも、この土地のものである。  朝、鐘の音に起こされた。泊まっている部屋が裏なので、寺の本堂と真対《まむか》いだった。  寺の屋根の上に、山の端《は》が少し見えていた。朝の八時過ぎまで、これに霜がかかっていた。  手紙には、正午と指定してあったが、午前十一時から午後一時まで待っている、と但書が付いていた。  久美子は、十一時かっきりには行くつもりだった。 「南禅寺は、車でお行きはったら、十分くらいどす」  係りの女中が教えた。  ──しかし妙な手紙だった。笹島画伯の描いた久美子のデッサンを持っているというのだ。死んだ画伯からそれをどのようにして入手したかは、手紙の主は明らかにしていない。しかし、不正ではないと、この文章は断わっている。  直接に久美子に渡す、というのだ。この手紙をくれた山本千代子という名前に、無論、心当たりはなかった。  久美子は、この女性と笹島画伯とが特別な間柄で、デッサンもその理由で彼女が持っているとはじめは思っていた。画伯が死んだので、大作のために描いていたデッサンが不要になり、それを当人に返してくれるのだと考えていた。  だが、そう単純に考えるには合点のいかぬことが多い。この手紙の主は東京の人らしく、京都は旅行だ、と書いてある。しかし、なにも旅行先まで久美子を呼びつけることはない筈だった。それと、何よりもおかしいのは、笹島画伯は睡眠剤の多量服用によって急に死亡したのだから、画伯がその女《ひと》にデッサンを手渡す時間はなかった筈だ。  展覧会に出すための作品が出来上がらないうちだから、生前の画伯がそのデッサンを他人《ひと》に渡すいわれもない。その素描は画伯自身が気に入っていたのである。いや、それだけでなく、画伯はもっとそれをつづけて描きたかったのだ。もし、必要でなかったら、久美子がアトリエに通うのを断わるわけだった。  もっと奇妙なのは、デッサンがどのような理由で入手されたかは別として、もし、それを久美子に返す好意があるのだったら、郵送でもすればいいわけなのだ。手紙では、久美子への好意を強調しているのだが、やり方はいかにも不自然だった。  それと、不思議なのは、この女《ひと》がその手紙を自分で書かずに、タイプライターで打たせていることだった。役所や会社が事務用として出した手紙ではない。個人から個人への通信である。それをわざわざタイプにしたのも、普通とは言えなかった。この女《ひと》は、私信にもいつもタイプを使う女なのだろうか。  だが、さまざまな不審にも拘らず、久美子がすすんで京都にやって来たのは、自分の描かれたデッサンを取り返したいこともあったが、何故、それが画伯の死の直前に失われたかということである。  画伯が他人に渡す筈がないとすると、画伯が死んでから、そのデッサンはその女《ひと》が手に入れたということになる。それも、普通の手段ではなさそうである。  何故なら、画伯はあの家に独りだったのだ。  こう考えると、失われた八枚の素描は、その女《ひと》が勝手に持ち去ったということができる。ここで、手紙の主山本千代子と、画伯とが特別な関係ではなかったかと考えるのだ。久美子がモデルになって通っている間は、いつも雇っている家政婦さえも画伯は断わっていた。久美子の居ない間、山本千代子という女のひとが単独に画伯の宅に行っても、これは人にはわからないわけだ。  知りたいのは、その女《ひと》が、何故、自分のデッサンを画伯から奪ったかということである。  久美子は、笹島画伯が急死したのを、まだ納得できないのだ。なるほど、その死体は解剖に付され、睡眠剤の多量服用が死因だということに誤りはなかった。  だが、そのような証明があってすらも、彼女は、画伯の急死が自然でないような気がする。これは、理屈ではなく、感じとしてである。  久美子が京都に来ることに母は反対しなかった。従姉の芦村節子も母の意見に賛成した。  しかし、この京都には自分だけで来たのではなかった。手紙には、京都までは誰が一緒に来てもいいが、南禅寺の山門付近には独りで来てほしい、と指定してあった。これも常識から考えると、合点のいかない一方的な指示である。  先方では、久美子と二人だけで逢いたい、というのだ。このことに不安を起こしたのは、節子の夫芦村亮一だった。警視庁の鈴木警部補に話したほうがいい、と彼は主張した。夫の意見に節子がまず従い、母が納得した。不本意だったが、鈴木警部補が京都の宿に一緒に来たのも、そんな経緯《いきさつ》からだった。  鈴木警部補は、今もこの同じ宿に居る。  警部補は久美子に気兼ねをしていて、なるべく彼女と逢わないようにしている。が、同じ宿で警視庁の警官に監視されているかと思うと久美子は愉快でなかった。警部補の役は、自分を危険から守ってくれることだろうが、こちらにしてみれば、自由を束縛されているのである。鈴木警部補は笹島画伯の死亡の時に立会った人で、久美子はこの警部補から事情を訊かれている。その時の警部補の印象は、久美子に悪くはなかった。仕事に熱心な人だ、と感心したくらいである。笹島画伯が過失死と判っても、実に丹念に事情を調査していた。  だが、近親の勧めや、警部補自身の好意があっても、この「護衛」は有難迷惑だった。勿論、警部補も、手紙の内容を全部知っている。それを手帳に写し取ったくらいだった。  現に、今朝《けさ》から二度ほど女中を寄越して、久美子が何時に宿を出るかを訊いている。 「ぼくは決してお嬢さんの迷惑になるようなことはしませんよ。この手紙の通りに、此処で南禅寺からお帰りになるのを待っています。決して現場までは行きませんから安心して下さい」  久美子としては、手紙の通りに行動したかった。だから警部補には宿に残ってもらうよう熱心に頼んだのだった。警部補もそれは快く承諾してくれたのだ。  十時半になって、久美子はタクシーを宿に呼んでもらうことにした。鈴木警部補にもそのことは言ってある。手紙には正午だというのだが、先方は十一時から一時までの二時間も彼女を待ってくれているわけだ。  それに、少しでも早く、その山本千代子という女《ひと》に逢い、事情を訊いてみたかった。わざわざ此処まで呼びつけたのだ。先方が冷淡な筈はない。手紙にも断わっている通り、彼女に好意を持っているというのなら尚更だった。  その女《ひと》に逢っての話に、久美子は期待をかけていた。 「お車が参りました」  女中が知らせた。  奥からの長い廊下を歩いていると、鈴木警部補が後ろから声をかけた。 「今からですか?」  鈴木警部補の部屋は階下《した》だった。その前を通り過ぎた時である。警部補はまだ宿の丹前を着ていた。 「行って参ります」  久美子は軽く頭を下げた。自分から頼んだのではないが、やはりこの警部補の苦労を感謝した。それと、久美子を安心させたのは、彼がまだ宿の丹前を着ていることだった。 「行ってらっしゃい」  警部補は落ちついて微笑していた。  久美子は、女中の見送りで車に乗った。  車は円山《まるやま》公園の横を通って、粟田口《あわたぐち》から蹴上《けあげ》のほうに出た。途中は静かで、大きな寺院ばかりがつづく。  蹴上から広い道が下り坂となり、疏水《そすい》がそれに沿っていた。人も車も少ない通りなのだ。東山のすぐ麓になっている。  小さな橋を渡ると、其処からが南禅寺の境内になっていた。なるほど宿から十分くらいだった。  急に木が多くなった。林の間につけたような道を少し上がると、車は停まった。 「此処が山門です」  久美子は、そこで車を帰した。  道の突き当たりが方丈になっているらしく、白い壁が両側から突き出た樹の茂みの間に見えた。左の松林の中に古びた山門がある。右は白い壁が正面まで長々とつづき、この南禅寺の別院になっているらしかった。  指定の場所は、山門付近だというのだ。見渡したところ、誰も居なかった。ただ一人、青年が大きな犬を遊ばせている。  時計を見ると、まさに十一時だった。久美子は、その径《こみち》から山門のほうへ歩いた。松林になっていて、殆どが赤松である。下には短い植物が群がっていた。  午《ひる》近い陽射しだったが、光は弱かった。秋なのである。光線は松林の間から洩れて、草と、白い地上に明暗の斑《ふ》をつくっていた。  山門は、こちらから見ると、屋根も軒も蔽いかぶさるように大きい。陽の加減でそれが逆光になり、暗い部分に複雑な|斗※[#「木+共」、unicode6831]《ますぐみ》が高く載っていた。建物は古びて黒ずんでいる。そのせいか、近づくと汚ならしく見える。木肌も荒く割れているのだ。歌舞伎に出てくる石川五《いしかわご》右衛門《えもん》の舞台の朱塗りから想像して、一致しているのはその建造物の大きさだけだった。  久美子は、山門の載っている石の基壇《きだん》に立っていた。人はやはり来ない。話し声が反対側の松林の向うでしていたが、それは坊さんだった。静かなものだった。この静けさのなかで久美子は時間を待った。  石段を登ったり降りたりした。松林の中にも入ってみた。先方の指定が山門付近というのだから、この場所から遠くに行かなければどちらにもわかる筈だった。  山門から奥へ向かって正面が法堂《はつとう》になっていた。久美子は退屈になって、その前に行った。やはり短い石段を登ってすぐお堂の入口になる。さし覗くと、暗い正面に金銅仏《こんどうぶつ》が三体|仄《ほの》かな光線を受けて光っている。両側に太い柱があって、禅宗の文句が対《つい》になってかかっていた。床の石だたみの上に、偉い坊さんが坐るらしい|曲※[#「祿」のつくり、unicode5f54]《きよくろく》があった。傍に畳もある。その上にも坊さんの椅子があった。外の明るい側から覗くせいか知らないが、薄気味の悪い荘厳さだった。  このとき、ずっと後ろのほうで賑やかな声がした。  久美子が振り向くと、十四、五人ばかりの男が山門のほうへ近付いてゆくところだった。女性は一人も居なかった。  久美子は、法堂を離れて北側へ廻った。其処にも車で来たと同じような道がある。やはり同じ白い塀がつづき、さまざまな屋根がさし覗いていた。三重塔まであった。  多勢の見物人は、山門を見上げたり、柱を手で叩いたりしていたが、やがて、一人が連中を並べてカメラで記念撮影をしていた。  こんなことを、脚をゆるめながらぼんやりと見ていると、松林の向うに女の姿が動いていた。久美子は、はっとした。時計を見ると十二時五分前だ。  久美子は凝視した。若い女だった。が、独りではない。男が後から急ぎ足できて、その女に並んだ。  山本千代子は、年齢も判らなかった。若いのか、年を取っているのか、想像もつかない。ただ独りで彼女が来るものと思いこんでいた久美子は、なるほど、ほかにつれがあることも考えられると、思い直した。  久美子は、自分の姿を対手に容易に認めさせるため、山門のほうへ近付いた。団体客のほうは、撮影を終わって法堂のほうへ行っている。  女は男と一緒に、高い山門を仰向いて見ていた。そこに久美子が立っていることは眼に入っている筈なのに、一向に注意を向けない風だった。その男女は、方丈のほうへ勝手に歩いてゆく。  違っていた。  久美子は、軽く失望した。  赤い松の幹に当たっている光線が変わってきていた。陽の加減もいくぶん強くなったようである。もう、十二時を過ぎていた。  地面は、蒼い林の部分を除くと、すべて白い砂が敷かれ、これが強くなった陽ざしに眩しいくらいである。その白い地面の上に、山門の屋根の影が巨《おお》きく落ちている。  先ほどの男たちが去り、二人の男女が居なくなると、またもとの状態になった。  久美子は、だんだん退屈してきた。しかし心のほうは切なくはずんでくるといった妙な具合で、車を降りた場所へ移った。其処から見た山門は松の枝に絡《まつ》わられて美しい。古い灯籠が一基、樹の影に沈んでいる。  道の片側の白い塀の中は、尼寺みたいに優しい造りだった。門を覗くと「正因庵」という額があった。塀に沿って狭い溝があり、水が微かな音を立てて速く流れていた。  このとき、下のほうから自動車が登って来た。タクシーと違って立派な外車のハイヤーだった。それも一台ではなく、三台つづいている。  久美子が眼を遣《や》っていると、横を通り抜けるとき、車は、窓に外国人ばかりの客を見せた。次の車も、その次も、三台とも外人だった。女の燃えるような赤い髪が窓にあった。  京都に来た外人観光客が、この南禅寺にも見物に廻って来たとみえる。三台の車は真直ぐに進んで、此処からは白い壁だけが見える方丈の前に停まった。  久美子は、またもとの道を振り返ったが、やはり誰も歩いて来る姿は無い。白い道が下り坂になって、両方にさし出た葉の茂りだけが蒼いのである。  明るい陽のなかに時間だけが空しく過ぎた。  時計を見ると、十二時四十分にもなっていた。正午という手紙の指定を過ぎている。尤も、あと二十分経たねば但書の午後一時にはならない。久美子が遅れることも余裕に入れて、前後一時間の幅を取ったものとみえる。  此処で人を待たなかったら、結構、これは愉しい見物だった。古い寺だし、由緒もある。赤松の林も、秋の日和《ひより》の下で落ち着いた景色をつくっている。静かなことはこの上もないのだ。  手紙は、不真面目なものとは思われない。必ず来るに違いなかった。が、対手のほうが、或いは先に来ているかもしれないと思いこんでいた久美子は、いつまでも待たされていることにようやく不安が起こってきた。  ふと見ると、先ほどの外人観光客が、方丈のほうから山門のほうへ多勢で歩いている。男と女だったが、外国婦人の着ている原色の派手さが、この燻《くす》んだ単色のなかに、急に明るくて強いアクセントを加えた。外人は十人ぐらい居た。通訳が付いていて、何か指を上げながら説明している。婦人の茶色や亜麻色《あまいろ》の髪が、蒼い松林の中に、絵具の滴《しずく》を落としたようだった。  相変わらず、来る人が無い。久美子は、一つ所に立っているのが妙に思われそうなので、また山門のほうへ動いた。見物人は無いが、坊さんだけは寺のまわりをうろついているのである。  久美子は、山門の正面へ出た。折から、外人観光客が、山門を支えている太い柱に興味を持っていた。柱は、永い間、風雨に曝《さら》されたあげく、木目だけを針金のように出して見せている。  ガイドが英語とフランス語の両方で説明していた。  外人客は、大体、年配者が多かった。なかには頭の白い人も混じっている。背の高い人ばかりだったが、それほどでない人もいる。婦人のほうは、みんな夫婦|伴《づ》れのようだった。これも若い人ではない。年を取って、愉しみに世界を見て廻っている人たちのように思われた。そういえば、その人たちのもっている雰囲気も静かだった。ガイドの説明を聴いて、自分の眼で確かめるように、長いこと楼門を見つめていたり、柱を撫でていたりした。  久美子が独りで居るのが、その外国人たちの眼をひいたのか、彼女を見てささやいていた。久美子は赧《あか》くなって、その一団の群れから遠ざかった。自然と片方の長い塀のほうへ歩いた。棟の長い建物だったが、坊さんがたくさん居るところをみると、どうやら僧堂のようだった。  だが、此処に位置を移しても、山門が視界に入るのに変わりはなかった。山本千代子という婦人が来ても、見逃がすことはないのである。外国人たちも山門から去った。彼らは方丈のほうへ戻ったらしい。車はまだ置いてある。  辺りはまた人の居ない元の景色に還った。  白砂の上に落ちた大屋根の影が長くなった。  人が来た。が、男だった。それも高校生で、カメラを提げている。  久美子が見ている前で、学生は、山門の正面から写真を撮ったり、横に廻って斜めから構えたりしていた。構図に苦心しているらしく、しきりと歩き廻っている。これも其処に居る久美子を無視していた。  その男が歩き去ってからも、あとで此処に来たのは子供伴れの家族だけだった。  時間は午後一時を過ぎていた。  もう来ない。──  正午と決めておいて、前後一時間の幅を取るほど対手《あいて》は慎重だった。久美子を此処に呼ぶのに気を使っていることもわかる。一方的な約束だから、二時間という余裕を作っておいてくれたのである。それだけでも、あの手紙がデタラメなものでないことが分かるのだ。  それが来ないのだ。  そんな筈はなかった。久美子は、必ず先方が来るものと思っていた。自分で言っておいた時間内に来なかったのは、その女《ひと》に遅れる事情が起こったのか、とかえってこちらで余計な気遣いをしたくらいである。  久美子は、一時半になっても其処から立去れなかった。自分が帰った後、すぐ対手が来そうで、約束を違《たが》えたからといって、すぐに帰る気になれない。わざわざ東京から来たことだし、ぜひ、笹島画伯から奪ったデッサンの経緯《けいい》を訊きたかった。  だが、さすがに久美子の眼は、変化のないこの景色に飽きていた。彼女は、方丈の前へ脚を向けた。此処からも山門は見えた。車はまだ置かれたままだった。南禅寺の庭は日本でも指折りに立派だったことを、久美子は思い出した。  久美子は、山本千代子が来るのをもう諦めていた。  折角、此処まで来たことだし、久美子は受付に拝観料を払って中に入った。  薄暗い、長い廊下を歩いた。順路が矢印の標示となって出ている。そのとおりに歩くと、杉戸のつづいている両側を通り抜けた。急に明るくなったのは、この方丈の中庭に出てからだった。その庭がこの寺の名物だった。  築地塀《ついじべい》を背にして石組みがしてある。竜安寺《りようあんじ》の庭は石だけだったが、此処は木と草が植えてあった。全体は長方形だが、それを長く半分に仕切って、一方は白い砂になっていた。帚目《ほうきめ》が、恰度、波状にかたちをつけている。  見物人は、先ほどの外人の団体だった。これは広い縁側に佇んで庭を見ている。カメラを向けている者もいた。互いに小さく囁《ささや》き合っている者もいる。此処でも、ガイドが英仏語で説明していた。  久美子は遠慮して、その外国人の群れから離れて立っていた。庭石は、海に突き出ているようにしっかりしたものである。  陽が単純な石組みの上に、細かな襞《ひだ》の影をつくっていた。  外国人たちは熱心だった。そのなかで、勾欄《こうらん》のすぐ近くまで来て、板の上に腰を下ろしている一組の外人夫婦が居た。落ち着いて、しっかりと日本の庭を鑑賞しようという様子が、少しも動かない夫婦の姿に現われていた。  女は、黄色な髪が色糸でも束ねて置いたように美しい。四十七、八ぐらいの年配らしいが、端正な顔をしている。ほかの婦人たちが原色に近いほど派手なのに、この婦人は、沈んだ色を配色にしていた。  夫らしい男は、頭が真白だった。陽の当たった白い砂が眩しいのか、黒い眼鏡を掛けていた。彼は膝を揃えて立って、両手をその前に組み合わせていた。外国人といっても、悉くが鼻の高い、強《きつ》い立体の顔ではなかった。東洋的な顔も三、四人は居た。現に、この黒い眼鏡を掛けている外国人も、そうだった。皮膚の色も、それほど白いとは思えない。  久美子が来る前から、この人たちは見物しているのだが、まだ此処に腰を据えているほど、彼らは鑑賞に熱心だったのだ。彼らは、東洋の美術を、この機会に、覚えようとしているようだった。久美子は、足音を立てないで元のほうへ引き返した。  やはり手紙の中のことが気にかかる。こうしている間にも、対手が来ているような気がするのだった。  暗い方丈を出ると、また外の明るさだった。山門は真正面だったので、人影の有無はすぐ分かる。誰も居なかった。  久美子は歩いた。建物の端から急に人が出て来たが、これは男伴れの三人だった。久美子と顔を合わしたが、先方では僅かに眼を投げただけで、松林のほうへ通り過ぎた。  山本千代子はやはり来なかった。時計は二時近くになっていた。  手紙は嘘だったのか。それとも、彼女のほうに想わぬ故障が起こったのか。これ以上待っても無駄だ、と知った。それでもまだ心が残って、急には帰り道のほうへ急げなかった。  ふと見ると、方丈の入口に外人二人が立って、こちらを眺めていた。しかし、その位置では山門を見物しているらしい。黒眼鏡が見えたので、先ほど庭を熱心に凝視していた夫婦だと分かった。  久美子は、正因庵のほうへ降りかけた。こうして歩いている間にも、手紙の女性が急いで向うから登って来るような気がするのだ。  人影が向うに見えた。男だった。その辺を散歩しているような恰好だが、樹の隙間に見えた服装で、久美子は、それが鈴木警部補だと知った。やはり警部補はここに来ていたのだ。陰からこっそり久美子を見戍《みまも》っていたのである。いや、久美子が出会う対手を、警部補は張込んで待っていたのだ。  警部補は久美子との約束を破った。出る時、まだ宿の丹前を着ていてこちらを安心させたのは、彼の計算だったのか。  この時、久美子の傍を、外人たちを乗せた三台のハイヤーが風を起こして通り過ぎた。  鈴木警部補は、歩いて来る久美子に笑いかけた。  陽射しの加減で、その微笑は顔に翳を作った。微笑《わら》い方もそうだったが、警部補の様子自体が、どこかバツが悪そうだった。  今まで警部補がかくれていた位置が、山門前の松林とは、道路を隔てた反対側の林の中だった。  久美子は、警部補の姿を見た瞬間から腹を立てていた。此処には約束どおり彼女がひとりで来ることになっている。警部補もそれを承知していて、宿では着物も着替えずに久美子を見送ったくらいだった。  警部補の苦笑は、彼自身がその弱味を自覚しているからなのだ。 「鈴木さんは……」  と久美子は鈴木警部補にいった。 「前からここに来ていらしたんですね?」  久美子の非難の瞳を正面から受けて警部補は頭を掻いた。 「いや、どうも。実は、ぼくもあれから此処に来てみたくなりましたのでね。なるほど、いいところですね」  警部補のこの言葉を、彼女はおとなの老獪《ろうかい》と受け取った。 「久美子が心配になったからですか?」 「そのこともありますが」  警部補は受身に立って、弱っていた。 「せっかく、京都に来たんですから。やはり何ですな、ここも、つい、見物したくなったのですよ」 「お約束が違いますわ」  久美子は正面からきめつけた。 「鈴木さんは宿に残って頂くはずでしたわ。そうお約束したんですもの。もう前からここにいらしたのでしょう?」 「いや、たった今です」  嘘、と久美子は心の中で叫んだ。  そんなはずはない。もしかすると、タクシーで久美子がここに来たすぐ後、彼も急いであとを追ったに違いない。  山本千代子を待って、三時間近くもこの境内をさまよっている間、警部補は久美子の眼の届かない所に身をひそめていたのだ。 「謝ります」  警部補は遂に降参した。 「お約束を違《たが》えたのは、ぼくが悪かったです」  頭を下げられると、久美子も怒れなかった。従姉の夫に頼まれて自分のことを心配して来てくれたことだし、短いこれまでの付合いでも、この警部補が善人と判っていた。  だが、警部補の善意とは関係のない失望が、彼女の胸に大きく穴をあけていた。  手紙の主山本千代子は、この境内に待っているのが久美子ひとりでないと見抜いたのではなかろうか。手紙には、繰り返しひとりで来てくれと指定してあった。それに違反して別な人物、しかも警察の人間が、彼女の後ろに控えているのを察知したのではなかろうか。  そのために、山本千代子は遂に久美子の前に自分の姿を出さなかったのであろう。久美子は、まだ見たことのない対手が、途中で踵《きびす》を返して立ち去ったような気がする。対手は、自分の姿をそこに現わさなかったことで、久美子の違反を非難しているように思える。  南禅寺のこの境内には、やはり秋の陽が空気を乱さないで、おだやかによどんでいた。 「先方は見えましたか?」  警部補は手紙の主のことを訊いた。その質問も久美子を憤《おこ》らせた。何もかも承知の上で、とぼけて訊いているとしか思えなかった。 「お会いできませんでしたわ」  対手が年上だったし、やはり正面から怒りを投げつけるわけにはいかなかった。言葉もこれまでと違わなかった。他人への礼儀だけは守るよう躾《しつ》けられて育ったのだ。 「そりゃあ、どうしたんでしょうね」  警部補は小首をかしげている。  何もかも判っての仕種だった。  しかし、あなたの不注意のせいだとはやはり言えなかった。どこか悄気《しよげ》ている警部補が気の毒なのである。 「まさか、あの手紙が、いい加減だったというわけでもないでしょう」  鈴木警部補は、まだ、弁解がましく呟いていた。対手の現われない理由を考えているようなふうだった。  久美子は境内から出口のほうへ歩いた。自然と警部補も彼女の傍に並んだ。疏水に架かっている橋に出るまで、境内に入って来る二人の女性に出遇ったが、それぞれ夫らしい伴れがあった。擦れ違っても久美子には眼もくれなかった。  橋にはピクニックに行くらしい小学生が、五、六人でバスを待っていた。耳に入る子供たちの京言葉が可愛い。 「どうします?」  鈴木警部補は久美子の顔を遠慮そうに窺《うかが》った。  すぐ横に小さな店があって、駄菓子や茹卵《ゆでたまご》を売っている。 「帰りますわ」  久美子は躊躇なく言った。それが、警部補のお節介へのせめてもの仕返しだった。 「このままですか?」  警部補の方が心残りげに、歩いて来た境内のほうに眼を向けていた。せっかく、ここまで来たのにという未練がその表情にあった。そうだ、せっかく京都まで来たのだ。それが全く無駄に終わった。あの手紙から始まる展開に期待をかけて来たのに。──  久美子は、充実感が去り、脚にも疲労を覚えた。三時間近くも南禅寺を歩き廻っていたのだ。  通りがかりのタクシーに先に手を挙げたのも久美子のほうだった。  来たときの道が逆に流れる。戻り道が味気なかった。 「お帰りやす」  宿に着くと女中が迎えた。 「何時の汽車に乗りますか?」  警部補は玄関を上がって自分の座敷にひき取る前に久美子に訊いた。 「今夜にしますわ。朝、東京に着くようにしたいんです」  久美子は、警部補の無神経さが少々たまらなくなって来た。自分の気持とは係わりのない人物が、これから先、東京までの同行を勝手に決めているかと思うと、やりきれなかった。 「時刻表を調べて、適当な汽車をあとでお報らせします」  警部補は親切に言った。  これには、お願いします、と答えただけで、久美子は二階の自分の部屋に上がった。  外側の障子を開けると、寺の屋根に鳩が群れていた。近くに観光バスの溜り場があるらしく、拡声器で行先を客に放送していた。  久美子はスーツケースから便箋を取り出すと、万年筆で走り書きした。 [#ここから1字下げ] 「いろいろお世話になりました。これからはわたくしひとりで京都見物をしてみたいと思います。どうぞご心配なさらないようにお願いします。勝手なことをして申しわけありません。いろいろ有難うございました。東京には明朝の汽車に乗ります。 [#ここで字下げ終わり]    鈴木警部補さま [#地付き]久美子」  女中を呼んで、後で封筒を警部補の座敷に届けるように頼んだ。  宿に、勘定も警部補には知らさないようにと言ってそっと払った。 「へえ、おひとりでお帰りどすか?」  女中は、びっくりした眼で久美子の準備を見ていた。      14  久美子は宿を出た。  鈴木警部補には気の毒だったが、自分の自由が初めて取り返されたように思えた。これからは完全に独りである。東京に帰るまで気ままに振舞えるのである。旅の歓びは自由なくしては味わえない。  京都は不案内だったがそれなりに愉しかった。どこへでも勝手に行けるのである。  宿の前の道を真直ぐに歩いて行くと、いかにも京らしい格子構えの家が続いていた。小さな垣根があったり、古い門があったりする。「あま酒」と書いた旗を立てている店もあった。それも普通の店つきでなく、表には骨董屋のように茶道具を飾り、横手の狭い門から垣根の中を入って行くのである。  人通りは少なかった。屋根の間から八坂の塔が見えていた。方向もわからないで歩いているのは、愉しいことだった。知らないで来たのだが、この道は祇園の裏手に当たっていた。円山公園に出て、初めて観光客らしい群れに出遇った。  しかし、そこを過ぎて知恩院《ちおんいん》の下から青蓮院《しようれんいん》に向かう通りは、再び静かな道となる。高い石垣の上に、寺の白い塀が長々と伸びている。塀の上からのぞいている松の枝振りも、手入れが届いて落着きのあるものだし、その上に白い雲がゆったりと動いていた。  すれ違う通行人の言葉も、柔らかい京言葉だった。久美子は気持が愉しかった。  南禅寺に手紙の対手を待って、三時間も無駄だったことも、気持の上に回復されていた。鈴木警部補という糸を自分で切って脱け出たことも、軽い冒険だったし、小さな自由を獲得できた喜びがあった。  久美子は、もう一晩京都に泊まるつもりだったが、昨夜、泊まった辺りに宿をとる気持はなかった。警部補が、血眼《ちまなこ》になって自分を探しているような気持がしてならなかった。彼には悪いが、今夜だけは独り旅を味わいたかった。  ゆるやかな勾配の路を下ると、正面に大きな赤い鳥居が見えた。後ろの山の形に記憶があるので、その麓が午前中に行った南禅寺の辺りだと判った。  電車が前を横切って走って行った。  この電車通りに沿った家も、狭い入口と、低い屋根と、紅殻《べんがら》の格子戸だった。久美子は電車の標識に「大津《おおつ》行」の文字を見た。通りに沿って坂を上ったが、何処へ行くのかわからない。が、知らない路を未知の方角へ歩くのに仕合せを感じていた。ここは京都なのである。  彼女は、ゆっくりと歩いた。通る人も東京のように忙しそうな姿はない。自動車の数もずっと少ないのである。すべてが静かで悠長に見えた。  久美子は、通りの片側が高台になっている上に、大きな建物を見た。Mホテルだった。  久美子が急に決心をつけてホテルの玄関へ歩いたのは、一つはどこかに鈴木警部補のことが頭にあったからだった。此処だと、昨夜の宿と違い、一流のホテルだし、贅沢な人間が泊まることになっている。警部補が彼女の行方を捜しても、此処だと盲点になると思った。  それに、普通の宿と違って、ホテルだと部屋に鍵がかかるから、ゆっくりと落ち着くことが出来る。持って来た金はそれほど多くはなかったが、未知の世界へ歩き出した以上、今夜一晩だけでも自分を童話の世界に置きたかった。  玄関は、はじめて来る者に威圧的に見えた。高級車が何台か駐車し、恰度、久美子が入って来たときに、廻転ドアを押して出て来た人間が外国人だった。  玄関を入った正面は燻《くす》んだ金色の荘重さがあった。彼女はフロントの前に歩いた。 「御予約を承っておりますでしょうか?」  事務員が丁寧に訊いた。 「べつに申し込んでいません」 「少々、お待ち下さいませ」  事務員は、帳面を繰っていたが、 「恰度、いい具合に、今夜のお客さまはキャンセルなさったお部屋がございます。おひとりでいらっしゃいますか」 「そうです」 「あいにくと、今夜一晩しか空《あ》いておりませんが、よろしゅうございますか?」 「結構ですわ」 「三階でございますが、恰度、表側ですから、眺望はよろしいかと思います」 「ありがとう」  事務員は、カウンターの上に備え付けてあるペンを取り、久美子にさし向けた。  久美子はちょっと考えていたが、カードに自分の実際の住所と名前を書いた。 「恐れ入りました」  事務員はボーイに眼配《めくば》せした。  エレベーターの中も殆ど外国人だった。  ボーイは緋絨毯《ひじゆうたん》を敷いた廊下を先に歩いて、ある部屋のドアを鍵で開けた。  ベッドはダブルになっていたが、苦情は言えなかった。予約を取り消した人がいたのが幸いなのである。フロントで言っていたように、窓際からは、東山の長い起伏がゆっくりと見えた。すぐ下に、さきほど見かけた電車が走り、その向うに、広い道がゆるい勾配になって下っている。東山の山裾《やますそ》の森から左手にかけて、京都の閑静な区域が一望に見渡せた。林の中に、寺らしい大きな屋根がいくつも点在している。  久美子は、両手を拡げて空気を吸い込んだ。  此処には久美子だけが居る。このホテルに泊まっていることは誰も知らないのだ。  これは素晴しいことだった。警部補も勿論だが、母も、従姉も、彼女の身辺から絶ち切れている。自由な空気を存分に吸っている感じだった。  彼女は添田のことを思い出した。今ごろは、新聞社で忙しそうに鉛筆を走らせているだろうか。それとも、外に出て走り廻っているのであろうか。  久美子は、よほど卓上の電話機を取って東京の新聞社に繋いでもらおうかと思った。此処からだと直通で、恰度、都内で話をしているようなものだった。だが、その誘惑にも彼女は克《か》った。今日と明日だけは、完全に独りになり切ってみたい。話をするなら、すべて、この小さな旅が終わった後なのだ。  壁には、京都の名所の略図が掲げてあった。外人客のために、全部、英語で名前が書き入れてある。  久美子が午前中に行った南禅寺も書き入れてあった。銀閣寺も、金閣寺も、平安神宮もあった。  久美子は、その略図を見ているうちに、この午後をどこかの寺の静かな境内で過ごしたくなった。  だが、京都市内から外れている区域が今の気持に合致した。郊外のほうが余計に旅ごころを唆《そそ》られるようだった。  地図の上で北には大原《おはら》や八瀬《やせ》の地名がついている。久美子は、高等学校の教科書で馴染んだ「平家物語」の|寂光院に《じやつこういん》心が動いた。だが、南のほうにも行ってみたかった。  東京に帰るのは明日の朝の汽車として、今日いっぱい自由の時間がある。彼女は、地図の下のほうについている、"MOSS TEMPLE"の文字を見つけた。括弧《かつこ》の中に KOKEDERA と書いてある。  苔寺は、前から聞いていた名前だった。久美子は、すぐそれに決めた。 「さようですね。車ですと、三十分ぐらいで行けるでしょう」  来てもらったボーイに訊くと、そう答えた。 「ですが、どうでしょう?」  とボーイは首を傾けた。 「このごろは、入園者を制限しているという話ですから」 「あら、そんななの?」 「はい。なにしろ、中学生などが団体で入って来て、苔を|[#「手へん+毟」、unicode6bee]《むし》ったり、チュウインガムなどを捨てて行ったりするものですから、寺では苔の保存のために、やたらと人を入れなくなったそうです」 「では、前もって申し込まなければいけないのかしら?」 「さようですね、修学院《しゆがくいん》などがそうですから、苔寺もそうなっているのかもしれません。今、訊いてみます」  ボーイはフロントに電話をかけてみたが、 「大丈夫だそうです」  と答えた。  車は京の街を抜けた途端、渡月橋《とげつきよう》にかかっていた。  途中でも、運転手は、金閣寺など寄ってみないか、と誘ったが、久美子は、ゆっくりと向うの寺で過ごしたかったので断わった。それに、新しく出来た建築では興味が薄れた。嵐山の景色を見るために、橋の袂に多勢が集まっていたが、彼女はそこでも降りなかった。  そこを過ぎてから広い田圃を見渡す道を走る。途中で、舟を積んだトラックを追い越したが、保津川下《ほづがわくだ》りの舟を上流に運ぶのだ、と運転手は教えた。  広い道から岐れて山沿いに行くと、小さな料理屋や、土産物屋などが集まっている細い路に入った。ここでも団体客が多く、車も駐車場に入りきれない。運転手は、その辺に車を停めておくから、と言った。久美子は、人の群れの後について寺のほうへ向かった。バスが寺内の見物から帰る客を待っていて、運転手とバスガールが退屈そうに話していた。  小さな低い川を渡ると、そこが西芳寺《さいほうじ》の入口だった。ゆるやかに曲がった一本道の両側は、深い木立になっていた。  道も一つだったが、人がいるので迷うことはなかった。突き当たった所が寺の本堂で、ここでは拝観料を払う仕組みになっている。右側が庭の入口だった。  久美子は、ゆっくりと脚を運んだ。思っていたより見物人たちがいて、大てい伴《つ》れがあり、脚の遅い彼女を追い越してゆく。木立の茂みが深いので、うす暗い庭だった。曲がりくねった小さな径《みち》には、両端とも柵《さく》が打ってある。その外が蒼いビロードのような苔の密集地帯だった。見ていて、下から掌で掬《すく》い上げたくなるくらい、柔らかい厚味で木の根元に展がっていた。石も、円い和やかなものでなく、鋭い角を見せた組合せが多かった。この庭石にも、モヘヤのオーバー地のような苔が取り付いていた。  小径は庭園を屈折して巡回している。下りたかと思うと、上りになり、また下るのである。変わらないのは、絶えず池の水が眼と耳から離れないことだった。木の茂みの加減で、夕暮れのような暗い所を通ったり、明るい場所になったりした。雲の多い空から陽が射したり、隠れたりしているような具合だった。ここで動いているのは人だけである。  寺で苔を大事にする筈だった。頬ずりしたくなるように、美しくて柔らかいのである。色は陽の当たる所で冴《さ》え、陰の部分は沈んだ深味を見せていた。所によって、愕くほどの厚さがあった。  庭のところどころに、小さな茶室がある。禅寺なので、それに掲げられた額も、瑠璃閣《るりかく》、湘南亭《しようなんてい》、潭北亭《たんほくてい》、西来堂《さいらいどう》という名前である。池は「黄金池」と札が立っていて、名前の由来は、『碧巌録《へきがんろく》』から取った、と説明されている。  ときおり、この小さな堂に、中年の男女が休んでいたりなどしていた。いかにも庭を愉しみに来たという感じだった。  一番低くなった所に、竹藪《たけやぶ》が隣合っていた。そこにも小さな川があって、橋が架かっていた。見物人を行かせないらしく、縄で仕切ってあった。竹藪はこの辺の名物だが、見ているだけでも、苔の庭と似合うのである。  久美子は歩きながら、自分を包んでくれる仕合せを重く受けとった。  久美子は、竹藪に架かっている橋の所でしばらく佇《たたず》み、下の小川を見ていた。水は湧き水のように澄んでいる。  見物人たちは、少し離れた径を斜面に向かって上っていた。その人の群れの中に、黄色い髪毛の外国婦人が日本人の男と歩いていた。着ているスーツは、西洋人にしては地味なほうで、その髪の色と共に久美子には記憶があった。山本千代子を待って南禅寺の境内に居るとき、一団の観光客の中にたしかに混じっていた婦人だった。伴れの男は違っているが、その女性にどうも見憶えがある。南禅寺の中庭を眺めていたひとらしい。  久美子がそれとなく見ていると、向うでも彼女に気づいたのか、顔をこちらに向けた。黒い眼鏡を掛けているので、眼の表情はわからない。この眼鏡だけが南禅寺のときには無かったものだ。  尤も、南禅寺で出遇ったことは、彼女のほうに記憶がないかもしれない。外国婦人の興味は、竹藪を背にして立っている日本の若い娘にあったのかもしれなかった。蒼い色を主調としたこの風景の中に、その外国婦人の冴えたレモン色の髪は美しかった。  傍に付いている日本人は背が低い。指を庭のほうに向けながら口を動かしているところをみると、通訳かもしれなかった。南禅寺で見たときの彼女の同伴者は、もっと背の高い人だった。あれこそ彼女の夫に違いないように思える。  見物人があとからつづいているので、それに押されるように外国婦人も久美子の前から過ぎた。背の高い彼女の姿は、坂になっている小径を上ってゆく。やがて、それは林の陰に見えなくなった。  垣根で仕切られた竹藪の中は、落葉で埋もれていた。笊《ざる》が置かれてあるところをみると、掃除に人が入っているらしい。が、奥からは物音も聞こえなかった。  久美子は、ようやく、そこから離れた。見物人の中に戻って、洪隠山《こういんざん》と名前のついた急な斜面を上りはじめた。小径は、崖の上から本堂の屋根を下に見おろすようにできている。そこからだと、池のかたちが真下にあった。もとより、径に沿って苔がきれいな姿を見せていることに変わりはない。苔の種類だけで数十種もあるのだ。  見物人たちが脚を停めて集まっている所があった。久美子が覗くと、石組みばかりの庭が一郭に造られている。苔寺では、それが一つの名物になっている枯山水《かれさんすい》だった。石は、これまで見て来たものと同じように、鋭い稜角を見せて組まれてある。禅寺の庭にふさわしい、けわしい様相だった。  そこを離れると、また小さな茶室があった。久美子がその建築を眺めて顔を向けたとき、前に見た外国婦人が伴れの日本人と縁に腰を下ろしていた。久美子の眼と黒眼鏡が真正面だった。  久美子は思わず軽く会釈してしまった。もちろん、一面識もないのだが、南禅寺で見たときの記憶が他人でなかったのである。その外国婦人に気づかない好意をもっていたからだとも言える。  外国婦人は、きれいな歯並を見せて久美子に微笑《わら》いかけた。先方が大胆だったのは、やはり向うの習慣だが、すぐ横の日本人に何か言っていた。  これは話しかけられるな、と思っていると、果して、日本人の男が腰を上げて久美子にお辞儀をした。 「恐れ入りますが」  と日本人は愛想笑いをうかべながら久美子に言った。 「この御婦人が、あなたをモデルに写真を撮りたい、と言っています。よろしいでしょうか?」  久美子が戸惑っていると、 「この方は、フランスのひとです。失礼ですが、お嬢さまはフランス語がお話しになれますでしょうか?」  と訊いた。  簡単なことなら少しは話せる、と久美子が言うと、通訳はその通り外国婦人に伝えた。  婦人は二、三度つづけてうなずき、自分で起《た》って久美子の前に近づいた。手をさし伸べて、 「|ありがとう」(メルシ・マドモワゼール)  と言った。 「|今 日 は」(ボンジユール・マダーム)  久美子は婦人の手を握ったが、先方では久美子がびっくりするほど力を入れていた。 「|わたくしで《エト・ヴ・》、|お役にたつでしょうか《コンタント・ド・モワ》?」  久美子はすこし赧くなって言った。  婦人は四十を越していると見えたが、肌のきれいなひとだった。自分から黒い眼鏡を外したが、瞳が蒼い空を円く凝縮したようだった。久美子の顔を、その瞳が動かないで見つめた。 「さっそくお願いを聞いて下さってありがとう。日本の庭と、日本のお嬢さんを、ぜひ、撮りたかったのです」  手に提げていたカメラの蓋を取り、長い指でレンズのデータを合わせていた。爪の紅い色が、このときほど際立って美しく見えたことはない。  背が高いためでもあったが、構図の上から、婦人は久美子の前にしゃがんでシャッターを切っていた。絶えず、きれいな歯を出して微笑《わら》っていることには変わりはなく、久美子に手ぶりでポーズをつけるのも派手な身ぶりだった。通行人がじろじろ見ては行き過ぎた。  シャッターの音は、たっぷり七、八度ぐらいは聞こえた。その都度、久美子は自分の向きを変えさせられた。久美子の背景には、庭の泉と林とがあった。  やっと、婦人は自分の瞳《め》をファインダーから離した。 「ありがとう」  と、子供のように笑って礼を言った。 「きっと、美しい写真ができると思います。お嬢さんは、京都の方ですか?」 「違います。東京です」 「おう、東京。それでは、京都へ観光で来られたのですか?」 「用事のついでに見物しているわけです」 「いいことですわ。あなたのフランス語、とてもお上手です。やはり大学で教わったのですか?」 「大学で習ったのですが、上手に話せません」 「いいえ、立派なフランス語です」  婦人は賞めてくれた。  久美子が困っていると、それと気づいたらしく、 「お手間を取らせましたね。ありがとう。どうぞ」  婦人はもう一度久美子の手を握った。それにもやさしく力が籠もっていた。 「すみませんでした」  と言ったのは、横の日本人だった。 「大へん悦んでいますよ。どうぞ、御自由に先へいらして下さい」  久美子は外国婦人に頭を下げて、さようなら、と言った。サヨナラと先方でも日本語で言ったが、この言葉がかなり外国人離れしているので、この人は日本に来てから相当期間滞在しているのだ、と想像した。  久美子は、残りの小径《こみち》を回って寺の外に出たが、軽い疲れを覚えていた。美しい絵をたっぷりと見せられた後の疲労に似ている。実際、出口の橋を渡ると、そこはもう、茶店や土産物屋などの並んでいる場所になっていた。こういう所に歩いて来ると、必ず一度は、出て来たばかりの寺を振り返って見たくなる。  車は前より混み合って停まっていた。久美子が眼で捜しながら歩いていると、運転手が横あいから出て来た。 「車は、この先に置いてあります」  また元の道に戻った。渡月橋へ出るまで、舟を載せたトラックと往き遇った。向うの山の斜面に影が大きく匐《は》い上がり、頂上だけ夕陽が射していた。  京都の街に入ると、久美子は、少し買物をしてみたくなった。  運転手は、どうせ順序だから、と言って、四条《しじよう》河原町《かわらまち》のほうへ車を走らせた。  河原町まで来ると、その雑沓《ざつとう》は東京並みだった。運転手にそこまでの料金を払い、あとは独りで歩いた。  帰るのは明日の朝だったが、その前に、買物の見当をつけておきたかった。が、よく、京都からの土産だと言って貰っている品と変わらない物ばかりが並んでいた。  それでも、新京極《しんきようごく》をひと廻りして三条通りに出たときは、一時間ぐらい歩いていたことになった。ホテルに戻ったとき、街には灯が点《つ》いていた。 「お帰りなさいませ」  ボーイが迎えた。  フロントに寄って鍵《キイ》を受け取るときも、お帰りなさいませ、という挨拶だけだった。果して鈴木警部補の捜索は、ここまで伸びていない。  警部補には悪いと思ったが、今日と明日だけは、気儘を認めてもらうほかはなかった。もしかすると、あわてた警部補は、東京の自宅に電話しているかもしれない。従姉の夫から久美子への同行を頼まれたことだし、警部補も自分の立場で責任を感じているであろう。  だが、東京の母へ電話するのはまだ早かった。今、電話すると、折返して鈴木警部補に報告しそうなので、後のほうがいいのだ。  エレベーターを待っていると、うしろから来た客が小さく声を上げた。  それが苔寺で写真を撮ってくれたフランス婦人だった。向うでも意外そうに眼を円くして久美子を見ていた。すぐ横に、あのときの日本人通訳が付いていることも変わりはなかった。 「あなたも、此処にお泊まりですか?」  婦人は愕いた表情をつづけながら久美子にフランス語で訊いた。 「そうなんです」  外国人だから、このホテルに泊まることは不思議でないが、やはりちょっとした意外さだった。 「四階」  傍の日本人がエレベーターボーイに告げた。 「三階におねがいします」  ボーイはうなずいて3という印のボタンを押した。  外国婦人はそれを眼敏《めざと》く見て、 「三階《ドウジエム》?」  と久美子に確かめるように訊いた。彼女は微笑してうなずいた。  三階に停まった。  ドアが開いて、フロアに出るとき、久美子は婦人に軽い挨拶をした。  部屋に帰ると、ほっとした。  出た留守に、ボーイが設備してくれたらしく、ベッドの一つはカバーがとられ、支度《メーク》されてあった。窓にはカーテンが掛かっている。灯はスタンドだけだった。  久美子は、カーテンを引き、ブラインドを上げた。  外は昏《く》れていたが、まだ微かな蒼味が空に残っていて、山の黒い線を描き分けていた。  山裾一帯に人家の灯が輝いている。すぐ下を走る電車も、自動車も、明りだけが動いていた。  ソファのクッションに戻って、しばらく休んだ。音のしない静かなホテルなので気分は落ち着いたが、このままじっとして居る気持もなかった。  備え付けの大きなメニューを取った。もちろん、洋食ばかりで、食堂に行く気はしなかった。せっかく来た京都だし、東京で食べられない物が欲しかった。  思案しながら窓に映るたくさんな灯をみているとき、ドアに軽いノックが聞こえた。  ボーイに案内されて、ドアの入口から遠慮そうに入って来たのは、たった今、エレベーターの外で遇ったばかりの日本人の通訳だった。 「先ほどは、いろいろと失礼しました」  彼は丁寧にお辞儀をした。 「度々で申しかねますが、あのマダムが、お嬢さんをとても気に入ったらしいんです。そこで、わたくしが使いに伺ったわけですが、大へん不躾《ぶしつけ》ですが、今夜、お嬢さんと御一緒にお夕食をしたいから、お誘いしてくれないか、ということです。どうでしょう? もし、お差支えなかったら、そうお願い出来ませんでしょうか?」  久美子は当惑した。自分の印象では、決して不愉快な外国婦人ではなかったのだが、あまりに不意すぎた。 「あの、どういうお方でしょうか?」 「ご尤もです。実は、フランスで貿易をなさってる方です。もちろん、御主人も御一緒にいらっしゃいます」  やはりそうだった。間違いなく、南禅寺の境内で見かけた夫妻だった。縁側に坐って、寺の中の庭を飽かずに眺めていた、あの一組の夫婦だった。 「今日は、御主人のほうに用事があって、わたくしが奥さんのお供で苔寺へ行ったのですが、奥さんが帰ってから、お嬢さんのことを御主人に話されたんですね。偶然、同じ宿に泊まっていらっしゃると知って、奥さんも大へん喜び、ぜひ、御夫妻で御招待したいとおっしゃるんです」 「困りますわ」 「いえ、どうぞ、堅苦しくお考えにならないで。お互い、旅先のほんの寛《くつろ》ぎ程度で、お食事したいんだそうです」 「でも……」  久美子は、断わることに決めた。それを言うと、通訳はひどく残念そうな顔をした。 「奥さんもがっかりなさるでしょう」  久美子は、その外国人の名前を訊きたかったが、自分の名も言ってなかった手まえ、質問も出来なかった。 「残念ですな」  日本人は、彼自身が招待者のように落胆した。 「ホテルには、まだずっといらっしゃるんですか?」 「いいえ」  と急いで言った。また食事を誘われるかもわからない。 「明日の朝、京都を発って、東京に帰ります」 「それじゃ、いよいよ奥さんも失望なさるでしょう」  通訳はそう言ったが、気づいて、 「いや、失礼しました。わたしのほうが勝手にお誘いして」 「いいえ、どうぞ、よろしくおっしゃって下さい」 「申し伝えます」  日本人は絨毯の上を静かに歩いて、ドアの外に消えた。  久美子はまた独りになった。  断わったあとで、あのフランス婦人と食卓を一緒にしている空想が起きた。  黄色い髪毛が純粋なくらいに美しかった。南禅寺ではよくわからなかったが、さっきの苔寺では、黒眼鏡を取ったときに見せた瞬間の瞳の色が素晴しかった。久美子に、可愛くてたまらない、といった表情を絶えず見せたものだった。きっと、いい家のマダムに違いない。あの年齢だから、余裕のある生活で、夫の取引のついでに、世界一周の旅をつづけているのかもしれない。  夫は、たしか白髪の人だった。その人の顔は、僅かの間の印象でさだかではないが、ヨーロッパ人でも、東洋風の顔つきだったように思う。もしかすると、フランス人でも、スペイン系か、イタリー系の人かもしれなかった。  招待を拒絶したことで、微かな後悔が起きた。気ままを愉しんでいるのだし、見知らぬ外国人夫妻とホテルで夕食を一緒にするのも、やはり自分の童話を作ることになるのだ。せっかくの機会を遁《のが》した心残りがあった。  しかし、久美子自身の性格では、結局、その勇気がないことがわかっている。外交官の家庭だが、古風とも言える躾《しつけ》で育てられてきたのだ。久美子は、その招待を断わった反動からか、和食が食べたくなった。むろん、このホテルでは目的は達せられない。京都では、特殊な料理として「いもぼう」というのを聞いていた。久美子は支度をした。  鍵をフロントに預けるとき、その料理を食べさせる家を訊くと、円山公園の中にあると教えられた。  タクシーで五分とかからなかった。  その料理屋は、公園の真ん中にあった。これも純日本風のこしらえである。  幾つにも仕切られている小部屋に通った。「いもぼう」というのは、棒鱈《ぼうだら》とえび芋の料理で、久美子は他人《ひと》からは聞いていたが、食べるのははじめてだった。淡泊な味で、かえって空いている胃に美味《おい》しかった。  女中もみんな京言葉だし、隣の部屋で話している男連中の訛《なまり》がそれだった。こうして特色のある料理を食べながら土地の言葉を聞いていると、しみじみと旅に出たと思う。  今ごろは、母も夕膳に向かっているころではないだろうか。ひとり残して来たので気がかりだった。もしかすると、従姉の節子が来ているかもしれない。  久美子はまた鈴木警部補のことが気になってきた。もう諦めて東京に引き返しているのかもしれない。その前に、きっと、家に連絡していることであろう。が、従姉の節子が来ているのだったら、母の心配も、節子になだめられてそれほどでもあるまい。警部補にはちゃんと置手紙をして出たことだし、明日の朝の汽車に乗ると言ってあるのだ。  料理屋を出て、夜の公園を少し歩いた。外灯が昼のように点いているから、暗い感じはしない。公園から八坂神社の境内に道がついている。茶店の中も明るかった。  それから先に行く所がなかった。やはり知らない土地だと、夜は昼間ほどの勇気は出なかった。結局、河原町のほうへ行くことにした。  だが、すぐにタクシーに乗るのも惜しく、電車通りをゆっくりと歩いた。さすがに京の街で、骨董を商う店が多い。  お菓子屋にしても、茶席のような入口の構えだった。  四条の通りまで歩いて、そこで眼についた映画館に入った。東京で見残していた洋画がかかっていた。  旅先で映画を見るのもはじめての経験で、少し心細い気持のする一方、やはり気分が違っていた。見ている映画の受け取り方まで違っている。  映画館を出た時は、十時に近かった。彼女は、今度は急いでタクシーを拾い、ホテルに戻った。  玄関のドアを押して入ったとき、エレベーターのほうに歩いている一人の男の後ろ姿が見えた。ボーイが客の手軽なスーツケースを提げている。それには航空会社の荷札がぶら下がったままになっていた。久美子は、その人物を見た瞬間に思わず立ちどまった。  思わない所で、知っている人に遇ったときの愕きだった。  エレベーターが降りて来て、ドアが開き、その紳士はボーイと一緒に中に入った。彼女は、せっかく降りたエレベーターに進むことが出来なかった。  ドアが閉まり、上に付いた階数の指針が廻っている。  久美子は、急いでフロントの前へ行った。 「あの、今の方、村尾さんとおっしゃいません?」  事務員は、署名が済んだばかりのカードを取り出してくれた。 「いいえ、吉岡《よしおか》さまとおっしゃいます」 「吉岡さん?」  久美子は、眼を宙に向けた。 「人違いだったかしら? 失礼。あんまりよく似た方だったものですから」  彼女はフロントを離れたが、間違いなく、今着いたばかりの人物が外務省欧亜局××課長村尾芳生だと確信した。曾ての父の部下だったし、つい先頃歌舞伎座でも会っているのだから、間違えようがない。  村尾課長がこのホテルに姿を現わすのはそれほど不思議でないとしても、なぜ、彼は吉岡などという偽名を使っているのだろうか。──  これは、あとでひとりエレベーターに乗っているときに起こった久美子の疑問だった。  本書は一九七五年に刊行された文春文庫の新装版(二〇〇三年刊行)を底本としています。 〈底 本〉文春文庫 平成十五年七月十日刊